連れ連れ気

心を連れて思いのままに自分らしく

実は私(1)

2013-10-03 | 実は私

 

《中学校三年の頃》

私は、勉強をすることが大嫌いでした。
授業中はノートの片隅に漫画を書いたり、先生の似顔絵を書いたりして、先生からゴツンされていましたね。
もちろん予習復習もせず、学校の教材に関係ない本ばかり読んでいました。
特に沢田研二が好きで、沢田研二のスクラップブックを作ったりもしていました。

夏休みの宿題は、いつも夏休みが終わる頃に渋々手がけるので、
結果ほとんど手つかずで提出して、いつも各教科の先生にそれぞれに、叱られていました。
夏休の宿題にかぎらず、普段の宿題もほとんどしていなかったから、
宿題を提出する時までの心理は、どんな言い訳をしようかなど、穏やかではありませんでした。
きっと宿題をした時よりも、宿題をしないほうが、エネルギーを要したのに、
どうしてしなかったのか、今思うとあの時の自分に、説教しに行きたい気分です。

そしてテストは、国語と理科を覗いてほとんど0点か、それに近い点数しか取れませんでした。
後に、ドラえもんのアニメを始めてみた時に、こんな子(のびた)が私以外にも居るんだとホッとしたことがありました。
どうして、国語と理科が良かったかというと、その時の先生がお気に入りだったのです。単純ですよね!!

そんな私が高校進学の時期に、高校に行きたくなくて、「美容師になりたい」と母親に談判したことがありました。
しかし、母は「いまどき高校ぐらい行きなさい。美容師は高校を、出てからも出来るから。」と言って
断固として私の思いを聞いてくれませんでした。あの時の母を随分恨みもしました。
きっと思い通りにならないことを、母のせいにして自分を正当化したかったのかもしれませんね。

そんな母に逆らえず、高校進学を受け入れてしまいました。
成績がいまいちの私でしたので当然、志望高校は限られてしまい、選択肢はない状態でしたね。
進学に向けて、多少勉強しましたが、いつも机と仲良しになり、ノートがよだれで地図を書く事の連続でしたね。
そんな私でも、なんとか高校に行けたのですから、笑っちゃいますよね。

実は私は、本当に美容師になりたかったわけではなく、勉強することから逃げたかっただけなのです。
あの時、母がすんなり私の思いを受けていたら、その後の私の人生はは随分変わっていたかもしれませんね。
その逃げることが、今まで幾度と無くありました。
逃げてきたことを後悔して悩んだことも多々ありましたが、結果逃げながら生きてきたのは事実です。

 そんな、過ぎてしまった事を言ってもしょうがないですが、
還暦を迎えた私の今までの人生を、ちょっと振り返ってみたくなりまして、
『実は私』のカテゴリーを設けることにしました。
極普通の人生を送ってきたと思いますが、そんな私の今ある事は、
きっと過去の思いが礎になってのことだと思います。

《昭和43年の出来事》

10/13 第19回オリンピック・メキシコ大会.日本は215人参加

 



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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
tunobueさんに (フムフム)
2013-10-11 10:22:54
ふふふお恥ずかしい限りです。
あの時基礎をきちんと勉強していたら、
物事の考え方なのど、もっとスマートにできるのになって時が多々ある次第です。

いくつになっても
親は親なんですね。時々甘えたくなる時もありますね。
でも年老いた親が長く居たら又大変なんでしょうね。

コメントありがとうございました。
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ご無沙汰しております (tunobue)
2013-10-09 17:10:37
微笑ましく読ませていただきました。
皆さんがおっしゃるように私も勉強が嫌いで学生生活が苦痛でした。
唯一部活のブラスバンド部だけが楽しみで通っていました。
試験の間は部活がなくて本当に味気の無い時間を過ごしていました。

誰でも振り返れば今日に繋がる昨日からずっと昔があるのですね。
その頃に戻って、今は亡き両親との時間を過ごしてみたくなることがあります。

いいお話を聞かせていただきました、ありがとうございました。
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お返事です (フムフム)
2013-10-06 11:46:43
yamaさんに
 yamaさんの随筆を読んでいて、私もとマネッコしました。
私は文章構成など、希薄ですがそれは私の愛嬌でカバーしてねと勝手に思ってます。
どの程度書けるかわかりませんが、見守ってくだされば嬉しいです


イヴォンヌさんに
 昔は勉強が出来ないと不良と言われましたね。
そう私はジュリーの流し目にやられてしまいました。
その時のことを思うと幸せを感じますね。

中国迷爺爺さんに
 あの頃は好きでもコンサートなど入ったことはなかったのですが、
ブラウン管から流れる歌にはいつも感動してましたよ。青春でしたね。
還暦を迎えてもなお、美しいものに興味がありますね。
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最新 (中国迷爺爺)
2013-10-05 20:27:25
 だいぶ誤字がありましたので再度。

 私が担任をした商業科のクラスは女の子が大部分で、最初に自己紹介をさせると次々に「私はタイガースが好きです」と言います。阪神間の学校でしたから阪神タイガースのファンが多いののだろうと思っていて、ある子が「私はタイガースのトッポが好きです」と言ったので、「タイガースのトップバッターは誰かな」と考えていました。実はその頃大フィーバーしていたグループサウンズのザ・タイガースのことで、後で笑われました。とにかく大熱狂でしたが、その子たちも今年で60歳になり還暦祝いをしました。
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Unknown (イヴォンヌ)
2013-10-05 20:15:19
実は私も中学・高校と勉強が大嫌いで不良のはしくれでした(笑)

ジュリー好きだったんですね。私はショーケンが好きでした♪追っかけもしてました!

でも今は綾乃ゴウが好きです(爆)

お互いいつまでも心は青春してましょうね♪
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楽しみです (yama)
2013-10-04 21:39:01
永い人生いろいろありましたよね。
人に言いたくないこともたくさんあるのが人生。
でも、もういいじゃないですか。
みんなで昭和を生きた証を語りましょうよ。
フムフムさんの昭和が楽しみです。
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お返事です (フムフム)
2013-10-04 18:55:01
あーさんに
 ウヒヒ永遠に22歳良いねー
お言葉有難うございます。

《K國では還甲》は還暦の事ですかね?
還甲の方がめでたさのインパクトが強いですね。敬われてるのでしょうね。

バルちゃんに
 基礎をきちんと理解していないので、どんどんドツボにはまるのですよねー
マッいいかいいかの連続でしたね。
そんな母から出た子供達は勝手に勉強してましたよ。

栄養士になるのって結構難しいのではないですか?私の友人が栄養士で、頭いいよー

オレンジペコさんに
 またまたお越し下さりありがとう!!
年末のタイガースいいな~
私は今の所予定が立たないので買えない状態です。

楽母さんに
 そうだよねーあの時よくそんなエネルギーがアッたと思うよ。
まー今となっては成績云々ではないかもね、と言い訳してます。

楽母さんもタイガース行かれるのね
昔作ったスクラップ未だあるから、
ジュリーに見せてあげたいよ~
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こんにちは (楽母)
2013-10-04 13:20:39
私はね、勉強しないとか宿題しないっていうほったらかしのエネルギーの方がしんどくて(苦笑)普通にしてた。
だから、そこそこ、まぁまぁ、絵に描いたような平凡な学生時代でしたが、今となってみれば、学生時代の勉強ができようができまいが、何の関係もないわ、って心境(笑)
あ。 それと、私も年末のタイガースライブ、参戦します♪
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Unknown (オレンジ・ペコ)
2013-10-04 09:22:07
同世代で、時代背景が同じ
続きを楽しみにしています♪
年末のタイガース、行きますー♪
楽な方に行きたがるのは私は今でも変わらないよ~
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実は私 (バルちぁん)
2013-10-04 06:40:27
私も似たようなものです。
勉強は、大嫌いっていうよりも「わからない」、解けない、基本的なベースがありません。

だから今も、7月決算も会計士さん任せ、帳面は嫁はん任せ、おいらは遊ぶだけ・・・・

子どもたちに当然、勉強を教えることもできません。
だから「塾」は、有難いものです。

大学も、女の子にもてたいから食物栄養科・・・・
なりたくもない栄養士になりました。

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お晩です (雨漏り書斎主人)
2013-10-03 22:21:45
遅まき乍ら 22歳 のお誕生日おめでとうござんす♪

K國では還甲といふらしく、字面からもめでたいのですね

1からのスタート。  良い人生を ♪
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