次の選挙の争点は「脱原発!」だ。
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*** 本文 ***
アイフォンを無くして街カフェTV生中継が出来ない状況が続いているが、まもなく復旧する見通しが立った。。。今日は、人と話していて被差別問題に触れた。以前から解決に取り組みたいと公言している大きな課題の一つだ。
時代が変わろうとしている今、政治的課題を挙げる必要があるのは、増税・原発・TPP・米軍問題などだけではない。。。日本が解決しなければならない大きな課題のひとつが「被差別」の問題だ。
勉強を重ねてスムーズな解決に導きたいと常々考えている。
今日は、以前のブログ記事を書き直して再UPしてみた。
被差別問題の解決には歴史的考察(真実追求)が大切だ。。。なぜ?差別されるのか?それを知らずして解決策は見つからない。
。。。 。。。
1.エタの起源は 「その他諸々の職業」を指す外来語 「エーテル」である
エタは外来語だと考えている。
は、穢れが多いと書いてエタと読ませるが中世には別の漢字が使われていた(下段に詳述する)。起源を正確に探さなければ真実は見えてこない。
エタはエーテルだ。。。
古代ギリシアの学者アリストテレス(前384年 - 前322年)が提唱した「天上の空気」を表す言葉「エーテル」が、ヨーロッパで弾圧されて東洋に逃れた景教(ネストリウス派キリスト教)と共に日本に伝わった。。。渡来人らによって『その他諸々の職業』を指す言葉として使われ、外来語化していたのだが、時間が経って由来が解らなくなった。
。。。と私は考えている。
『そんなはずはない』と笑う人たちが結構いる。しかし、明確な反論を持っている人はいない。みんな真実を知らずに『理由無き差別』などと表現する。。。そうした姿勢を、私は非常に無責任だと感じる。
そもそも「」というのは仏教の概念だ。仏教は外来の宗教である。。。ならば、「エタ()」の概念や音が海外から伝わったと考えない方が私には奇異に思えるのだ。
違うだろうか?
差別の根源はいつの世も貧富の差と民族意識だ。
我々は真実を知らなければならない。。。
。。。 。。。
古代より世界人類の交流範囲は驚くほど広い。世界の中の日本を常に念頭に置かなくては社会問題は解けない。初期仏教がインドからギリシャ方面に広がって偶像礼拝を受け容れ大きく発展し、その頃ポピュラーだったゾロアスター教や景教(ネストリウス派キリスト教)と共にソグド人などの隊商によって広くユーラシア大陸に拡散されたことを知らなければならない。
日本は各時代毎に中国に使者を送って文化・知識の吸収に努めた。中国に伝わった宗教は日本にも伝わっていると考える方が自然である。日本に景教(ネストリウス派キリスト教)が伝わっていないと言う方が暴論であろう。チンギス・カンの家系など多くの騎馬民族が景教を信仰したことからしても、アジアの隅々まで広がった古代キリスト教思想が日本に伝わっていたと考えなければならない。
そもそも、昭和の同和教育で「士・農・工・商・・」と上下身分関係を教えたことは全面的に間違いであった。江戸時代の身分制度は未解明な部分が多く、農工商という概念は極一部の学者らが理解していたに過ぎず、一般には百姓・町人という職業区分しかなかった。これは身分ではない。
は主として「手下(てか)」という刑罰に処された者達のことであり、エタは古来から「」(官吏の長)と呼ばれていた。これらも身分ではなく職業区分であったが、江戸時代初期に幕府による牽強付会で「」の文字が当てられた。しかしながら、関東では八州を支配した頭弾左衛門が「」の呼び名を嫌ったことから定着せず、「」の呼称で通された。関西においては「」という呼び名が流布されたが、エッタ・エッタボシや「かわた*」など様々な呼称があり、整理が必要である。
*「かわた」の初見は永享2年(1430年)11月11日付けの土佐国香美郡の「下人売券」とされる。同文章では端裏書に「かわた四郎」と記されている。
そもそも「」や「藩」という概念は、古来中国から伝わった。また、空海が中国でペルシャ人司祭阿羅本が伝えた景教に接していること、ギリシャ方面で栄えた偶像仏教が日本に伝わった史実などを総合すれば、世界中で人口に膾炙されたアリストテレスの「エーテル」にまつわる学問が、渡来僧などによって日本にもたらされていたことを疑う余地は無い。みんな早晩気付くだろうが・・・
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日葡辞書と運歩色葉集の調査から解ったこと
日葡辞書(にっぽじしょ)は1603-1604年に長崎で発行されたキリシタン版の一種
(写真は以前にウィキペディアから引用)
①エタについて「Yetta=chori ;他の人々が認める頭、または、長」と記されている。また、エタの読みについては「Yeta→Yetta の条を見よ」 とあることから、当時「エッタ」とつまる音であったことが理解できる。
運歩色葉集(うんぽいろはしゅう)(京都国会図書館蔵書)は、1547年頃記された国語辞書である。 「エッタ」と「エド」について調べた。
②高知県学芸員(古文書解読の専門家)に確認したところ、この「エッタ」は、偏が「示(しめす)」で、部首は「口」と「鉞(まさかり)である(以下「示+口+鉞」と記載する)。
その直後にある「穢土 エド」では、「のぎへん 禾」と「山」が明確に楷書で記されている。「鉞」部分には「同上」を示す「点々」が用いられている。
この比較から、運歩色葉集の編者が、これら2文字を「鉞」以外が異なる別の文字と認識していることが解る。
③これらが同じ文字ならこうは書かない。つまり、1547年頃記された国語辞書・運歩色葉集には、1644年以降に江戸幕府の公文書に現れ今に伝わる「」とは異なる字体でエッタが記されていたのである。
④上記「示+口+鉞」を解字すれば、「示」は神への供物を置いた台(祭壇)のこと、「口」は神に捧げる祝詞を入れる器で、「鉞」(まさかり)は刃物で戈(か)る意味がある。
とすれば「示+口+鉞」(エッタ)は
「祝詞を唱えつつ神に捧げる供物を刃物で戈り取る者」
を表した会意文字と推察される。
⑤以上からして、この「示+口+鉞」(エッタ)は、江戸初期に失われた文字と考えられるから、水戸光圀の「圀」に代表される則天文字やベトナムのチュノムなどであるかも知れない(更に研究を進めたい)。運歩色葉集を作成した人物は全てを理解していたのであろうが・・・
⑥ともあれ、④の知識をもってすれば、中世において混同された「恵止利」と「餌取」を上手く説明できる。すなわち、「示+口+鉞」(エッタ)から、
「恵止利」は、
「恵みを止めて利用する者(祝詞を唱えつつ神に捧げる供物を刃物で戈り取る者)」
と理解でき、「恵止利」が、「餌取り」(古代の兵部省主鷹司に所属して鷹狩に使う鷹の餌を供給・調達した官職の者で、被差別民ではない。)をも包括する言葉(カテゴリー分類語)であったことが理解出来る。この発見は重要であった。
⑦整理すれば、恵止利(恵みを止めて利用するもの)には、武将が鷹狩で使用する猛禽類に餌の肉塊を捧げた官吏である「餌取」と、神に生贄として捧げる獲物を戈った「エッタ」という者ら(宗徒)がいたと解されるのである。つまり「恵止利=餌取(武力集団の官吏)+エッタ(寺社に隷属する宗徒)」である。
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~ さて、一息つきたいところだが、「示+口+鉞」(エッタ)には、注釈に「屠隠」と「完」が書き添えられている。当時の人はこれで意味が解ったのだろうが、現在では懸命に解読しなければならない。 ~
⑧先ず「屠隠」から見てゆく
本来の字義は「屠る(ほふる)-隠れる」で、「屠-隠」と赤線が入っていることから「トカクレ又はトガクレ」と続けて読んだことが解る。とすれば、江戸時代中期(1716年ごろ)「葉隠」「葉可久礼」(ハガクレ又はハカクレ)と書き直された「武士」のことであろう。
ここで、日葡辞書をめくれば、Saburai(サブライ)は「貴人、または尊敬すべき人」と、Buxi(ブシ)やMononofu(モノノフ)はそれぞれ「武人」「軍人」を意味するポルトガル語の訳語が与えられている。そもそも武士とは「人殺し集団」以外の何者でもなく、時代を遡れば中世の公家から「屠児(とに)」と蔑まれ賤視の対象であった。
⑨「完」について
完には『此れをもって完結する(全体が完成する)』意味がある。つまりエッタの設定によって↓ 全ての職の概念が完結するのである。
全ての職業=よくある職業+完(その他諸々の職業)
これは、古代ギリシャの学者アリストテレスの考えた「エーテル」の概念が神学に取り入れられてスコラ学に継承され、キリスト教宣教師らによって日本に伝わり、神学や社会学(ヒエラルキー形成)に導入されたものであろう。
左下の図で、アリストテレスの唱えた「エーテル」は点線部分を埋め尽くす物質(光の媒体)である。
詳しくは、エーテルの記事を参照されたい。エーテルとは「認識外のもの=人間界で理解できない神の領域のもの」という意味がある。
因みに エタノールの主成分であるジエチルエーテルが発見されたとき*1 その高い揮発性から「地上にあるべきではない物質が天に帰ろうとしている(天上の物質)と解釈され 「エーテル」と命名された=エタール*2
以上を総合すれば
エッタとは、魑魅魍魎が悪さを働くと恐れられていた時代、供物(生贄)を捧げつつ武力的効力を発揮する祈りの仕事に従事した者らのこと。つまり、悪霊を退治する為に生贄を捧げる神官・僧侶を指す言葉と理解出来る。
すなわち、神に使える者(僧侶・神官)らのなかで、屠児(武人)の如く、武力的役を果たす「僧兵」「修験者」「陰陽師」を含み、その他諸々の職業を指す言葉がエッタであり、こうした者らは、江戸時代において幕府(将軍)の統治下になく、祈り(天皇)の統治下にあった。
結局、エッタは、税金を幕府に納めなかったから、徐々に賎視が強められたと解されるのである。
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*1 歯科医師であるウィリアム・クラークは1842年1月、1540年に発見されていた硫酸エーテル(ジエチルエーテル)の抽出を行った(麻酔)
*2 ラテン語で 「et al」 または「et alia」を エタールと発音する 意味は「およびその他の物」である
以上、資料解析から興味深い進展を見た。更に詳しく調べ、各方面と意見交換してみたい。高知にも多く伝わる「太刀踊り」などの神事を彷彿させるイメージにも繋がる(殺生の代わりに歌舞音曲として形象化したと考えることが正答か?) いずれも今後の課題としたい。
(参照)
(神学)エーテル - ギリシア語で「上層の空気」を意味する。アリストテレスの「第五元素」アイテールが。 スコラ学に受け継がれ、中世のキリスト教的宇宙観においても、天界を構成する物質とされた。語源はギリシア語αιθήρがラテン語Aetherを経由して英語Etherになった。物理学におけるエーテル、化学におけるエーテルの語源となった。
(物理)エーテル - 天空を満たす物質を表した。原義は「燃やす」または「輝く」である。主に19世紀以前の物理学で、光が伝播するための媒質を表す術語であった。地球は光を伝える「媒質」であるエーテルの中を運動していると考えられていた。イーサー(Ether、Aether)ともいう。
(化学) エーテル - R-O-R'で表される有機化合物。溶媒のジエチルエーテルも、単に「エーテル」と呼ばれる。 ジエチルエーテルが発見された際に、その高い揮発性を「地上にあるべきではない物質が天に帰ろうとしている」と解釈されたことからその名が付けられた。
*「部落史研究会」代表 和田 勉
弘安年間(1278) 「塵袋」の記載 「キヨメヲエタト云フハ何ナル詞バゾ」とあり、「根本ハ餌取ト云フベキ歟、餌ト云フハ、シヽムラ(肉叢)鷹等ノ餌ヲ云フナルベシ、其ヲトル物ト云フ也」
餌取とは、古代の兵部省主鷹司に所属していた官職の者で、鷹の餌を供給・調達しているが、被差別身分の人ではない。
餌取は、被差別身分を著す賤称語でなく 江戸時代にも「餌取」は存在していた。桑名藩の職員録といえる「分限帳」に武士身分として鷹匠の組の中に記されている。また、紀州藩松坂でも、寛文12年(1672)御鳥見4人、御餌指6人の武士があった。
これらの誤りを糺したのは、昭和24年に「部落史論考」を発表した塩谷孝太郎であった。「エトリ」は、「餌取」でなく、「穢取」で「ケガレ」を取り祓った官人の「キヨメ」であったと誤りを縷々糺した。
*** 以上 ***
CNM/市民メディアネットワークのロゴ (作者:濱月氏)
【陸山会事件解決に向けて水谷建設内部の犯罪を告発】
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