ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

「新しい公共」の公の役割

2010年04月18日 01時29分34秒 | NPO
今日の「なくそう!子どもの貧困」の実行委員会の中の発言で、
ふっと心をとらえられたのは、
「公には公の責任ですべき役割がある」
ということ。


「新しい公共」という言葉は耳触りよく、
市民と行政が互いに手を携えて、
と、プラスのイメージをもって捉えている。

しかしながら、ここ相次いで、あれ、何か論点のすり替えがないか?
と思う政策が次々と打ち出されてきていて、
政府がこの「新しい公共」という言葉を使った時には、
危ないな、と思うアンテナを立てた方がいいだろう、
ということに、今の段階で2つ具体的に思っていることがある。

一つは、NPO税制改革PTの中間報告。

NPO法人が指定管理を受けて自治体の仕事を委託されている。
これは、そもそも委託を受けるNPO側に、かなり強いマネジメントの意識があり、
行政とやりあえてなおかつ、という部分を持って受託しないと、
ただの安い下請け先となってしまう危険性を秘めている。

税制の改革で税控除の対象となるNPOを増やし、
NPOが寄付を受けやすくする制度としよう、という提案で、
本来喜ぶべきなのだけれど、直感的に、
委託費のさらなる削減の格好の理由に用いられるのではないだろうか、
という気がしてならない。

私自身も含め、マネジメントに厳しくあるところに立つNPOは、
NPOの法人側が、もっと襟を正して市民に支持される存在にならない限り、
公的サービスと、NPOのサービスとを、比較したうえで
NPOを支持する市民の層は生まれないと考えている。

結局、行政が支出するお金を出し控えたいがための布石の一つなのではないか、
というのが、いまの私見。


もう一つは、子ども手当。

市民のみなさんがサービスを自由に選んで、どうぞ、と現金給付されているけれど、
公の責任でやらなくてはならないことを、市民に投げ出して責任転嫁させているようにすら見える。

子どもを産み、育てるという「保育」の分野は、民間参入が盛んだけれど、
その経営を見ると、公のお金が不十分であり、
子どもを安全に安心して整った環境の中で保育できるだけの資金的保障はなく、
そのしわ寄せは保護者の保育料負担分として増え、かつ
職員の給与のベースを見る限りではワーキングプアを生み出す土壌になっている。

認可保育所の状態も私の目で確かめたいくつかの園に関して言えば
十分とは言えない。
無認可でも、あるいは東京都の認証を受けた保育所の中にも、
認可保育所よりも手厚い保育が行われている園もあれば、
閉じ込めていると感じられる保育所もある。

子ども手当でチョイスできるだからいいじゃないか、ではなく、
子どもの命が確実に守られることにこそ、
国は取り組むべきだろう。
少子社会を国家が本気で憂うるのならば。

かつ、そうして質を落とさずして、待機児を0にすることをこそ、
少子化を嘆く国家であれば、何にも先んじて手を尽くすべきところを
子ども手当という形で市民に、手放してしまっている。

保育事業への規制緩和や民間参入の促進は、「新しい公共」とは言わない。


ふたっつの違和感。

「新しい公共」のお題目のもとに、
公の責任放棄がいつの間にかなされる前に、
公が、けして手放してはいけないことはなんなのか、
税金を投じてもやらなくてはならないことはなんなのか、
きっぱりと市民は市民の側で鋭くアンテナを立てて、
事業仕分けでもなんでも、目の前にある、身近にある、わが身にこうむる
行政サービスについて目を光らせていける力を持つことが急がれる。


問われているのはいつも、私、の側だ。

一貫して、今日、朝から夜までさまざまあった出来事の中で貫いてた。


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