起きて半畳 寝て一畳

株式投資の記録を中心に、日々感じた事や考えたこと、読んだ本のことなどなど

仮面の告白その十二:乙女の姿しばしとどめむ ②白いストッキングの女

2005年08月15日 18時25分08秒 | 仮面の告白
【8月15日の市場概況】日経平均終値:12,256(-5円
 日経平均株価は小幅に続落。原油高や円相場の円高・ドル安基調など不透明な外部要因が、輸出関連株への売りを誘い、日経平均を押し下げた。
 個別では、シャープ、松下などのデジタル家電関連株が下落した半面、景気敏感株としての色彩が濃い大手銀行株が軒並み今年の高値を更新した。

【株式投資の記録:8月15日】
 ①トヨタ(08/11売建@4,390*1,000株)
  @4,320-で全部返済しました。6万円ほどの儲けです。(神様に感謝!)
 ②ソニー
  @3,700-で1,200株購入しました。
 ③任天堂
  @11,520-で500株買建しました。合計1,100株になりました。
 

【仮面の告白その十二:乙女の姿しばしとどめむ ②白いストッキングの女】 

 きのうの続きになります。
 デジカメがあったらぜひ撮りたいと思う妻の姿の二つ目は、クールベの「白いストッキングの女」のポーズです。

 クールベといえば写実派の巨匠で、「波」や「画家のアトリエ」が有名ですよね。
 そのクールベに「白いストッキングの女」という作品があるのを知っている人は非常に少ないと思います。この絵はバーンズコレクションに収蔵されている関係で、本屋に置かれているクールベの画集にはまず載っていないという作品ですから無理もないと思います。

 バーンズコレクションについてお知りになりたい方は、こちらをご参照ください。
 バーンズ・コレクションについて
 続 バーンズコレクションについて

 残念ながら画像はありませんので、文章の練習を兼ねて、故・池田満寿夫さんがこの作品について書かれている文章をそのまま書き移してみます。
 「美の王国の入り口で」(芸術生活社)の127ページです。白黒写真ですが作品の写真も載っています。

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 まず私が観たクールベのなかでもっともエロチックな絵であったことを第一にあげなければなるまい。この絵をみるまでは、クールベの画集でもこの作品の複製にはお目に掛かったことがなかった。今では複製で見ることも出来るが、一昔前まではあまりにエロチックで複製されることを禁じられていたのかもしれない。それとも例のバーンズ氏の厳格な複製不許可のせいだったのだろうか。

 この作品をざっと説明すると、若い裸の女性が草の上にこちら側をむいて座り脚をややもちあげながら組み、白いストッキングの一方を脱ぐか、はこうかとしていて、彼女の太く豊満な太ももが真正面に見える。つまり、ただそれだけのポーズの絵なのだ。

 しかし注意してみるとろ、しっかり閉じられた両太ももの境界線に、皺のような影とも線とも見えるものが認められる。あきらかに女性のセックスの最先端が暗示されているのである。

 さしずめ、浮世絵でいえばあぶな絵に類するものであろう。ただ違う点は描写がきわめてリアルな点である。今日の一般的な基準からいえばこの「白いストッキングの女」はそれを露出していないという点で充分にエロチックではないだろう。
 それにもかかわらず、いやむしろ、暗示にとどまっているという点において、この作品は驚くほどエロチックなのである。

クールベには、よく憶い出してみると他にも大変エロチックな絵がある。レスビアンを思わせる「眠り」とか「セーヌ河畔の娘たち」とか、あるいは「ハンモック」というなにげない絵のなかの女にも、すさまじいエロチシズムを感じさせるものがある。
 クールベはあまり好きではないが、そうしたエロチックな絵だけは好きであると、あえて私がここで表明する必要があるだろうか。どうも具合の悪いことになってしまったようだ。

 クールベにおけるエロチシズム。この男性的リアリズムの大家にそうした表題を選びだすのは大変興味ある問題を提示するかもしれない。腰の大きな農婦型の、最も典型的な西洋画の裸体像の見本をクールベのなかに見出してもおかしくはないかもしれない。

 蛇足だが、マルセル・デュシャンがクールベの「白いストッキングの女」のアレゴリーを「恋人たち」のエッチング集のなかの一点に使っている。「恋人たち」は十九世紀の代表的なエロチック絵画、彫刻をデュシャン流にアレンジしているが、それによってもクールベのこの作品が、ロダンの「接吻」やアングルの「トルコ風呂の女たち」と同様に、十九世紀における最もエロチックな作品の傑作の一つに選ばれていることは賛成である。
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 妻にこの「白いストッキングの女」のポーズをとらせるのは、至難の業だったろうと思う。なにしろ妻が太いのを気にしている「脚」が主役のようなポーズなのだから。土下座して頼んでも無理だったかもしれない。

 妻の似たポーズなら、エッチのときにいくらでも目にした。
 下着をはいていて、閉じられた両太ももの境界線に、女性のセックスの最先端が暗示されていた時もあれば、注意してみなくても、最先端がリアルに見えるときもあった。

 いにしへに なほたちかへる 心かな 恋ひしきことに もの忘れせで
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バーンズコレクションについて

2005年08月15日 18時18分51秒 | エトセトラ
 バーンズコレクションのことをご存知でない方もいらっしゃると思います。そこでまた、文章の練習を兼ねて、故・池田満寿夫さんがバーンズコレクションについて書かれている文章を書き移してみます。

 「美の王国の入り口で」(芸術生活社、1976年12月10日初版発行)"第八章 伝説の美術館"(116ページ~)からの抜粋です。

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 バーンズコレクションの存在を知ったのは一九六七年にベルリンにいた時だったような気がする。前述の訪問記を書いた富山氏がベルリンへ寄った時、たぶんそのコレクションの話を富山氏から直接聞いたのかもしれない。
 すでに私は一年近くアメリカに滞在していたのに、ニューヨークにいた時もフィラデルフィアへ行ったときも、バーンズ・コレクションの存在を誰も教えてはくれなかった。

 私が富山氏からの話でまず驚いたのは、このコレクションがセザンヌだけでも七十点も所蔵しているということだった。ルノアールに至っては百八十点位所蔵しているという。

 この世の中にセザンヌを七十点も持っている個人コレクションが存在しているなんて、私にはとうてい信じられなかった。同時にそれほどのコレクションを私がニューヨークにいながら、まったく知らなかったことにも驚かざるを得なかった。

 富山氏の訪問記によると、まず彼もその数量を疑ったらしい。彼はだからセザンヌ何点、ルノアール何点というように一点ずつ数えていき、実際にその数量にいつわりのないことを確認している。

 私が一年後にバーンズ・コレクションを訪れた時、富山氏が数えてくれてあるので自分でもやってみる労力は省略したが、本当に数えて見なければ、いったいセザンヌ、ルノアール、ルソー、マチスなどが何点ずつあるのか見当もつかなくなってしまったたせろう。

 しかもきわめて良質の、一級品のセザンヌやルソーがあるのである。玄関を入った大広間の陳列室に足を一歩踏み入れたとたん、壁にところ狭しと掛けられた名品の数々に、誰でも一瞬息をのまざるを得ないだろう。高い天井近くまで二段掛け三段掛けにセザンヌやルソーやマチスが並んでいるのである。

 ここでは他の美術館とは違い、展示作品を歴史的系統的に陳列する必要がないので最初の大広間にこのコレクションの選り抜きの傑作を集中させることが出来る。
 セザンヌの「大水浴」「カルタを取る人々」「セザンヌ婦人像」、マチスの壁画、それにアラビア風の男の肖像の大作、スーラーの「ポーズする女たち」の大作。ルノアールの大作数点。ルソー数点。

 全体の収集作品を見ると、印象派及び後期印象派が数のうえでは圧倒的に多いが、ボッスやデューラー、コロー、クールベなどもある。おそらくルソーだけでも数十点はあるだろう。
 すなわち、バーンズ・コレクションの最大の特徴はセザンヌ、ルノアール、ルソーの三大画家の作品を集中的に所蔵している点にある。この三人を合わせただけでゆうに三百点を越える。

 しかし、これらの画家たちの絵は、セザンヌの部屋とかルソーの部屋とかに分類されておらず全館及び各部屋にそれぞれが分散されて陳列されている。つまり各部屋が一人の画家に独占されずに、いつも様々なコンビネーションによるアンサンブルを注意深く考慮して配置しているのが特徴である。

 こうした特質は個人コレクションにだけ可能な贅沢さであろう。一部屋ずつが小さなサロンを形成しているのである。だから家具類、それもおそらくはきわめて高価な時代物の家具や工芸品類が、各部屋に配置されている。いってみれば美術館というより個人のおそらく金の掛かった豪邸を特別に鑑賞させてもらっているおもむきなのである。

 したがって、毎日開館しているわけではなく、しかも入館の人員も限定されている。一年のうちある特定の期間、毎週土、日の二日間だけ、予約済みの二百人だけに鑑賞が許可されるだけである。

 数年前までは六カ月前から予約を申し込んでおかなければシーズン中に許可がおりず、次のシーズンまで待たなければならなかった。私たちが最初に訪問した時は、確か三カ月前に予約して許可書を手に入れたような気がする。日本でいえばさしずめ桂離宮見学のシステムに似ている。

 ところが一年前に訪れた時は土、日曜の限定にはかわりがなかったが、突然行っても、午前中なら入館させてもらえた。予約者の数が減ったためか、全体に入場者数が緩和されたためか私には判断出来ない。そうした制約があったにもかかわらず、私はいままでに三度もここを訪れている。いつでも自由に入館出来ないことが逆にもう一度訪れようとする欲望をかきたてるからであろうか。
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 長くなりましたので、残りは明日にします。
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