昨日は仕事がお休みだった。
来週の途中からまとまったお休みをもらえることになった。
ドクターストップをかけてもらって、
ペースダウンすることがかなった。
自らの意向かと問われると、はっきりそうです、とは言えなくて、
でも、いただけた休みのありがたさはかわりない。
お休みについて、いちばん案じていた人に電話をしたら、
「むむちゃんにとって、それは最高にいいことだね」
と。第一声に言われて、ハッとした。
期間限定のこのお休みをどう過ごすのか、
自分のことばかりを考えていた私。
下校時刻を確認して、通学路の途中で寒い風の吹く中
学校から帰ってくるむむちゃんを待つ。
帰ってきたむむちゃんと、夕食のメニューを考え、
足りないものを近くのお店まで買いに出て、
一緒に作る。寒いから今日は豚汁を!
さっさと作ってしまっておやつを食べながら、
むむちゃんにたずねてみる。おそるおそる。
「ママがおうちにいて、むむちゃんが学童に行かないで
おうちにまっすぐ帰ってきてママとすごすのは、どう?」
間髪いれず
「たのしいに、きまってるじゃぁ~ん!」
・・・そうか、そうなんだ。
あけて、今日は保育園の講座の日。
タイトルは「働く親でいいかしら」
前日のそんなやりとりを胸に抱えながら、お話を聴く。
のっけから、答えはひとつ。
“働いていていも働いていなくても、
さまざまな事情があって働かざるを得ない状況、
働くことのできない状況も含めて、
それが「私の決めた」、「私の生き方」、と、
そう私自身が思えれば、それで〇”
そうなんだ。
仕事にボリュームをかけすぎかな、
でも放り出せない責任感をどうしようもなく、
投げだせない自分をどうしようもなく、
だから、せめて、
「ママ」と呼ばれた時に、振り返る。
「ママ、見て」と呼ばれた時に、見に行く。
そんな迷いながらのぎりぎりを行きつ戻りつしながら、
その迷いも含めて母の姿として、子どもたちは見ていくのだろう。
“人生は平らではない。”
というのも、今日、いただいた言葉。
むむちゃんにとって、物心ついたようになってからの私は
ずっと働く母で、ずっと、働くことが好きな母で、働きすぎる母だったはず。
お話の中の、
“働くことに逃げていたこともあった”
という言葉に、素直にうなずいて、
ちょっぴり泣きそうになった。
働く場が私の背筋を支えてくれていた時期が確かにあったから。
私にとって今回与えられたお休みは、
むむちゃんにとって、働いていない母と、一緒に過ごせる、
もしかしたら、数少ない時間かもしれない。
もしかしたら、ずっと続くことになる時間かもしれない。
でも、その時、その時、与えられた環境の中で、
子どもというひとりの人と、私というひとりの人がいて、
互いに相手をはかったり、考えたりしながら、
環境や、状況の波に揺られながらも、
一緒に生きていき続けることができるのが、家族の尊さだと、
今日あらためて、気がついた。
尊い、むむちゃんと、ぷうちゃんの存在。
そして、尊い、私自身の、存在、と、いってもいいのだろう。
ダメな親だけど。
人生に、いいお休みをいただいた。
そのスタートとして、あまりに上々の今日のお話。
みこちゃん、ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。
来週の途中からまとまったお休みをもらえることになった。
ドクターストップをかけてもらって、
ペースダウンすることがかなった。
自らの意向かと問われると、はっきりそうです、とは言えなくて、
でも、いただけた休みのありがたさはかわりない。
お休みについて、いちばん案じていた人に電話をしたら、
「むむちゃんにとって、それは最高にいいことだね」
と。第一声に言われて、ハッとした。
期間限定のこのお休みをどう過ごすのか、
自分のことばかりを考えていた私。
下校時刻を確認して、通学路の途中で寒い風の吹く中
学校から帰ってくるむむちゃんを待つ。
帰ってきたむむちゃんと、夕食のメニューを考え、
足りないものを近くのお店まで買いに出て、
一緒に作る。寒いから今日は豚汁を!
さっさと作ってしまっておやつを食べながら、
むむちゃんにたずねてみる。おそるおそる。
「ママがおうちにいて、むむちゃんが学童に行かないで
おうちにまっすぐ帰ってきてママとすごすのは、どう?」
間髪いれず
「たのしいに、きまってるじゃぁ~ん!」
・・・そうか、そうなんだ。
あけて、今日は保育園の講座の日。
タイトルは「働く親でいいかしら」
前日のそんなやりとりを胸に抱えながら、お話を聴く。
のっけから、答えはひとつ。
“働いていていも働いていなくても、
さまざまな事情があって働かざるを得ない状況、
働くことのできない状況も含めて、
それが「私の決めた」、「私の生き方」、と、
そう私自身が思えれば、それで〇”
そうなんだ。
仕事にボリュームをかけすぎかな、
でも放り出せない責任感をどうしようもなく、
投げだせない自分をどうしようもなく、
だから、せめて、
「ママ」と呼ばれた時に、振り返る。
「ママ、見て」と呼ばれた時に、見に行く。
そんな迷いながらのぎりぎりを行きつ戻りつしながら、
その迷いも含めて母の姿として、子どもたちは見ていくのだろう。
“人生は平らではない。”
というのも、今日、いただいた言葉。
むむちゃんにとって、物心ついたようになってからの私は
ずっと働く母で、ずっと、働くことが好きな母で、働きすぎる母だったはず。
お話の中の、
“働くことに逃げていたこともあった”
という言葉に、素直にうなずいて、
ちょっぴり泣きそうになった。
働く場が私の背筋を支えてくれていた時期が確かにあったから。
私にとって今回与えられたお休みは、
むむちゃんにとって、働いていない母と、一緒に過ごせる、
もしかしたら、数少ない時間かもしれない。
もしかしたら、ずっと続くことになる時間かもしれない。
でも、その時、その時、与えられた環境の中で、
子どもというひとりの人と、私というひとりの人がいて、
互いに相手をはかったり、考えたりしながら、
環境や、状況の波に揺られながらも、
一緒に生きていき続けることができるのが、家族の尊さだと、
今日あらためて、気がついた。
尊い、むむちゃんと、ぷうちゃんの存在。
そして、尊い、私自身の、存在、と、いってもいいのだろう。
ダメな親だけど。
人生に、いいお休みをいただいた。
そのスタートとして、あまりに上々の今日のお話。
みこちゃん、ありがとうございます。
本当に、ありがとうございます。
真剣に生きてる親を見て育つ子供は幸いだと思います。
お身体大事に、いつまでも…。
不器用にしか生きられないことは残念だけれど、不器用なりに精いっぱい生きていることは、自分をほめてあげてもいいのかな、と、そんな気持ちです。
自分をほめて、そんな母でも大好きでいてくれる子どもたちに感謝して、生きられればいいな、と思います。