長宗我部フアンクラブからのお知らせです。
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「長宗我部家臣磔刑七十三士慰霊祭」の準備委員会があり出席しました。
第一回長宗我部家臣七十三士慰霊祭は3月6日(日)
◆慰霊祭:午後4時30分~6時 参加費:無料
◆直 会:慰霊祭終了後、国民宿舎「桂浜荘」 参加費:5000円
「浦戸湾むかしものがたり語り部の会」主催によるものです。
相撲大会に呼ばれ処刑された家臣の慰霊を処刑場所と思われる浦戸大橋の
種崎側(千松公園側の橋脚のたもとで行います。
73本の竹を切った中にろうそくを灯し、それを砂浜に建てて慰霊。
初めての試みです。ぜひご参加ください。
参加申し込みは下記までお願いします。
直会の申し込みは、2月22日までにお願いします。
*** 小浜亭馬楽の歴史資料(備忘録) ***
若宮八幡宮(長浜6600番地)
源頼朝創建。
元親が戸の本合戦で戦勝祈願してより、戦勝祈願の社。
社殿は、出陣にちなんで出蜻蛉式。
戸次川合戦への出陣の際、軍旗の笠標が鳥居の冠木に当たってちぎれ落ちたというエピソードがある。不吉とする家臣を、元親は吉兆と解釈して出陣したが、戸次川では大敗したので、その恨みで鳥居は海中に投げ捨てられたという。
雪蹊寺(長浜857-3)
臨済宗妙心寺派 四国霊場33番
元親によって、真言宗から禅宗に改宗させられる。
長宗我部信親の墓所もある。
戸次川より持ち帰ってきた豊後梅は、今も毎年花を咲かせている。
秦神社(雪蹊寺の東隣)
明治時代、元親の弟親益の子孫島義親らによって創建された。
元親を祭神としている。
元親木像、元親画像(重要文化財)、戸次川戦死者の大位牌を奉祀している。
土佐神社(一宮しなね2丁目16-1)
本山氏の家臣らの焼き討ちによって、本殿以外は消失したが、1567年、元親が四国統一の願いを込めて、再建した。
元親が巡検した時、御営の垂木に長宗我部家を褒める和歌がいつのまにか書かれていたという伝説がある。
中富川合戦出陣に際し、家臣とともに祈願に訪れた元親は、出現した御神体より戦勝を告げられたというエピソードもある。
吸江庵(五台山吸江北吸江地区 吸江寺)
夢窓疎石の開基。
東津野村(現津野町)出身の義堂周信・絶海中津が住職を勤める。
長宗我部氏が、細川氏の被官として長く寺奉行を勤める。
長宗我部元親の時代、忍性が岡豊城などに赴き、朱子学(後に南学として発展)を講じる。
山内一豊の妻千代に拾われ、養子となり、後に出家した湘南和尚が住職となり、吸江寺と改名。
野中兼山と共に、南学を学んだ山崎闇斎も僧として、湘南和尚に連れてこられ、一時住んでいた。
坂本龍馬最後の帰郷の際、土佐藩重役達と密談した場所でもある。
吉良神社(山ノ端町70 若一王子宮に合祀)
「七人みさき」で犠牲になった吉良親実を祀る。
吉良神社(春野西分 増井地区)
吉良親実の怨霊騒ぎによって、山ノ端町の吉良神社より、遺骨が春野木塚に移され、木塚明神として祭られていたが、その後、現在の地に移る。
祭神は、吉良親実。その墓もあり、七人みさきの慰霊碑もある。
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