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リゾートホテル社長になった(地位保全仮処分申立中)脱原発活動家のブログ           ~街カフェTV/藤島利久~

どんなに苦しくても世の中が真実で満ちていればそれでいい  
どんなに辛くとも信じるに足る社会であれば人々は生きて行ける

竜馬伝から元親伝へ 声をあげよう

2009年12月10日 | 鳥無き島の蝙蝠

昨日9日は長宗我部を語る会(第2回)と、長宗我部参陣ツアーふりかえり会がカフェで行われた。県内の有志が集まって、日本中で盛り上がる元親人気に遅れまいと努力している。

坂本竜馬もそうであったようだが、どうも高知県人は身近にある宝の原石を磨くのが下手なようだ。元親人気も、戦国バサラなどで火がついた全国に先行を許し、地元高知では無関心な方が多い。

竜馬伝で盛り上がり、土佐観光は一定の盛り上がりを見せるだろう。高知を訪れる方々は歴史ファンが多いだろうから、「戦国武将 長宗我部元親」をアピール出来ればリピーターも増えると言うもの。

行政関係者は忙しく、動きも勘も鈍い。同じ竜馬伝を利して観光に力を入れる長崎に無いものは「元親人気」であることを、民間から伝え続けなければならない。

幸い、高知の若い知事はこの点に気付いている。みんなで声を出そう。

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(今年5月の長宗我部元親初陣祭のようす。なお、この写真は私も加筆を許されている高知ファンクラブのHPより引用しました。)


長宗我部元親は古代キリスト教を理解していたか・・・

2009年11月18日 | 鳥無き島の蝙蝠

見つけた~ 県立図書館でフロイスの「日本史」を片っ端からめくった。3度行って、最後は司書の方々に協力して貰った。感謝・・・

信親はキリスト教の説教を聞いて入信を希望し、数日後に死んでいた。元親は司祭の活動を擁護し、資金的援助を約束していた・・・

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土佐の自由な気風はキリスト教的博愛主義を受け入れ易かったのだろうか?やはり古代キリスト教を秦氏が信仰していたと言えるのでは・・・

日本で秦氏を祭るのは京都右京区太秦の太秦寺、中国で古代キリスト教ネストリウス派が建立したのは大秦寺である。

秦氏・長宗我部はネストリウス派の流れを引き継ぐものか?

元親は当初キリスト教を保護・援助していたとフロイスが記録している。

秀吉もキリシタンの処刑などは行っていなかった。なぜ、サン・フェリペ号事件では積荷を全て没収し、宣教師を処刑するなど、苛烈な仕置きをしたのか?カトリックから異端視され排撃されたネストリウス派の歴史的宿命(カトリックとの対立の公図)に気付いたのか?

スペイン系のフランシスコ会とローマ・ポルトガル系のイエズス会の対立か?その元親に秀吉が報償金を与えた訳は?元親は秀吉の大陸制覇の野望に乗って自分は西海の王になろうとした?

仁淀川河口の上ノ村遺跡で発見された石積み護岸は、元親時代の大規模な航路交易の存在を明示している。秀吉~元親ラインとは異なる貿易ルートで『抜け荷』を働く者を処罰した?

太秦寺のそばにある木嶋神社(蚕の社)には、三柱鳥居が境内の「元糺の池(もとただすのいけ)」の中に建てられている。空海が恵果和尚に学んだ頃の中国では、ネストリウス派キリスト教・キリスト教・マニ教が三夷教と呼ばれていた。三井寺は三夷教を習合したものではないか?という疑念が湧いてきた。

日本は世界の宗教の良いところを取り入れようとして習合させたのだろう。空海が19歳の時に著した三教指帰は宗教比較論である。成長して中国に渡った空海が比較・選別よりも習合・合一を求めたと考える方が解りやすい。

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考察中だが、空海が心血を注いだ密教の「密」は日曜日を表す。ミールの漢字での音写である。

ミスラがマニ教において光明神としての性格が強調された結果、ソグド語で日曜日の事もミールと呼ぶようになった。この曜日名としての「ミール」は宿曜道とともに平安時代の日本にも伝えられ、当時の具註暦では、日曜日に「密」「みつ」「みち」などと朱書きされていた。

後日加筆します。(この文章は手直しを繰り返して、歴史小説 『鳥無き島の蝙蝠』~長宗我部元親伝~の原稿にします)


習合と密教 西域との繋がり ~空海 理趣教 信長~

2009年11月14日 | 鳥無き島の蝙蝠

(この文章は手直しを繰り返して、歴史小説 『鳥無き島の蝙蝠』~長宗我部元親伝~の原稿にします)

「空海が受け取った仏教の原質」はよく知られていない。インドで生まれた仏教は、当初、偶像崇拝を否定していたが、ギリシャ文明と出会い初めて仏像を生み出した。つまり、日本に伝わった仏教はシルクロードの西側で欧州の壁に跳ね返され、弾圧を逃れて東に辿りついた仏教である。

逃れの里日本に辿りついた仏教が、古代ユダヤ・キリスト教と習合していた(故に異端として弾圧を受けた)という可能性は否定できない。

初期仏教美術(ガンダーラ美術)には、ギリシャ方面の彫刻技術が取り入れられた痕跡が色濃く残っており、仏教伝来の軌跡を辿るうえで非常に重要なキーになります。

「シッダルタの誕生」

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ガンダーラ美術は、ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名。開始時期はパルティア治世の紀元前50-紀元75年とされ1世紀~5世紀にその隆盛を極めたが、匈奴が侵入して繁栄も終わりを告げた。

大乗仏教は、この頃生まれた。「兜跋(とばつ)毘沙門天像」という頭に鳳凰のついた冠をかぶった像が存在し、毘沙門天の起源がギリシア神話のヘルメス(ローマのメルクリウス)であるという説がある。

岡山の上原遺跡で見つかったトサカをもった人面土器が関連あるかも知れない。Photo

こうしてみると、我々日本人が飛鳥時代後半に受け入れた仏教は、西域文化と習合した後の有仏像仏教であり、百済に伝わってから東洋的進化を遂げたものであったことが解る。日本は、仏教導入に伴い漢字と仏典だけを手に入れたと勘違いしているが、真実は遥かギリシャに繋がる西域の文化をも取り込んだ(習合していた)と言えるのである。

本地垂迹(ほんじすいじゃく)は、アジア圏の東西における宗教と学問が合一した結果ですから、これらを解きほぐして行けばいろいろなことが解ります。

空海は、三教指帰を著して、複数の宗教(学問体系)の中から仏教(インドを起源とする外国の学問)を選択し、中国に受け取りに行きました。日本の既存の宗教では解決できない問題を「習合」によって解決することが目的です。

空海が恵果に学んだ仏教は、既に偶像崇拝を認容していたから、西方に伝授された仏教が、イラン高原地方で進化した後、ソグド人などの隊商・騎馬民族の手によって東洋に伝わったと考えるべきだろう。

その昔、シッダルタが生まれた頃、イラン高原には、ソグド人という男女平等な契約に基づく結婚を認めた交易を得意とする騎馬民族が繁栄していました。彼らの都市はソグディアナと呼ばれ、中心地はサマルカンドです。空海が生まれ変わりと讃えられた「不空三蔵」の母はサマルカンドの女性です。

その昔、宗教は、生活規範であり、哲学・心理学・科学・化学・物理・数学・天文学・気象学などの学問の総体系であり、それらを神仏の力と融合させるものでした。

織田家が福井の剣神社で祭っているスサノオは牛頭天皇と習合しています。スサノオ・牛頭天王の神紋は木瓜紋で、津島神社を崇敬していた織田家は木瓜を家紋とした。津島信仰

この「織田木瓜」は鳥の巣を図案化したもので、ぬくぬくとした家庭をイメージしています。また、木瓜→胡瓜ですから「西域から伝わったもの」を意味しています。

牛頭天皇は明治期神仏分離令まで祇園社(八坂神社)の祭神で、古代インドのコーサラ国にあったという祇園精舎の守護神です。スサノオには奇稲田姫クシナダヒメが、牛頭天皇には頗梨采女ハリサイジョという妻がいます。織田家は男女の和合を祭っているとも言えます(昔の日本人がハヒフヘホをファフィフフェフォと発音していたことからすれば、ハリサイジョはファリサイ派のことか?)。

私は、これら全てが、「男女和合」を賛美する「理趣教」に繋がると考えています。「理趣教」が古代インドの性愛書「カーマ・スートラ」を仏教に取り込んだものと考えれば整合する。双方とも好奇の目で見られがちだが情欲を目的としたものではない。人倫の教えである。

日本の知識人は、空海以前から積極的に海外に知識を求め、様々な学問・宗教との「習合」を繰り返しています。

男女の自由平等・恋愛を賛美する思想が西域仏教に織り込まれ、日本の多神教と習合したことが解ります。女性を排斥し、女犯を禁じた仏教においては極めて異端です。

この理趣教を空海は後生大事に守り、弾圧を恐れて最澄には渡さなかったのです。

理趣教は、詳しくは「大楽金剛不空真実三摩耶経」といいます。私には『大変楽しい、ダイヤモンドのように大切なもので、空虚ではない真実(或いは、不空が見出した真実)が織り込まれたもので、ブッダの妻・麻耶を讃える経』と読めます。

そもそも麻耶(母)が産まなければシッダルタも仏教もこの世に無いのですから、仏教の女性排斥論は、空海には修正しなければならない宿題だったのでしょう。

私は、四国88か所が四国のへそに位置する高知県長岡郡本山町を中心とする結界であり、そこには空海が最澄に渡すのを拒んだ「理趣教(立川教)」を根本教義に据えた学問が栄えていたと考えています。空海は、自身が生きる時代には修正できないと考え、四国88か所をもって結界を張り巡らし、その中心地である本山町に密かに秘めた・・・ 証拠を集め、この推論の精度を徐々に高めて行きたいと思います。

いずれにせよ、空海は、私たち現代人が大切にし、人間の生活には当たり前と考えている「男女和合」「夫と妻が共に暮らす」ことを容認する経典を、遥か1200年前に輸入し、ダイヤモンドに例えていたのです。

次回は「密教がミトラ経(太陽信仰)」を表していることなど・・・ パンニャハラミツッタ~


鳥無き島の蝙蝠 NHK取材

2009年11月12日 | 鳥無き島の蝙蝠

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街づくりカフェでは 毎週金曜日に~鳥無き島の蝙蝠~長宗我部元親伝の小説作成会議(歴史談義)をしています 歴史好きのみなさん集ってください 

明日13日はNHKの取材が入ることになりました 小浜亭馬楽(中島茂男)さんの講談ネタを披露するかも・・・

カフェには たまに 美女美女が出現

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料理作って待ってます?(これは前回の松尾貴臣君の弾き語りパーティーの時。今月は15日にあります)7

千葉で 街づくりカフェが噂になってるそうな・・・  ってなんで千葉?高知では無名?9 

ミートオムレツ 鳥とニラともやしの炒め もの8


長宗我部を語る会(毎月第2水曜日)

2009年11月12日 | 鳥無き島の蝙蝠

「長宗我部を語る会」を毎月第2水曜に ゆうあい工房にて開催します(12月は9日)。

昨日の晩は 第1回目で長宗我部ファンクラブの面々も集りました。

土佐弁講談師 小浜亭馬楽さんが名調子で「土佐物語1巻」を語り 会のオープン

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その後はみんなで長宗我部 戦国 歴史会談 みんなの情報が合さって カフェが異様に盛り上がった

参加費300円(ワンドリンク付き)で  100円が馬楽(講談料) 100円が長宗我部ファンクラブ 100円がカフェに収納された

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野菜を買ったり貰ったり 明日のランチに使おう・・・

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酒を飲む人は メジカの酢漬けと ぶりの子の刺身で・・・ 旨かったPhoto_3

みんなが帰った後も 愛媛からわざわざ駆けつけた安岡君・ぴょっちゃん・馬楽と 蜜柑を食べながら 歴史談義 ・・・ 11時半・・・

慌てて帰った 安岡君は室戸の実家へ・・・ 御苦労さま

また 毎週金曜日の『鳥無き島の蝙蝠』 長宗我部元親伝~作成会で会おうと 約束

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最後まで残った ぴょっちゃん 自分が譲った壺が 照明になっているのを見て 『ええね~』

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