白バイ隊員が死亡した責任は警察庁(訓練通達)にある!!
*高知白バイ事件
06年3月3日に旧春野町国道で起きた白バイ警官とスクールバスの衝突事故。若い白バイ警官が亡くなった。悲しむべき出来事。
真実は、白バイ警官の自損事故である。スピードを出し過ぎた若い白バイ隊員が制動を失って、止まっていたスクールバスに突っ込んで死んでしまった。
ところが、この陰には全国の警察組織に公道高速訓練を課した警察庁の有責問題が潜んでいた。高知県警は証拠を捏造し、スクールバスが止まっていたにも拘わらず、バス運転手の片岡晴彦氏が轢き殺したように偽装し、片岡氏の前方不注意による業務上過失致死罪にすり替えた。県警が組織ぐるみで無実の市民を罪に陥れた謀略事件である。
此の事件では、私の高知県警職員に対する告発(虚偽公文書作成・行使)を検察庁が受理して捜査している。
告発事件の記事 告発状 「kokuhatu.pdf」をダウンロード
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死亡白バイ隊員の視界はこのようなもの。目撃白バイ隊員から事故白バイの位置確認は、当時は植え込みが切られていないことから不可能である。
事故現場の中央分離帯の植え込みは、事故当時は高いままで事故現場直近のオレンジのポール付近まで続いていた。目撃白バイから事故白バイは見えない(下は、刑事事件の証拠の写真を、私が検察庁で閲覧した時撮影したもの。当然検察側に許可は得て撮影した)。
また、支援者の情報によれば、裁判で目撃白バイ隊員は、事故直前は目をそらしていたから目撃していないと言う。つまり、何も見ていないのだ。無茶な証言が何故採用され、校長先生や生徒の証言がどうして黙殺されるのか?
司法機関の手練手管、事情、過去、成り立ちを知っている者には、ごく当たり前のことだが、一般常識では、こんな結果を導く、警察官・検察官・裁判官らの頭の中を理解できないだろう。私も理系だったから、法律には疎く、逐一勉強した。。。
解っていることも多いだろうが、私自身の心の整理(日記)でもあるので、しばしお付き合いを・・・
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彼ら(警察官・検察官・裁判官)は、毎日のように、死んだ・殺された・盗まれた・騙された・・・という被害者らを見ている。彼らにとって、一人の男(片岡晴彦氏)が職を失って1年数カ月刑務所に入る「被害」を受けることなど物の数ではない。。。
そう、彼ら(警察官・検察官・裁判官)は、片岡晴彦さんが「被害者」で、警察が「加害者」であることを知っている。全てを理解したうえで、彼らの指揮権を行使し、起訴便宜主義・弁論主義の論法を振りかざしている。裁判事件において検察官・裁判官は絶対的権力者であって神に等しい地位にある。善かれ悪しかれそうなのだ。
事件の大小・被害の多少にかかわらず、どのような判断を下しても彼らは常に批判に晒されている。裁判で負けた方は自らの立証の力量不足ではなく、裁判官を恨む(弁論主義=裁判官の判断に任すのではなく、相手との論争に勝利しなければならない)。刑事告訴を不起訴にされた国民は検察官を罵る(起訴便宜主義=刑法に抵触する行為があっても必ずしも起訴する訳ではない)。。。彼らの日常は、我々一般国民の非常識の中にある。此れをまず最初に理解しなければならない。敵を知ることは闘いの常道であり初歩である。此れを侮る者の処に勝利は訪れない。
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彼ら(警察官・検察官・裁判官)にとっては、「大変大きな事件」程度であって天変地異でも晴天の霹靂でもない。警察の常道では『警察官に非はない』となる。検察官と裁判官は、冷静かつ慎重にこの大事件を処理した。現在の社会世情や司法機関の内部事情を全て考慮したうえで(勿論自分のサラリーマンとしての処世も含めて)、『此の事件は片岡さん家族に泣いてもらおう。』と判断しているのである。これが一般人には理解できない。
繰り返すが、彼ら(警察官・検察官・裁判官)は「一人の運の悪い男が職を失って刑務所に1年ちょっと入って戻ってきた。生きて元気にしている。」ぐらいにしか思っていない。彼らの日常には、殺され、殴られ、傷つけられ、犯され、苦しみ、もがき続ける人、耐えきれず死を選ぶ人、犯人と解っていても時効で罰せられない人、汚職を働く政治家、民権を弾圧する判決が溢れている。白バイ事件は、そう言う意味では(彼らにとって)『白バイ事件は、大変だが被害の軽い事件』に過ぎない。
また、彼らが好む思考は「社会のバランサーになること」である。白バイ事件では『若く有能な一人の警察官が家族を残して亡くなった。充分な補償が必要だから証拠の捏造も仕方ない。そのために自分たちが批判を受けても仕方ない。トータルとして自分たちは社会的善である。』という独善的判断が、彼ら(警察官・検察官・裁判官)の中にある。
一般には許されないことだが、彼ら(警察官・検察官・裁判官)は自分たちを特権階級だと思っているし、国も特権を認めているから、こうなる。彼らの思考傾向、彼らの常識、彼らの事情、彼らの力を理解して闘わなければ、こちらの望む結果は得られない。
かく言う私も追手前小廃校裁判では被告高知市長岡崎誠也の証人尋問を採用せず判決を下した担当裁判官鈴木紀子を批判し、同裁判官に父の詐欺被害事件でも証人尋問を却下されたことから、業を煮やして「裁判官の忌避申立」を行っている。現在、同忌避事件は最高裁に受理され審査中であるが、裁判所から見て私の『もがり』に過ぎないことは解ってやっている。しかし、こうした実行動を継続することが大切である。この30年間に、父が1度、私が4度最高裁の扉を叩いているが負け続けている。まだまだ、これからだ。幸い子どもが真っ直ぐ育っているので、私が老いれば引継ぎをしっかりしたいと考えている。
私は、高校時代から30年以上ラグビーに親しんでいる。何故か辛いことだけは続く。この日曜日も徳島まで試合に行く。付き合いもあるので断れない。ラグビーなどのスポーツに限らず、組織の闘いでは、リーダーが前に進む判断をしても、その先に崖(失敗)があることを知っていれば止めざるを得ない。その時、時間が無ければ、全体を守るため、善意のリーダーを批判し、倒さなければならないこともある。チームがより良い闘い方を選ぶために、お互いを批判する。当たり前のことであり、此れを避けては通れない。ラグビーでは時につかみ合いになることもある。。。
白バイ事件での「チーム片岡」は、あまりにも闘う相手を知らない。自己批判がない。そうしなければ成長はないから敢えて言うが、相手を攻める時は相手の弱いところを攻めるべきだがその戦略が無い。これは致命的だ(後で言うがタイヤ痕のこと)。弁護士が変わって良くなったが、まだ、前弁護士的手法の反省が足りない。新たにスタートラインに立つ確認がないから現弁護士の力を最大限利用できないでいる。これでは全体の力量が育たない。片岡さん本人は法的経験が少ないから、司法テクニックを有する厚みのある布陣が必要であろう。
だが、私について『藤島がチーム片岡に入れば良くない結果を招く。』としたことは良い判断だったと言える。私はラグビーをするが、チームはサッカーを望んでいる。分かれて正解だった。片岡さん個人を助けるために(事故発生までの問題で)チームは機能すべきだ。私は彼ら(警察官・検察官・裁判官)の属する司法機関の欠陥(事故発生後の作為)を叩く。都合が合えば協力すればいい。このあたりのメリハリがチーム戦術に欲しいところである。なんかスポーツ新聞の論評のようになってきたが・・・(詳しくは、此処の下段にまとめた。第1~第4)
一般常識的に良い闘い方をしても無意味である。異常な相手・絶対的権力者である「彼ら」との闘い方においては、異常な方法を用いなければならない。但し、異常というのは『常とは異なる』のであって狂っているのではない。所謂、背水の陣であって、虚をつく奇襲であり、想定外の秘策を用いて闘う。戦国時代の武将と参謀に学ぶ。と、言った方が解り易いか…
私の告発要件事実について批判がある。科学的に詳細な分析が加えられていて感服したが、こうした解析を述べることが正しい攻め方ではない。彼ら(警察官・検察官・裁判官)の大方は「文系人間」だ。科学的に極めて精巧な論陣を張る必要なない。彼らに理解出来る範囲で証拠を挙げれば事足りる。
終局の課題は、裁判官が『何故か理由は解らないが、警察の撮影した写真には、不可思議な点も見受けられるので、証拠として採用しないこととする。』という見解を述べることが可能な状勢(国民的盛り上がり)を作れるか否かである。警察の写真がいい加減な証拠であることは裁判官が一番よく分かっている。
タイヤ痕について私が全く議論しない理由。。。
簡単である。これは相手が最も慎重かつ強力に作為を加えた部分だ。正面突破は最初から困難で、相手方の誘いに乗ることになる(体力消耗合戦に引きずり込まれる)。ラグビーの試合ではリーダーは決してこうした処を攻めない。相手の強い部分を攻めることは「自滅」を意味する。
だから私は「タイヤ痕」ではなく「背景」を攻める。それらが写っている写真全体について「信用できない」という心証を裁判官に与えれば事足りるから。。。
と言ってもい、彼らは、彼らの住む世界の事情が許さないから、片岡さんが無実と解り過ぎるぐらい解った上で、敢えて冷徹なバランサー的判断を加えて冤罪を創り出している。自分たちを心のない「天秤棒」や「分銅」にして、批判を甘受することを『義務』『大義』と考えている。
そうした、いわば「マゾ集団」に対して、罵詈雑言を浴びせても『喜ぶだけ?』と言う疑いを持たなければならない。それがリーダの判断に必要な要素である。相手方の事情を理解したうえで、攻め方を考えなければいけない。『若い警察官が、検察庁幹部の無謀な公道高速訓練通達によって殺されたのか・・・』という心証を強烈に与え、そのうえで、国民が総立ちで裁判所を批判している。。。 こうした状況を創らなければ負けだ。
高知県警1億円詐欺事件!!
証拠は充分整った。これまでの関係者・チームの努力に敬意を表する。後は、行動あるのみ、拉致被害者家族のような全国的活動・国民的民意高揚運動(街宣・署名・講演会)が必要である。
死亡白バイ隊員遺族に支払われた1億円について、県警の詐欺事件であることを明確に世論に訴えて、国民的裁判を起こすべきだろう。仁淀川町に問い合わせれば、この1億円は「財団法人 全国自治協会」から支払われていた。
白バイ警官の死亡責任は、公道高速訓練通達を発した警察庁と此れを受け取って部下に異常訓練を課した県警本部長(キャリア組)にある。国家賠償責任で遺族に補償を支払うのは国であるべきだ。ところが、県警本部長(当時)は、事故責任を逃れるため証拠を改ざん・捏造して(財)全国自治協会から1億円をだまし取った。財物を他人に交付せしめた、いわゆる2項詐欺が成立する。
この詐欺事件の立証に係る要件事実を充足させて、県警本部長(当時)を詐欺で訴えているのが、松岡由紀彦氏と私の2件目の告発である。このことは追々経過報告するとして、極めて有効かつ不可欠な行動として、この1億円詐欺に因る被害についての国家賠償請求が国に対して可能であるから、早急に検討しなければならない。
当面の問題は、「県警1億円詐欺事件」での「原告適格」である。即ち、(財)全国自治協会は警察の天下り先とも思われるので原告とはならないだろう(但し、可能性を排除してはいけない)。とすれば国民が上記1億円被害を負ったという論法が成り立つ。
(財)全国自治協会の共済事業への加盟団体は、全国の町村である(市は他に加入)。とすれば、その加入金の原資は全国町村民の税金である。そこで、国民に広く原告団結成を訴えて、各地の地裁に(~違憲裁判のように)此の事件で国家賠償請求を提起することが可能である。
加入団体(自治体)の数で被害額を割れば、一地裁あたりの請求金額が少額になるからやり易い。また、これまで支援者ブログで活動してきた論客らが、全国各地で直接裁判原告となり、自分の検証結果を「新証拠」として裁判所にぶつけることも可能になる。メリットが多い。
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