ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

「ふところ深く」~ボランティアの再体験

2010年04月18日 00時53分50秒 | NPO
今日は、「なくそう!子どもの貧困ネット」の来週日曜に行われるシンポジウムの実行委員会。

ボランティアで関わる気楽さと、気楽であるから言えることや、できることが、あるんだなぁ、と今日もまたしみじみ思う。

大きなイベントの1週間前、仕事だったら戦々恐々として、毎日ピリピリしているような時期。

それが、今日も流れや、役割や、肝となるアピール文ですら、まだ叩き台だったりするのが、のどか。
それでも当日は、なんとかやれてしまうだろうという、気になれるんだ、というのは大きな発見です。

確固とした組織があるというのは、安定と強い力を内包することにはなるけれど、それだけに重たいものを背負うことにもなるんだなぁ、と実感する。

組織の形の決まらぬ中でのボランタリーな関わりは、とても自由で、素の私のままで、私にやれることでしたら、やりますよ~、と、積極的にも、おとなしやかに様子を見守ることもできる。


市民の強い社会を作る上で、ボランタリーな関わりがしやすいコーディネーションが必要だという思いが、もう1つフリーで関わる非営利組織評価検討会に参加してきて、特に強く感じる。


それを、今まではボランティアからはじまってスタッフとなり事務局長となり、自発的な市民によって作られた組織を形にし推し進めていく中での経験から考えていた。

一方で今日のような気楽ないち市民として参加する側に、今一度立ちなおして、再体験というのか、この理論は正しいかを、再検証しているような気もする。

立場が変わると、また組織体の在り方が変わると、おしなべては言えない。
だけれど、ふところ深く、多くの人と、一緒にあることについて考えていく同士(同志は強すぎるけれど)として、互いの手を強くもまた緩くも携え合うことは、そこにほんのちょっとコミットするだけの人も含め、また一聴衆として参加する人も含めてと言ってもいいかもしれない、市民を強くする、大きな0から1への一歩だと感じる。


「ふところ深く」が、今日見つけたキーワード。
忘れないようにメモしておこう。


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