ことりのあしあと

ほんのわずかなじかん、立ち止まって耳をすませて自分を見つめたい。そんなあしあとをペタペタとのこしています。

一進一退、一発逆転、ぷうち

2011年01月21日 20時53分14秒 | 日記

あちゅい~、あちゅい~
(涙、涙、涙)

のぷう。


絶対に解熱剤は飲まないと頑としてゆずらなかったのを、どう説得できたのか、わからなくなってしまったけど、とりあえず説得。


飲んでから、少しうとうと。一時間したころ、ガバッと起きて号泣。

あちゅいよ、あちゅいんだってば!


40℃越え。
トホホ。


抱っこで号泣し続ける。


むむちゃんは元夫のもとへ。

号泣をさらに誘う。


が、ピタッと突然泣き止み、元夫差し入れのなんとかレンジャーのプチゼリーをバクバク食べ、
「ママ、じゃ、着替えて寝よっか?」
と、ケロッとした顔で言ってのけた。


薬、急に効いてきたんだな。

へそが曲がる前に、よし、寝よっか!


今晩は無事乗りきれそうだ。


ため息。
疲れたよ。
今日締め切りの原稿書きかけだよ。


ぷうちゃんが寝たら、一仕事。



ぷうちゃん、高熱疲れ。
私、看病疲れ。


お互い、そろそろ終わりたいよね~。

児童福祉施設内虐待 

2011年01月21日 12時47分23秒 | 日記
当事者の子どもが声を上げなかったなら…。
傷つきたどりついた場所で受けるさらなる傷に耐え得るほど
ひとは強くつくられてはいない。
ひとはそれほどまでに強くつくられてはいけない。

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児童福祉施設での虐待、09年度59件 厚労省初集計2011年1月21日10時0分
http://www.asahi.com/national/update/0120/TKY201101200563.html

 原則18歳までの子どもが家庭を離れて生活している児童福祉施設などでの虐待が
後を絶たない。施設の職員らによる子どもへの虐待が2009年度に全国で59件あ
り、120人が被害を受けたことが厚生労働省の初めての全国集計でわかった。

 施設内虐待が全国的に知られるようになったのは、福岡市の児童養護施設で職員が
子どもをバットで殴ったり、骨折させたりした問題が1995年に発覚したのがきっ
かけ。その後、各地で事件が相次ぎ、厚労省には毎年十数件が報告されてきた。

 09年の児童福祉法改正で児童福祉施設などでの虐待に通報義務が課せられた。0
9年度に全国の児童相談所や都道府県への虐待通報は214件あり、調査した198
件のうち虐待と確認できたのが59件。虐待かどうか判断がついていないケースも1
8件ある。

 59件の施設別の内訳は児童養護施設が29件、児童自立支援施設、里親が各9
件、知的障害児施設、児童相談所に設けられた一時保護所が各4件、その他4件。虐
待の種類は身体的虐待が約7割、心理的虐待、性的虐待が各1割強を占める。加害職
員の半数以上は実務経験が5年未満と浅かった。

 子どもの問題をめぐってさまざまな取り組みを続けているNPO法人「こどもサ
ポートネットあいち」(名古屋市)は昨年、子どもが安心できる生活づくりを模索す
るため、全国約570の児童養護施設で暮らす高校生を対象に大規模なアンケートを
実施した。440人が回答し、4人に1人が「職員からとても嫌な思いをさせられた
ことがある」と答えた。内訳は「ひどいことを言われた」(30%)、「たたかれ
た」(11%)、「なぐられた」(10%)などだった。(編集委員・大久保真紀)


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平成23年1月19日
雇用均等・児童家庭局家庭福祉課
課長 高橋 俊之(7881)
課長補佐 上井 正純(7897)
(代表電話) 03-5253-1111

報道関係者各位
児童養護施設等の社会的養護の課題に関する検討委員会の設置について

 厚生労働省では、社会的養護の課題について検討を行うため、標記検討委員会を設
置します。趣旨等は次のとおりです。

1 設置の趣旨
 社会的養護を必要とする子どもの数は増加しており、虐待など子どもの抱える背景
は多様化・複雑化している。児童養護施設等の社会的養護の子どもが健やかに育ち、
一般家庭の子どもと平等に社会のスタートラインに立つことができるよう、公的な責
任として社会的養護を充実する必要がある。
 社会的養護の現場においては、様々な困難の中で努力が行われており、厚生労働省
として、社会的養護の課題について、短期的に解決すべき課題や、中長期的に取り組
む将来像を含め、集中して検討を行うため、本検討委員会を設置する。
 なお、本検討委員会は、社会保障審議会児童部会社会的養護専門委員会における検
討と連動するものとする。

2 主な検討事項
(1)施設の小規模化、施設機能の地域分散化、里親推進等、家庭的養護の推進のた
めの具体的方策について
(2)施設基準等の見直しを含む社会的養護の質的向上の方策について
(3)社会的養護の児童の自立支援の推進方策について
(4)その他社会的養護の将来像及び課題について

3 構成(◎は委員長)
◎ 柏女 霊峰 淑徳大学総合福祉学部社会福祉学科教授
藤野 興一 全国児童養護施設協議会副会長(鳥取こども学園施設長)
武藤 素明 全国児童養護施設協議会制度政策部長(二葉学園施設長)
平田 ルリ子 全国乳児福祉協議会副会長(清心乳児園施設長)
木ノ内 博道 全国里親会理事
大島 祥市 全国自立援助ホーム連絡協議会監事(ベアーズホーム施設長)
藤井 美憲 全国児童家庭支援センター協議会副会長(愛泉こども家庭センター施設
長)

文学を生きる知恵としてとらえるために

2011年01月21日 12時12分37秒 | 日記
文学は、時に医療科学よりも命を救うに足る力を持つ、
そう信じて疑わないのだけれど、
それを証明することはとても難しい。

そして、答を明快にだしてくれる言葉には
ぽつりぽつりとしか出会ったことがない。


そんな時にまた、内田樹は下記のようなことを書くわけで。

まいってしまう。
まよってしまう。

私はどこにいけばいいのか。
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内田樹研究室ブログ「特殊な能力について」
http://blog.tatsuru.com/2011/01/20_1253.php

文系の、それも文学研究における「なまもの」とは何であろうか。
私はそれは畢竟するところ「人間の知性」だと思う。
文学研究の対象は人間の知性である。
人間はどのように推論するのか、どのように想像するのか、どのように欲望するの
か、どのように臆断に囚われるのか・・・それを研究するのが人文科学の仕事ではな
いかと私は思うのである。
研究の「素材」はなによりもまず自分自身である。
自分自身の知性の好不調や、妄想や欲望の亢進と停滞、想像の逸脱、推論の逸
脱・・・それはどのような法則に基づいて生起し、どのように構造化されているか。
知性によって現に活動している知性そのものを遡及的に解明する。
この不可能なアクロバシーを託されていることこそが人文科学の栄光ではないのであ
ろうか。
昨日の講演のあとの質疑応答では「文学は大学教育に必要なのでしょうか?」という
質問があった(質問したのは経済学部の学生。質問には「文学なんか不要でしょ?」
というニュアンスが込められていた)。
とてもよい質問だと私は思った。
「文学はなんのためにあるのか?」
これは文学研究者がまっさきに考えなければならない問いである。
もちろん「正解」があるわけではない。
けれども、文学研究をする人間であれば、志したときから、死ぬまで考え続けなけれ
ばならない問いである。
「文学はいかにして可能か?」
思えば、私はモーリス・ブランショのこのエッセイを精読するところから文学研究を
始めたのだった。
「文学はいかにして可能か?」
この問いをつねに胸元に突き付けられた匕首のように受け止めること。
それが文学研究者のあるいは唯一の条件ではないのであろうか。