なんだかんだで、平成11年になってしまった話。
私は、第2回の介護支援専門員実務研修受講資格の試験を受験した。
一生懸命に勉強をしたつもりだけで、試験当日を迎えた。
勤務先の施設からも数人が受験した。
その後、結果が郵送されてきたが、この試験の合格は嬉しかった。
実務研修が始まる前に、特養から在宅介護支援センターへ異動となった。
当時は、在支と居宅介護支援事業所の2枚看板の事業所が多くあった。
私も、在支職員(相談員)兼居宅介護支援事業所ケアマネになった。
今までの体力仕事から大きく変わった内容に戸惑いもあった。
実務研修前に例外で認められていた要介護認定の調査も始まった。
実務研修も無事に終わり、介護支援専門員という立場で介護保険の初日を迎えた。
テレビ・新聞でも大きく取り上げられていた。
今では考えられないが、注目の仕事として脚光を浴びた時が瞬間的にあった。
私もホームページを作り、掲示板では連日連夜において意見表明をしていた。
他の掲示板でも積極的に意見を書き込んだり、解釈について討議したりした。
売名はしてはないが、時事通信・共同通信・テレビ番組・リクルートの取材があった。
これ以上、売名行為をするとヤバイと思って、ネットからは消えることにした。
なんちゃってケアマネが、出過ぎることは良くないと判断した。
勤務先や市役所からも、たくさん冷やかされた。
冷や飯を食う前の、ホットな内に勝負に出た。
けれども、社協の在支職員(女性)が自分の仕事人生に転機を与えてくれた。
これを機に、ちょっとした仕事バブルが発生したのである。
けれども、実力の無さを痛感しており悩みも増した。
でも、福建省人民健康保険団体連合界(仮名)のお仕事を受諾した。
自由に仕事をするために社会福祉法人を退職することにした。
この法人で約10年間勤務したが、ここが潮時と考えていた。
この法人で普通の感覚と言える人間は、なぜか退職している人が多い。
私も、この時期にようやくなるほど、こういうことなのねということで退職した。
そして、決断した人間は、みんな条件が良いところに再就職している人が多い。
私も、そんな先駆者たちの刺激を受けて、相談もしながらお届けを出した。
ちょうど良いタイミングで、再就職先が決まった。
交渉に交渉を重ねながら、タイミングも見計らっていたので、退職日翌日から出勤。
しかし、社会福祉法人の看板から比べると、看板に光が無いことを感じる。
日本人は、長いモノに巻かれることが好きである。このことは良く理解していた。
しかし、先人の知恵はすごい。後悔先に立たず。ということを忘れていた。
看板力の見劣りは本当に大きい。
可処分所得は大きく増えたが、とにかくモノ足りないのである。
そんな贅沢な悩みを解消するために、また悩みを抱え込んでしまった。
悩み無用。リーブ21は、和田アキ子だけである。
悩みの解消のため、社会福祉士の資格を目指した。
レポートやスクーリングなどを終えて、試験日を迎えた。
一生懸命に勉強したつもりで受けたが、見事に玉砕されてしまった。
ギリギリ合格できたかなと思ったが、不合格になってしまった。
本当に力の無さを痛感してしまう。
翌年は、勉強する気が出なかった。
少しだけ勉強したら、去年の勉強した部分を思い出してきた。
でも、やる気がイマイチであり、あとは運に任せることにした。
得点数は、1年前を下回る散々な結果であった。
信じられない得点になっており、これじゃ話にならない。
でも、話にならないどころか、話になるからビックリしてしまう。
神が降臨してきたような奇跡が起きた。
この年の試験は、不適切問題が多く、全員に得点される問題が多かった。
選択肢の中に正解が複数あったり、正解がない問題が本当に多かった。
しかも、難易度が滅茶苦茶に高くされてしまい、受験者の得点率が著しく落ちた。
更に現役の大学生に不利な事例問題もあり、得点構成に歪みが生じた。
そんな状況があり、得点が低い私でさも上位30%に入りこんでしまう。
いわゆる足きり30%が強引に設定され、低得点でも合格できる幸運の年だった。
そんな神の降臨があって、奇跡の合格というか喜べない合格を手にした。
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私は、第2回の介護支援専門員実務研修受講資格の試験を受験した。
一生懸命に勉強をしたつもりだけで、試験当日を迎えた。
勤務先の施設からも数人が受験した。
その後、結果が郵送されてきたが、この試験の合格は嬉しかった。
実務研修が始まる前に、特養から在宅介護支援センターへ異動となった。
当時は、在支と居宅介護支援事業所の2枚看板の事業所が多くあった。
私も、在支職員(相談員)兼居宅介護支援事業所ケアマネになった。
今までの体力仕事から大きく変わった内容に戸惑いもあった。
実務研修前に例外で認められていた要介護認定の調査も始まった。
実務研修も無事に終わり、介護支援専門員という立場で介護保険の初日を迎えた。
テレビ・新聞でも大きく取り上げられていた。
今では考えられないが、注目の仕事として脚光を浴びた時が瞬間的にあった。
私もホームページを作り、掲示板では連日連夜において意見表明をしていた。
他の掲示板でも積極的に意見を書き込んだり、解釈について討議したりした。
売名はしてはないが、時事通信・共同通信・テレビ番組・リクルートの取材があった。
これ以上、売名行為をするとヤバイと思って、ネットからは消えることにした。
なんちゃってケアマネが、出過ぎることは良くないと判断した。
勤務先や市役所からも、たくさん冷やかされた。
冷や飯を食う前の、ホットな内に勝負に出た。
けれども、社協の在支職員(女性)が自分の仕事人生に転機を与えてくれた。
これを機に、ちょっとした仕事バブルが発生したのである。
けれども、実力の無さを痛感しており悩みも増した。
でも、福建省人民健康保険団体連合界(仮名)のお仕事を受諾した。
自由に仕事をするために社会福祉法人を退職することにした。
この法人で約10年間勤務したが、ここが潮時と考えていた。
この法人で普通の感覚と言える人間は、なぜか退職している人が多い。
私も、この時期にようやくなるほど、こういうことなのねということで退職した。
そして、決断した人間は、みんな条件が良いところに再就職している人が多い。
私も、そんな先駆者たちの刺激を受けて、相談もしながらお届けを出した。
ちょうど良いタイミングで、再就職先が決まった。
交渉に交渉を重ねながら、タイミングも見計らっていたので、退職日翌日から出勤。
しかし、社会福祉法人の看板から比べると、看板に光が無いことを感じる。
日本人は、長いモノに巻かれることが好きである。このことは良く理解していた。
しかし、先人の知恵はすごい。後悔先に立たず。ということを忘れていた。
看板力の見劣りは本当に大きい。
可処分所得は大きく増えたが、とにかくモノ足りないのである。
そんな贅沢な悩みを解消するために、また悩みを抱え込んでしまった。
悩み無用。リーブ21は、和田アキ子だけである。
悩みの解消のため、社会福祉士の資格を目指した。
レポートやスクーリングなどを終えて、試験日を迎えた。
一生懸命に勉強したつもりで受けたが、見事に玉砕されてしまった。
ギリギリ合格できたかなと思ったが、不合格になってしまった。
本当に力の無さを痛感してしまう。
翌年は、勉強する気が出なかった。
少しだけ勉強したら、去年の勉強した部分を思い出してきた。
でも、やる気がイマイチであり、あとは運に任せることにした。
得点数は、1年前を下回る散々な結果であった。
信じられない得点になっており、これじゃ話にならない。
でも、話にならないどころか、話になるからビックリしてしまう。
神が降臨してきたような奇跡が起きた。
この年の試験は、不適切問題が多く、全員に得点される問題が多かった。
選択肢の中に正解が複数あったり、正解がない問題が本当に多かった。
しかも、難易度が滅茶苦茶に高くされてしまい、受験者の得点率が著しく落ちた。
更に現役の大学生に不利な事例問題もあり、得点構成に歪みが生じた。
そんな状況があり、得点が低い私でさも上位30%に入りこんでしまう。
いわゆる足きり30%が強引に設定され、低得点でも合格できる幸運の年だった。
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