連れ連れ気

心を連れて思いのままに自分らしく

ベーカリー機カバー

2013-10-06 | 手芸

ベーカリー機カバーをパッチワークで作りました。

一部のパーツは、母が生前に何かを作ろうとして、15枚程作っていたパーツを利用したものです。
その残していった15枚のパーツは、今までに座布団カバーや鍋敷きなどを、作るために何枚か使いました。、
そして、このベーカリ機カバーに残りのパーツを、全部使用しました。
すでに出来ているパーツの寸法を、ベーカリー機の寸法に合わせるには、たすきに短し帯に長し状態で、
なるべく母が作ったものを解きたくなかったので、デザインを考えるのにちょっと苦労しました。

そんな苦労の末、母が作ろうとした物ではないけれど、折角作ったパーツをムダにすることなく使えて、
きっと母も天国で喜んでいるかなー

母の生前の作品を今でも使っていますが、もう逢えない母の温もりを感じてほっこりしますね。
もしかして私が作った作品も、やがてぬくもりを与えるのかしらね。


実は私(1)

2013-10-03 | 実は私

 

《中学校三年の頃》

私は、勉強をすることが大嫌いでした。
授業中はノートの片隅に漫画を書いたり、先生の似顔絵を書いたりして、先生からゴツンされていましたね。
もちろん予習復習もせず、学校の教材に関係ない本ばかり読んでいました。
特に沢田研二が好きで、沢田研二のスクラップブックを作ったりもしていました。

夏休みの宿題は、いつも夏休みが終わる頃に渋々手がけるので、
結果ほとんど手つかずで提出して、いつも各教科の先生にそれぞれに、叱られていました。
夏休の宿題にかぎらず、普段の宿題もほとんどしていなかったから、
宿題を提出する時までの心理は、どんな言い訳をしようかなど、穏やかではありませんでした。
きっと宿題をした時よりも、宿題をしないほうが、エネルギーを要したのに、
どうしてしなかったのか、今思うとあの時の自分に、説教しに行きたい気分です。

そしてテストは、国語と理科を覗いてほとんど0点か、それに近い点数しか取れませんでした。
後に、ドラえもんのアニメを始めてみた時に、こんな子(のびた)が私以外にも居るんだとホッとしたことがありました。
どうして、国語と理科が良かったかというと、その時の先生がお気に入りだったのです。単純ですよね!!

そんな私が高校進学の時期に、高校に行きたくなくて、「美容師になりたい」と母親に談判したことがありました。
しかし、母は「いまどき高校ぐらい行きなさい。美容師は高校を、出てからも出来るから。」と言って
断固として私の思いを聞いてくれませんでした。あの時の母を随分恨みもしました。
きっと思い通りにならないことを、母のせいにして自分を正当化したかったのかもしれませんね。

そんな母に逆らえず、高校進学を受け入れてしまいました。
成績がいまいちの私でしたので当然、志望高校は限られてしまい、選択肢はない状態でしたね。
進学に向けて、多少勉強しましたが、いつも机と仲良しになり、ノートがよだれで地図を書く事の連続でしたね。
そんな私でも、なんとか高校に行けたのですから、笑っちゃいますよね。

実は私は、本当に美容師になりたかったわけではなく、勉強することから逃げたかっただけなのです。
あの時、母がすんなり私の思いを受けていたら、その後の私の人生はは随分変わっていたかもしれませんね。
その逃げることが、今まで幾度と無くありました。
逃げてきたことを後悔して悩んだことも多々ありましたが、結果逃げながら生きてきたのは事実です。

 そんな、過ぎてしまった事を言ってもしょうがないですが、
還暦を迎えた私の今までの人生を、ちょっと振り返ってみたくなりまして、
『実は私』のカテゴリーを設けることにしました。
極普通の人生を送ってきたと思いますが、そんな私の今ある事は、
きっと過去の思いが礎になってのことだと思います。

《昭和43年の出来事》

10/13 第19回オリンピック・メキシコ大会.日本は215人参加

 


千秋楽

2013-10-01 | 日記

9月場所大相撲の千秋楽を観戦してきました

優勝が前日に決定していた白鵬

後ろ姿ですが日馬富士

私の誕生祝いに、息子夫婦に招待されたのです。

私は国技館はもとより、相撲観戦は初めてでした。
又、あまり相撲を見ていなかったのでよくわかりませんでしたけど、
今場所は招待されると聞いてから、毎日TVで観戦してました。
ですから少しは知識を持って行きましたので、結構楽しく観戦出来ました。

特に私は『隠岐の海』がイケメンなので、ファンになってしまいましたので、
この日は気合を入れて応援しようと思ってましたら
不戦勝になってしまい、取り組みが見られませんでした(ムムム)

私達の席は4席の箱席でしたが、そこに4人は超窮屈でした。
息子たちも、狭いと知らなかったかみたいで、びっくりしていました。
足も伸ばせない状態なので、お互いの夫婦同士が重なり合って座りましたね。

私達の後ろに外人さんの女性二人が観戦していて、その方達の応援の声がものすごく大きくて
ちょっとうるさいくらいでしたが、それはそれで、盛り上がって面白かったかなー
私も彼女たちの声援の合間を縫って嫁とハモって応援しました。
外人さんが「大砂嵐テイクアウト!!」って言っているので、
大砂嵐のファンで持ち帰りしたいのかなーと思って聞いていましたが、
後ほど調べたら、「押し出せー」と言ってたみたいですね。
声をかけて聞いてみたら、
彼女たちは英語の先生みたいで、相撲に精通していて、ほぼ毎日のように来ているらしいです。

当初は、一日居たら飽きるかも知れないと思っていましたが、
そんなことはなくて、あっという間に時が過ぎて、最期まで見てきました。

今回は私が支払ったわけではないのですが、欲を言ったらもう少しリーズナブルならいいのになーと思いました。