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二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡の音色その3

2010-06-27 20:32:58 | ■工房便り 総合 
音色という言葉が日本語の中にはあります。

音に、色があるということなのでしょう。

あるいは、音で色を感じると言うことなのかもしれない。

それなら、解る気もしますね。

私の頭は、よくよく屁理屈なのか、あるいは感性と言うのを、それほど信じたくないのか?

なんとなくで、御互いに納得している言葉と言う物が、日本語だけでなく沢山あるのでしょう。

私は、若い時によく、祖父に言われたことがありました。

「ちゃんと、言葉で説明できないというのは、お前がそのことをホントの意味で理解していないから、言葉にならないのだよ。」

そうなのか?

岩に、染みいる虫の声。

この言葉一つとっても、私には、完全には、説明できはしない。

もしかすると、この言葉達は、音と意味の複合体なのかもしれません。

あるいは、そこから喚起される、共通体験の映像なのかもしれません。

うまく説明できる人が、いたら教えてほしいです。

と言うのはさておいて。

音と色と言うのは、共通部分もあります。

ようするに、両方とも、自然界にある、電波(振動)であるということでしょう。

音はそれこそ、まさに振動です。

色も、あるものに、光が反射してそれらの波長の中で、人が目を通して、感じられる、

波長の一部だと言えます。

もちろん振動数は、かなり違いますが、目の認識できない波長も当然反射しているのでしょう。

音の中には、共振するものが沢山あります、同じ音の、一オクターブ違う音などは、まさに、鳴ります。

それと同じように、ある音が、鳴ったとして、その音に共振する、可視範囲の共振音の波長と言うのはあり得るのでしょう。

だとしたら、色を感じる音、もしかしたら、それは、単音では無く、複合体なのかもしれません。

暗闇などで、何かの音がしたとき、いきなり目の前に、光を感じる体験をした人も多いと思います。

その時は、その音の質により、色も変わるのではないでしょうか、?

音叉が鳴る音で、色を感じると言うのは、比較的あまりないのではないでしょうか。

音叉そのものの音が、単一の、振動だからでしょう。

音色と言う時、それは、音の複合体の時が多いように感じます。

フルートの音色、トランペットの音色、二胡の音色と人が言う時、

単なる音と言うより、その言葉に、共通の人の記憶と言うのを、含ませています。

フルートの音が喚起する、人の共通体験、あるいは、その音が脳を刺激して、あるホルモンなりを、出すのかもしれません。

そのことによって、喚起される、共通体験を、感じるのかもしれません。

ある、友人が、このように語っていました。

「エルガーの、威風堂々聞くと、つい、胸を張ってしまうのは何故?」

その場にいた7人ぐらいが、皆、見事に賛同しました。

確かに、胸張って、顎を引いて、多少毅然となるようです。

貴方は、どうでしょう?

音楽の中には、そのようなこと、が相当複雑に、重なり合っているのではないでしょうか。

ですから、音色、単なる二胡の音、というのとは違うような気がします。

二胡の音色が喚起する、と言われる、癒しの音、というのは、よく聞かれます。

何故癒しなのでしょう?

実は、私は、あまり癒されているという感じは、二胡を聞いたときはありません。

ただ弾いた時は、不思議と、癒されると言うのはあります。

それは癒されるのか?

慰められるのかは、別にして、膝を通じて、腰を通じて、手を通じて、夢中に嵌ってしまい、時を忘れると言うのはあります。

このことはもしかしたら人に依るのかもしれませんが、不思議とフルートを吹いているときには、よほどのことがない限りありません。

不思議と、二胡を弾いているときは曲になっていない単なる音階的な、自分の気の向くままに、音を出していたりします。

どうでしょう?みなさんは、そういう経験は無いでしょうか?

それが癒されるということなら、確かに、忘我の境地、と言えるかもしれません。


続く


西野和宏



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音と色 (Tomomi)
2010-06-28 16:25:22
私もこういうことに想いを巡らすの、とても好きです。

人も、ある意味『波』ですしね。
色や音の『響き』とは、人との共振があって初めて感じられるものなのかもしれません。
音色に感動するのは、その人の心に響いたからこそ。
そういう意味での『響き』って、単に見える・聴こえるものではなく、
「染みいる」という表現が似合う気がしました。

色も、音も、人の眼と耳があって初めて生まれるわけで・・。

光や空気の中に、色や音を見いだすということは、
自分自身を見つめることと同じことなのかもしれません。


色には音があり、音にも色がある。

人にも色があり、音がある。

二胡の音色は、まるで人の映し鏡みたいですね。


西野さんの言葉は、感性と理性のイマジネーションを
両方とも膨らませてくれるのでとても好きです。

続きも楽しみにしてますね~
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嬉しいです (nishino)
2010-06-29 08:33:53
誰も読んでくれていないのかという、さみしさもあるのが、ブログですね。

本なら、売れてる売れてないと言うので解ります。

tomomiさん、私の話しに共振してくれる人が、いると言う、こと、これほど嬉しいことはありません。

人は、人に共振してもらって初めて、自分の音認識できますから。
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