二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡物語、その14。

2012-04-16 11:47:49 | ■工房便り 総合 
日本人の感性の一つに、完成度を上げると言うのが有ります。

非常に細かいところまで、目が届き、手が回ると言うのでしょうか。

あらゆる状態を考えて、それらを目的に合わせて、これ以上無い形にまで持って行く。

或いは、これ以上磨けない所まで磨き込む。

それが高じて見えない所にまで手を入れると言うのは日本人の物作りの一つの基準にもなっているようですが、そのおかげで、と言いますか、その考え方が間違った方向に行くとえらくつまらない物を作り出してしまったりもします。

見えないのですから、作る人の自己満足でしかない場合も有ります。

着物の裏にまで手を掛けた意匠を施すなどというのは、購入者の見栄や製作者の自己満足がでているとも感じられます。

見えない所に手を入れてと言いますが、歩いている時に、着物の裾が翻って見える時もあるのです。ホントの意味で見えないわけでは無いと思います。

ホントに見えないのではなく、いつかは、誰かに見られるだろうと言う思惑。私なんかに言わせると、結構いやらしいですね。

私は潔いの好きですから。
ある意味潔いというのも、かなり日本的ですね。
私は、(すみません私ごとばかりで)何かを始める時にどうやって終わらせるか考えます。それがいつまでも続くとは思っていないのです。

ですから、光舜堂もどうやって終わるかは考えてありますし、いつでも止める、終われるということも頭の中には在って、その計画も出来て入るのです。
慎重派?、潔い?私としては始末もつけられないで物事を始めるなという考えなのです。

さて、楽器は見た目の工芸的な良さというのも勿論ありますが、やはり音の性格や、響きなどが基準となるものです。

完成度というのが、見た目とは違うかもしれないのです。

そういう点では、ギター作りの西君の言う魅力的な音作り良いですね。
日本人でありながらアメリカ人にギター作りを教わった西君の感性が活かされているのかもしれません。


日本的というのが、どんなことかよく考えることが有ります。

「和」という感じとは違いますね。

「和」と言うと皆さん共通して感じるのは、どちらかというと、詫び茶に代表されるような、自然を自然のままに取りこんで、簡素な精神世界を作り上げるような雰囲気のある言葉になります。

しかしそれだけが日本とも思えないのです。

日光の東照宮と京都の桂離宮殆ど同じ時期に作られています。

桂離宮はそれから何十年かは掛けて今の形になったと言われています。

この二つの建築群と庭は、殆ど江戸時代の初めの同時期に作られていますね。

その両方の感覚はとても同じ時期のものとは思えないぐらいに違います。

もちろん、発注者が違いますし、同じ時代だと言っても、建築家それぞれの個性というのが有りますから違うのは当然なのですが、400年を経て両方共に日本的と言われてはいます。

しかし、普通「和」という時に思い出すのは、桂離宮ではないでしょうか。

ついつい日本文化と言うと、室町以後、江戸時代に作り上げられた物が、日本的なと思われる方も多く居ると思います。

でも、その中でも、吉原や、円山に代表されるような、或いは歌舞伎に見られるような絢爛豪華なセンスというのも有ります。

鎖国という物があったおかげでしょうか、江戸時代にはある意味、日本、「和」という物が、他の国の影響が比較的少なく、それまでに入って来た中国からの文化を煮詰めて煮詰め上げた世界になったような気もします。

新しく入ってこないのですから、一つの物を突き詰めていったとも言えると思います。

250年間他の国からの影響を排除したのですから、かなりの純粋培養と言えるかもしれません。一つの物を突き詰めて言った場合、それは微に入り細に入りということになるでしょう。

当然行き着くところまでいけば、見えないところまで手を入れていくという事なのかもしれません。
しかしその点だけを追いかけると、大本の本質を忘れてしまいがちになるということも言えます。

今、残っている「和」という感覚は、その江戸時代に培われたものたちが、明治期になってヨーロッパの文化、文明が入ってきて、それに対応するように敢えて日本を意識した「和」という物が作られたようにも思います。

むしろ江戸時代やその前の時代というより、この明治以後、ヨーロッパの文化が入り始め、それに対応すべく、一度自分たちの文化を見直した時に作り上げられたような気がするのです。

物作りの世界でいうと、民芸運動みたいなものです。

ヨーロッパ的な考えに基づいた、日本の見直しとも言えるかもしれません。

その後、アメリカの文化が入り始め、一時期はそれを受け入れる事のみが正当と言われるような生活でいたが、そこはやはり日本人でしょう。

和の見直しというのが始まりましたし、コンピューターの発達のおかげで狭くなった世界の付き合いに今どうやってその日本的な「和」という物が受け入れられるのか。

或いはどのようにその日本人という事を意識した上で、世界に向き合うかという時代に入り始めたようです。


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