二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

揺れたい気持ち、揺れる気持ち

2013-03-08 10:42:59 | ■工房便り 総合 
不完全な物に魅かれる気持ちというのは誰の中にもあるのかもしれません。

反対に完成度を求める気持ちというのもあるのでしょう。

ぴっかぴかに光った漆の箱や、ステンレスの鏡面などの綺麗さを追い求める気持ちというのは有りますが、渋く底光りするような銀の肌などもとても魅力があります。

極端に言うと、ステンレスの鏡面よりも、錆びて朽ち果てたような鉄の肌というのは、とても人の気持ちを惹きつけるところがあります。

あまりにも人間的なとよく言われる、私のような不完全な人間は、
何百年も風雨にさらされた、お寺の鐘つき堂の音と共にその柱や桁組みの木の肌にも惹かれます。

極彩色に彩られた、関帝廟の漢寿亭候の像よりも、
胡粉の下地が現れその木の肌合いが透かし見えるような{日光月光の像}の方がよほど美しく見えるというのは、日本人の感覚なのかもしれません。

二胡は倍音が多いと言われます。

その理由のひとつは、二本の弦が千斤で束ねられているということにもよります。

一本の弦を弾いていても必ずもう一本の音も混ざってしまうのです。

たまにいらっしゃるのですが、二胡の音を聴くとどうしても耳が痛くなる方もいらっしゃるようです。

いわゆる雑音として聴いてしまうのかもしれませんし、脳のなかで他に影響してしまうのかもしれません。

一度やってみると解りやすいのですが、弦を一本だけ外して弾いてみます。

そうするといわゆる二胡の音の複雑さが相当減ります。

大変バイオリンなどの音に近くなります。

クリアーになるとも言えるでしょう。

この二本の音が同時に鳴っているということが、二胡の音を作り出しているのかもしれませんし、楽器によっては、その木の振動と弦の振動とのバランスが悪く、とんでもない雑音に聞こえたりもします。

でもこれも二胡なのです。

人の気持ちが、クリアーな部分だけで出来ていないのと同じでしょうか、

感情におぼれ、囚われ、鬱々とする人の気持ちは誰にでもあることです。

良きことも悪しきことも含んで人の日々の生活が営まれています。

それらの複雑に揺れる感情というのを表現するのはとても難しいことです。

クリムトの捲るめく様な光の世界もあれば、ムンクのような「叫び」そのものを画面に定着させる絵画も有ります。

本来ならば地球の重力に逆らえない人の体が、ウイリアムブレークの手によれば軽やかにも大気中に浮かび上がるような世界も表現出来ます。

一枚の絵の中にそれらの感情や感覚は固定化されます。

目でとらえる絵画より、音楽は直接脳に響きます。

振動として直接脳の波長に共振するのかもしれません。

音楽は日々揺れ動きます。まして自分で奏でる楽器達はその人々の日々の感覚に左右されます。

音楽は光と色を同時に発生させ、感情を直接刺激します。

二つの弦が同時に発音することにより二胡は、日々揺れ動く人の心に近いのかもしれません。

揺れるから二胡であり

揺れるからこそ人々の感情に触れ、

揺れたいからこそ、人は二胡を選ぶのかもしれません。





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1 Comments

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無常 (platinum_erhu)
2013-05-11 22:45:14
.遠心力と求心力のバランスしたところにわれわれが在ることを
しかも避けがたくエントロピーにさらされていることを
ふたつながら証かせばこそ
手びねりの茶碗もうつくしいのですね。

総身をふるわせて鳴る二胡もまた・・・


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