ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

渡辺美惠子さん「働く親でいいかしら」 ~むむちゃんとの時間

2010年04月17日 16時46分14秒 | 子ども
昨日は仕事がお休みだった。
来週の途中からまとまったお休みをもらえることになった。

ドクターストップをかけてもらって、
ペースダウンすることがかなった。
自らの意向かと問われると、はっきりそうです、とは言えなくて、
でも、いただけた休みのありがたさはかわりない。

お休みについて、いちばん案じていた人に電話をしたら、
「むむちゃんにとって、それは最高にいいことだね」
と。第一声に言われて、ハッとした。

期間限定のこのお休みをどう過ごすのか、
自分のことばかりを考えていた私。

下校時刻を確認して、通学路の途中で寒い風の吹く中
学校から帰ってくるむむちゃんを待つ。


帰ってきたむむちゃんと、夕食のメニューを考え、
足りないものを近くのお店まで買いに出て、
一緒に作る。寒いから今日は豚汁を!

さっさと作ってしまっておやつを食べながら、
むむちゃんにたずねてみる。おそるおそる。
「ママがおうちにいて、むむちゃんが学童に行かないで
おうちにまっすぐ帰ってきてママとすごすのは、どう?」

間髪いれず
「たのしいに、きまってるじゃぁ~ん!」

・・・そうか、そうなんだ。


あけて、今日は保育園の講座の日。
タイトルは「働く親でいいかしら」

前日のそんなやりとりを胸に抱えながら、お話を聴く。

のっけから、答えはひとつ。

“働いていていも働いていなくても、
さまざまな事情があって働かざるを得ない状況、
働くことのできない状況も含めて、
それが「私の決めた」、「私の生き方」、と、
そう私自身が思えれば、それで〇”

そうなんだ。
仕事にボリュームをかけすぎかな、
でも放り出せない責任感をどうしようもなく、
投げだせない自分をどうしようもなく、
だから、せめて、
「ママ」と呼ばれた時に、振り返る。
「ママ、見て」と呼ばれた時に、見に行く。
そんな迷いながらのぎりぎりを行きつ戻りつしながら、
その迷いも含めて母の姿として、子どもたちは見ていくのだろう。


“人生は平らではない。”
というのも、今日、いただいた言葉。

むむちゃんにとって、物心ついたようになってからの私は
ずっと働く母で、ずっと、働くことが好きな母で、働きすぎる母だったはず。
お話の中の、
“働くことに逃げていたこともあった”
という言葉に、素直にうなずいて、
ちょっぴり泣きそうになった。
働く場が私の背筋を支えてくれていた時期が確かにあったから。


私にとって今回与えられたお休みは、
むむちゃんにとって、働いていない母と、一緒に過ごせる、
もしかしたら、数少ない時間かもしれない。
もしかしたら、ずっと続くことになる時間かもしれない。

でも、その時、その時、与えられた環境の中で、
子どもというひとりの人と、私というひとりの人がいて、
互いに相手をはかったり、考えたりしながら、
環境や、状況の波に揺られながらも、
一緒に生きていき続けることができるのが、家族の尊さだと、
今日あらためて、気がついた。

尊い、むむちゃんと、ぷうちゃんの存在。
そして、尊い、私自身の、存在、と、いってもいいのだろう。
ダメな親だけど。

人生に、いいお休みをいただいた。

そのスタートとして、あまりに上々の今日のお話。

みこちゃん、ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。


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2 コメント

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なぜだか…(涙 (彩っち婆)
2010-04-17 21:10:52
歳のせいか涙もろい私自身に驚き。
真剣に生きてる親を見て育つ子供は幸いだと思います。
お身体大事に、いつまでも…。
彩っち婆 さま (ことり)
2010-04-18 12:31:06
いつもありがとうございます。
不器用にしか生きられないことは残念だけれど、不器用なりに精いっぱい生きていることは、自分をほめてあげてもいいのかな、と、そんな気持ちです。
自分をほめて、そんな母でも大好きでいてくれる子どもたちに感謝して、生きられればいいな、と思います。

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