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続・バーンズコレクションについて

2005年08月16日 09時55分54秒 | エトセトラ
 この前の続きです。
 池田満寿夫「美の王国の入り口で」"第八章 伝説の美術館"(116ページ~)からの抜粋です。

119ページ ---------------------------------------------------------------------------
 バーンズ氏が生存中は、一般には公開されていなかった。というのは伝説の語るところによると、多分二十世紀のはじめ頃、パーンズ氏はヨーロッパから自国へ持ちかえった印象派を中心とするこれらのコレクションを、はじめは公開するつもりでいた。

 彼は美術的に保守的なフィラデルフィアに当時としては最も新しい傾向の美術館を公開することで、美術家、学生一般市民たちにヨヘロッパの新風をそそぎ込み、美術に対する新しい認識を拡めようという、きわめて啓蒙的な野心を持っていたからであった。

 ところがいざ公開してみると、彼は当時の人々から一斉攻撃をうけたのである。コレクション自体に対する嘲笑や誹謗と同時に、バーンズ氏自身までもが、おろかな狂人にされてしまった。

 この予想もしなかった非難の集中攻撃に激怒したパーンズ氏はただちに美術館を閉鎖し、二度と公開しないことを宣言してしまった。

 印象派が世間に認められるようになり、彼のコレクションに対する評価が再認識されるようになってからでも、バーンズ氏はかたくなに、特に美術関係者にコレクションを見せることを拒絶し続けた。例外といえば美術学生だけだった。

 生存中、彼はこの誓いをとうとう守り通してついに二度と公開されることはなかったのである。遺言にも公開を禁止しているほど、かって受けた誹謗に対する怒りは強烈だった。

 ところが死後、遺族たちは残されたコレクションの税金問題で、法人システムに変更せざるを得ない窮地に追い込まれた。つまり法人としての義務をはたすために一般にたいする公開を強制されたのである。
 そこで遺族たちは法的に認められる最小の公開日数を選び、しかも入場者数も限定してしまった。

 実にバーンズ・コレクションのいかなる作品の複製も許さなかったから、コレクションの内容を知りたい人間はどうしてもここへ来なければ知ることが出来なかった。
 そして複製はバーンズ氏自身の著作にだけ使われ、他の人々には複製権は与えられなかったのである。今でもバーンズ・コレクションの作品を他の画集で探し出すことは大変難しい。勿論、入館者はカメラの持ち込みを禁じられている。内部はともかく、外観を撮影することも禁じられている。

 これほどなにもかも厳格な美術館だったが、驚いたことに入場料は無料であった。一人十ドル支払わされても観ないわけにはいかなかっただろう。郵送で送られてくる入場希望者に、郵送で入場券を発送する手間と費用および美術館の管理、ガードの人件費などを考えればこの入場無料は驚くに値しよう。
 
 私がバーンズの遺族なら、愚鈍な大衆に仇を打つために百ドルは要求するかもしれない。ひょっとしたら入場無料の理由は、入場料をとったら週に六日公開しなければならなかったからかもしれない。

 いずれにしろバーンズ・コレクションにまつわる伝説は、名実ともに最高級のコレクションの内容を目の当たりに眺めたあとでは、悲愴感よりもユーモアの方を与える。
 一度この豪邸へ足を踏み入れれば、そこがいかなる美術館よりもくつろいだ気分で名画を鑑賞出来るのも不思議である。それは個人コレクションの持つ特別な雰囲気のせいであろう。
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1.私は観ていませんが、今では、バーンズコレクションの収蔵作品を紹介するDVDが発売されています。
  

2.旅行会社からは、バーンズコレクションの見学ツアーも発売されています。
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