おもしろケアマネ全員集合! (監修:アヒルとガチョウの2人)

主任介護支援専門員・社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士の男2人が『笑い』と『気づき』の情報を共同発信いたします。

高齢福祉業界を自ら回想する。パート8        【ガチョウ】

2009年06月30日 | お出かけ
 今日で上半期も終わり。 本当に1年って早い。
1年も半分終わり、人生も半分終わった。
そして、ワタクシ、男としても終わっている。
体重も90kgを超えると、男前とは言われない。
分かりやすく言うと、EXILEじゃなくて芋洗坂係長みたいな感じだ。

 こんな私でも、特養時代は女性にモテタ! 
                        特養のおばあちゃんに。
 貴重な男だったようである。


 しかし、この業界は男性が少ないので、自分自身も困ったことが多かった。
特養時代に、同じ感性の持ち主が多くはなかった。気の合う人がいない。
例えば、人格が破綻していた事務長や一流企業をクビになった介護職員。
21世紀の高齢介護を目指した介護系専門学校の新卒男子の介護職員。
とにかく無口な男の介護職員もいた。声を掛けても、YES NO のみ。
仲間なんだけど、ちょっと違う感性の人だった。

 考えると気の会う福祉な仲間が少ない。
今の会社にも男ケアマネが2人いるが、感性がイマイチ合わない。
しかも、同年齢と1つ上なのに。。。。。

 けれども同じ転職組で、一昔前の特養時代に雑巾がけをした仲間がいた。
ある研修で初めて会い、DNA的福祉キャリアが似ていた。
共通する部分が多くあり、考え方や世の中の捉え方も似ていた。
事案の暖め方や冷まし方も似ていた。いや冷め方も似ているかもしれない。

 乾杯をした時の相手の自己開示も大きな信頼に繋がったかもしれない。
つまり本音で語れることだろう。
100%同じでなくてもいい。
考えが違う時は尊重し合ったり、止めたり、背中を押してもいい。

 そうは言っても、実際は私なんかより上位を行っており、努力の量も質も違う。
本当に数少ない男性業界人の中で、初めて気の会う福祉な仲間に巡り会った。
気の会う仲間が、偶然にも師と仰げる人だと思う。
変な利害も無いから気づかれしない。

高齢福祉業界を自ら回想する。パート7        【ガチョウ】

2009年06月29日 | お出かけ
 なんだかんだで、平成11年になってしまった話。
私は、第2回の介護支援専門員実務研修受講資格の試験を受験した。
一生懸命に勉強をしたつもりだけで、試験当日を迎えた。
勤務先の施設からも数人が受験した。
その後、結果が郵送されてきたが、この試験の合格は嬉しかった。

 実務研修が始まる前に、特養から在宅介護支援センターへ異動となった。
当時は、在支と居宅介護支援事業所の2枚看板の事業所が多くあった。
私も、在支職員(相談員)兼居宅介護支援事業所ケアマネになった。

 今までの体力仕事から大きく変わった内容に戸惑いもあった。
実務研修前に例外で認められていた要介護認定の調査も始まった。
実務研修も無事に終わり、介護支援専門員という立場で介護保険の初日を迎えた。
テレビ・新聞でも大きく取り上げられていた。
今では考えられないが、注目の仕事として脚光を浴びた時が瞬間的にあった。

 私もホームページを作り、掲示板では連日連夜において意見表明をしていた。
他の掲示板でも積極的に意見を書き込んだり、解釈について討議したりした。
売名はしてはないが、時事通信・共同通信・テレビ番組・リクルートの取材があった。
これ以上、売名行為をするとヤバイと思って、ネットからは消えることにした。
なんちゃってケアマネが、出過ぎることは良くないと判断した。
勤務先や市役所からも、たくさん冷やかされた。
冷や飯を食う前の、ホットな内に勝負に出た。
けれども、社協の在支職員(女性)が自分の仕事人生に転機を与えてくれた。
これを機に、ちょっとした仕事バブルが発生したのである。
けれども、実力の無さを痛感しており悩みも増した。
でも、福建省人民健康保険団体連合界(仮名)のお仕事を受諾した。


 自由に仕事をするために社会福祉法人を退職することにした。
この法人で約10年間勤務したが、ここが潮時と考えていた。
この法人で普通の感覚と言える人間は、なぜか退職している人が多い。
私も、この時期にようやくなるほど、こういうことなのねということで退職した。
そして、決断した人間は、みんな条件が良いところに再就職している人が多い。
私も、そんな先駆者たちの刺激を受けて、相談もしながらお届けを出した。

 ちょうど良いタイミングで、再就職先が決まった。
交渉に交渉を重ねながら、タイミングも見計らっていたので、退職日翌日から出勤。
しかし、社会福祉法人の看板から比べると、看板に光が無いことを感じる。
日本人は、長いモノに巻かれることが好きである。このことは良く理解していた。
しかし、先人の知恵はすごい。後悔先に立たず。ということを忘れていた。
 
 看板力の見劣りは本当に大きい。
可処分所得は大きく増えたが、とにかくモノ足りないのである。
そんな贅沢な悩みを解消するために、また悩みを抱え込んでしまった。
悩み無用。リーブ21は、和田アキ子だけである。

 悩みの解消のため、社会福祉士の資格を目指した。
レポートやスクーリングなどを終えて、試験日を迎えた。
一生懸命に勉強したつもりで受けたが、見事に玉砕されてしまった。
ギリギリ合格できたかなと思ったが、不合格になってしまった。
本当に力の無さを痛感してしまう。

 翌年は、勉強する気が出なかった。
少しだけ勉強したら、去年の勉強した部分を思い出してきた。
でも、やる気がイマイチであり、あとは運に任せることにした。

 得点数は、1年前を下回る散々な結果であった。
信じられない得点になっており、これじゃ話にならない。
でも、話にならないどころか、話になるからビックリしてしまう。
神が降臨してきたような奇跡が起きた。
この年の試験は、不適切問題が多く、全員に得点される問題が多かった。
選択肢の中に正解が複数あったり、正解がない問題が本当に多かった。
しかも、難易度が滅茶苦茶に高くされてしまい、受験者の得点率が著しく落ちた。
更に現役の大学生に不利な事例問題もあり、得点構成に歪みが生じた。
そんな状況があり、得点が低い私でさも上位30%に入りこんでしまう。
いわゆる足きり30%が強引に設定され、低得点でも合格できる幸運の年だった。
そんな神の降臨があって、奇跡の合格というか喜べない合格を手にした。





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高齢福祉業界を自ら回想する。パート6        【ガチョウ】

2009年06月29日 | お出かけ
 つまらないクーデターも不発でした。

古参の寮母主任が寮母長に昇格し、相談員といいコンビでした。

ツートップの2強体制で業務が始まって直ぐに相談員が退職です。

どうやら古参相談員の欲が強くなってしまい、思わぬ自爆になってしまいました。

後任人事に懸念するところが見えてきました。

人材不足が感じられ、相談員は介護職から2人抜擢されました。

もちろん、私ではありません。

しっかりした女性主任が1名いました。しかし女性同士には相性が重要のようです。

寮母長から見ると、格下の者が相談員になることに我慢ならなかったようです。

また、新規採用の経験1年未満の者が大抜擢されてしまいました。

そして、下剋上が目に見えるようになり、寮母長は退職に追い込まれました。

今度は、寮母長不在になるものの、主任から昇格することはありませんでした。

使える人材が枯渇してしまったのです。

なんちゃって主任の私は、実力も采配力もリーダーシップもありません。

一緒に入職したもう一人の男性主任も、超真面目すぎるから選ばれません。

枯渇した人材は、3人の男性主任で寮母長的業務をしました。

2人の女性相談員と3人の男性主任でした。

結構、チームワークも良く、それなりの日々であった記憶があります。

特に問題も起きることなく、1年が経過していました。




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高齢福祉業界を自ら回想する。パート5        【ガチョウ】  

2009年06月28日 | お出かけ
 今日は、二女と2人でサマーランドに行ってきました。
ものすごく混んでいました。屋内の波の出るプールは芋洗坂係長状態です。
 
 さて、高齢福祉業界を自ら回想する。パート5です。
もちろん、パート4の続きです。

 法人が2つ目の特養のため、新規に職員を採用します。
この時は、バブル崩壊後ですので人集めは容易でした。
本当に簡単に人が集まった時代です。
中年男性からもたくさんの応募がありました。
男性の応募は、リストラ組が多かったような感じがします。

 ある意味、私は先に飛び込んだ転職組でしたのでラッキーでした。
本当にツキがあったような感じがします。

 数少ない男の職員でした。いま振り返れば、入所者から可愛がられました。
中高年の寮母さんも、厳しかったけど、結構可愛がってくれました。
今思えば、本当に感謝です。

 建設中の特養が完成に近づくと、ボランティア研修が始まります。
この貢献度によって、採用が決まるような感じでした。
週末だけ来る人やすでに内々定らしき人など、様々な感じです。

 私も、なんちゃって副主任でしたので、毎日数人の対応をしていました。
そんな日が数ヶ月続き、新施設も完成になってきます。
そして、新施設へ異動となる人事が発表されました。

 主任の方たちは、新施設へほとんど異動になりました。
パッとしない主任は、異動せずそのままです。
パッとしない副主任は、主任に昇格しました。
ワタクシも、今度はなんちゃって主任です。本当に情けない無資格主任です。
まだまだ、そんな時代だったのです。
無資格でも十分に働けて、給料も東京都職員に準ずるという触れ込み。
更に、公私格差是正を行っていた施設は、もっともっと高給だったようです。
東京都の指導検査でも、安い給料だとお咎められる時代です。
簡単に言ってしまえば、美濃部さんのお陰です。その名残りがあったようです。
過日、東社協幹部だった人が再就職した施設へ行ったら、自分の功績自慢でした。
東社協が頑張ったからと、ああだ、こうだとおっしゃっていました。
仕方が無いから、ヨイショして、ウンウンうなづいていました。

 
 さて、新施設も無事に開設し、新旧職員が頑張っています。
私も、なんちゃって主任として頑張っていました。
こちらの施設も、ベテラン組が異動になって新規採用者で補充されています。
私も夜勤の回数が減り、勤務表を作ったり会議に出たりと多くなりました。
でも、格好悪いなんちゃって主任ですから仕方ありません。

 しょうがないから、猛勉強したつもりで、手を抜いて介護福祉士の受験です。
今より少ない試験問題数でしたが、合格することが出来ました。
実技試験も、偶然に課題と同じ名前で同じ字の人が入所者にいました。
障がいレベルも全く同じです。本当に名前も字も障がい状況も100%同じです。
これで落ちたら、自分の心の中では最悪な状況になります。
結果は、合格でした。
これで、「なんちゃって」という悩みが改善され、スタート地点に立てました。
私にとって、本当のゼロからの出発です。

 ゼロからの出発をしたのですが、仕事の限界も感じていました。
仕事そのものも嫌になり、なんちゃっての劣等感も残っています。
そして、外資系生命保険会社の募集に応募したのです。

 履歴書・職務経歴書も良い印象が残るように完璧に書き上げました。
しかし、なんとなんと書類選考で玉砕です。
玉砕のショックよりは、また介護の仕事を続けることにショックがありました。

 悪いことは重なるもので、事務長にもつまらないことで怒られます。
誰にも相談も出来ず、嫌々の毎日が続きます。
職場の環境が悪くなり、またクーデターもどきが勃発します。




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時代                               アヒル

2009年06月28日 | お出かけ
病気でベットに横になっているときも、遊んでいるときも、自分は生きていると思う。

地球に生命が誕生し、一度もとぎれることなく生を繋いできていると思うとこんな自分でも愛おしく感じる。

出会う人も皆同じ仲間、大切に思いたい。

仕事で出会う人全てが仲間、親友、家族と感じるとこの仕事も悪くない。もちろん苦手な人や正直好きになれない人も一杯いるけど、それでも仲間は見捨てない。

出会えた幸運を出会えた喜びに変えられれば。。

話が変わるが。

時代というのも面白い。介護も20年前や30年前はいまほど認知されていなかった。アヒルもガチョウも転職組、何も知らずに就職した。

当時の特養は男がいない。少ないから重宝がられ、可愛がってもらい、続けてこれた。時代が進み脚光を浴びたこともある。

あの時代にこの仕事に就いたから、いまの自分があると思うと運が良かった。バブルの恩恵はまったく受けなかったから、バブルが弾けたもちっとも悲しくない。意味もよく分かっていなかったけど。

いま同じ歳、状況でこの業界に入るとどうなるだろう。知り合いが4年デイサービスに勤めている、昇級は年千円。4年4千円。

たぶんどこも同じようなものかも知れないが。

10年で1万円、30年勤めて3万円、17万円から初めて30年で20万円!

とても人生設計はできない。こんな時代が続いて良いはずがない。

介護は外貨を稼がない。だから低賃金でもイイと言うのだろうか?

それで良い国になるの?

日曜日の朝に時代を思う。




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高齢福祉業界を自ら回想する。パート4        【ガチョウ】  

2009年06月25日 | お出かけ
 なんちゃって副主任なんて格好悪い。
これには正直、気が参ってしまった。
努力しないと格好悪いし、みんなから信頼を得ないと阿呆と思われる。
ワタクシ、意外とみんなの評価や思われ方が気になってしまいます。

夜勤の回数は月4回~5回に変わりはありません。
でも、手っ取り早く汗をかくことにしました。
特養の入浴介助は、汗だくです。痩せれます。
目的は痩せることではありません。頑張ることです。

 翌年、介護の専門学校を卒業した20歳の女子介護福祉士が入職してきました。
なんちゃって副主任は、無資格で格好悪いです。
本当に情けないし、この介護福祉士の方が教科書的知識が豊富です。
毎日が羞恥プレイであり、純粋な質問でさえ言葉攻めに聞こえてしまいます。
女王様の入職後、夜勤も一緒になったことが数回ありました。
仕事の流れを教えるのですが、ワタクシの心は下剋上みたいな感覚です。

 月日が経過し、ワタクシの勝手な情けなさも慣れてきました。
一緒に転職して入職した年上男子も、同じなんちゃって副主任です。

 法人の事業として、2つ目の特養計画があり、完成が近づきます。
150床の特養ですので、大量の新規採用計画になります。
2人の女子介護福祉士も1年経過すると、素晴らしい戦力です。
法人内の飲み会も頻繁にあり、若手連中が集まるとにぎやかです。




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今日もアルバイトに行ってきました。          【ガチョウ】

2009年06月25日 | アルバイト ・ サイドライン
 今日もアルバイトに行ってきました。

週末もバイトだったので、連続11日勤務でヘロヘロです。

睡眠不足が続き、不足分が取り返せません。

睡眠は、事前の寝貯めは出来ないらしいが、不足分の取り返しは出来るらしい。

不足を取り返せない状態が慢性的に続くと急死します。

私の知人が、昼間はパチンコをし、夜は居酒屋を経営して翌朝は仕入れ。

この繰り返しを数年続け、平均睡眠時間が2時間でした。

顔色は悪くはありませんでした。

目の下にもクマはありませんでした。

でも、突然死しています。

人生、生きているうちが華です。

ラットレースで頑張って、しっかり稼ぎましょう!


 そういえば、昨日ねんきん定期便が着ていました。

内容が合っているか確認し、返送するようです。

間違いも無く、ぴったり合っています。

収めた厚生年金が209ヶ月で約700万円。

この状態で、20年間受給されると約1850万円もらえる試算が書いてあります。

月8万円弱ですから生活できませんし、払い込みの3倍にもなっていません。

私には、純資産がありません。 

年金も半分に分割してよこせ! と言われるかもしれません。

もしかしたら生活保護の受給になる可能性もあります。

でも、その場合は役所のカウンターで、適当に対応され返される可能性が。。。。

でも、こうすれば大丈夫と思っています。(確認済み)

つまらない生保ケースワーカーや万年係長も怖くはありません。

なぜ、みんなやらないのか不思議です。

大声も出さなくても、入れ墨を見せなくても、議員に頼まなくても大丈夫です。



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高齢福祉業界を自ら回想する。パート3        【ガチョウ】  

2009年06月24日 | お出かけ
 2週間の研修も終わり、自分の勤務する特養へ戻った。

研修後は、研修報告書をまとめて提出しなければならない。

勤務先の報告書と研修実施主体への報告書と2つもある。

文字が埋まっていればいいと勝手に思い込み、私の感じたことを上り下り書いた。

あまり手抜きすると起こられるので、少しは起承転結でのらりくらり書いた。

大事な要点を探しては、繰り返したり、強調したりして文字を埋めていた。


 職場の環境も特に変化無く、相変わらずである。

私が2週間いなかったので、穴埋めで困ったわよと嫌味も言われた。

確かに夜勤の欠員や入浴介助も不足するだろう。

早番・遅番などのやりくりもあったかもしれない。

あたま数という人足の部分では、迷惑を掛けてしまった。

でも、一日の要員が確保できれば大したことはない。


 だって当時の入所者は、今で考えれば要支援1から要介護1レベルが圧倒的だ。

もちろん要介護5の寝たきりの人も数人はいる。

要介護2から4レベルの人もいたかもしれないが少ない。

完全自立と思われるひとは、結構いたような感じ。

中には、職員以上に手伝ってくれる入所者だっていた時代だ。


 ADLが高い人も多く、措置時代と介護保険の契約入所とは比べ物にならない。

ベッド買いもあり、区・市との契約ベッドが空けばそこの住民が入所になる。

でも、直ぐに入所にはならず、数週間空いていたこともあった。

施設側が総合的判断をして、入所予定者のADL逆指名もあった。

将棋をする時間・釣りに出掛ける時間・買い物に行く日もあった。


 措置費・援護費・各種補助金で、要介護6か要介護7の金額が施設収入だった。

けれども、入所者は要支援1から要介護1レベル。

施設全体に、ゆとりがあった時代である。

でも女性陣には、人間関係のゆとりはなかったかもしれない。


 さて、研修後に当時の寮母長や寮母主任が、こんなことを言う。

○○さん、本当に変わったわね! と。

えっ、 私は本当に何も変わっていないはずである。

約1年間は、介護のことが分からず、怒られたりしながら教えてもらった。

嫌味も言われ、時には反論もした。

嫌々の毎日を過ごし、2週間の研修も行きたくはなかった。

そんな状況で、私の意識が変わっているはずがない。

ちなみに、寮母長も寮母主任も、優しいおばちゃんで本当に良い人だった。

人格も良かった人に、予想外で褒められた。

これが、当時の生活指導員や事務長に伝わって、偽・変化バブルが生じた。


 他施設へ行った2週間の研修が年間(年度)で終わる時に報告の発表がある。

悪いことは重なるもので、その発表者に選ばれてしまった。

先に、発表予定として施設に連絡が入ったようだ。

これで、偽・変化バブルに火がつくことになってしまった。

当時は、まだまだの時代で試行錯誤の時代だった。

そこに、偽バブルが生まれてしまい、偽メッキを被せられた。

都内数ヶ所の老舗特養で行われた研修参加者が、その日に集まった。

初めて、茗荷谷にある研修施設に行った日でもある。

1年間、数ヶ所で行われてた研修なので、人がたくさんいるではないか。

そこで発表するのは、本当に緊張してしまった。

福祉業界に入って、その時は2年目。まだまだ何も知らない。

何をどう発表したらよいのか分からない。

研修報告書を基に、その内容を読み上げるだけであった。


 その後、偽バブルをどうするか考えた。

本当に困ってしまい、メッキを被され堅苦しくて困っているが、それをまた脱げない。

そうだ、消費税増税や値上げの時の便乗値上げを思いついた。

もう、こうなったら偽バブルに便乗するしかない。

生活指導員・寮母長・寮母主任も褒めてくれた。

理事長も、その配偶者の施設長も、事務長も評価してくれている。

こうなったら、必死に頑張ってメッキ状態から純度を上げようと考えた。

職員会議では、建設的な意見を述べたり、入浴介助で汗を書いた。

夜勤に欠員が出れば、積極的に名乗り出た。

全館ワックス日でも、雑巾がけとモップだけを頑張り、ポリッシャーは男の先輩へ。


 その後、なんちゃって副主任になった。給料が1号級上がってしまった。

数ヵ月後、ポリッシャー役のマイクロバスを運転する介助員に言われた。

○○君、大型免許取ってくれるかな! 事務長からも、そう言われると思うからね!

どうやら、買い物日や施設行事・一泊旅行でマイクロバスの運転は重要らしい。

運転そのものが重要ではなく、この介助員の勤務表に合わせることが難しいようだ。

もう一人、大型免許を持っている職員がいると、勤務表作りが楽になるとのこと。

事務長からは、免許費用は自分のお金と言われた。

その代わり、毎月8000円の手当てを付けると言う。

表面利回りと実質利回りが同じ、約50%だが了承した。


 だんだん、職場の雰囲気にもなじんできた。

職員の研修旅行が予定されている。

いつもは大人しい理事長が、盛んに職員旅行の説明をしている。

連日、理事長のテンションも上がり、旅行の豪華さを寮母さんにも説明していた。

説明中は、寮母さんの肩をポンと叩いたり、お尻を触ってガンバレと言っている。

この時代は、アセスメントとか、ハラスメントとか言う言葉も使わなかった。

アサノセメントということは、私も知っていた。

 
 旅行当日は、日の丸観光だか日の丸自動車だか忘れたがベンツのバスだった。

理事長から説明を聞いていたので、驚きもしなかった。

職員旅行は、ちょっと豪華にしないと理事長の機嫌が悪くなるらしい。

もちろん、トイレも階段下に設備されている。

バスが発車すると、経理担当の職員から封筒が配られた。

中には壱万円札が1枚入っているではないか!

職員の研修旅行のお小遣いまで支給される。本当に特別だ!




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高齢福祉業界を自ら回想する。パート2

2009年06月24日 | お出かけ
 社会福祉法人に転職した当時は、まったく介護なんてしたこと無い。

知識も無ければ、技術もなかった。おまけに人格だって立派に形成されていない。

だから良く怒られていた。ちゃんとアニマル見たのって?

アニマルって何のことか分からない。

動物のことなのかなと、考え込んでしまった。

そして、ようやくマニュアルであることと理解できた。

中高年の介護職のおばちゃん、マニュアルとアニマルを混同していたようだ。


 みんな仕事のことより、人間関係でピリピリしていたことを記憶している。

人格が破滅している人が多かったので、上下関係や他職種でイライラしてしまう。

看護師も例外ではなく、人格が破滅している凄まじい感性・感覚の人もいた。

もちろん、素晴らしい人格の中高年女性もおり、皆の信頼も厚い人もいた。


 みんな辛い状況があったけれど、今より恵まれていた給料もあり辞めない人も多い。

それなりの給料を我慢料と考えて、生活のために必死な人もいた。

えた・扱いされるのは嫌だと辞める人もいた。

下克上もあったり、派閥もあったり、寝返りで派閥替えもあった。

おもしろいことにクーデターもあった。本当に集団で戦いに望む女性戦士がいた。

こんな状況の中、ヤバイ環境に入り込んでしまったなあと後悔もした。


 臭覚も敏感になってきたが、私にも生活があったし子供も生まれてしまった。

仕方が無いから必死に頑張った。

そんなこんなの状況もあって、職員も淘汰されていった。

新しい事務長に反発したクーデターも終わり、平穏になりつつあった。


 1年を過ぎた頃、東京都社会福祉協議会(東社協)の研修に行かせてもらった。

当時の研修は、東社協が主催するものが多かった。

ブロック別研修では、エリア内の施設と共存共栄の仲間意識があった。

施設見学や介護の改善効果の発表や取り組みなどを他施設に広めていた。

全国大会の研修もあったし、2週間の他施設で学ぶ研修もあった。

当時の研修キーワードはこんな感じであった。

「痴呆性高齢者の処遇」「個別処遇」という今とは違う表現。

今では、認知症高齢者のケア・個別ケアと言い換えられている。

 この表現を比べれば、まだまだ集団処遇という施設っぽいイメージがある。

入所者は、利用者とは呼ばれていたものの、行政処分的な措置された者であった。

そして措置を受ける人は、まだまだ特殊な状況の人であった感じがする。

当時の社会的な状況があって、社会的入院後の社会的入所になっていた人もいる。

 
 そんな特殊性があった中で、2週間に及ぶ研修にも行かせてもらった。

今から14年くらい前の話であるが、この研修は大きな転機になった。

この研修は、私の勤務する法人では初参加であった。

都内の老舗特養に2週間も通勤する。もの珍しく色々あったし、とにかく懐かしい。

通勤時間は、自宅から2時間も掛った。往復4時間である。

内容も当時で言うところの、痴呆性高齢者の個別処遇を考察するもの。

担当する利用者を1人決め、比較的自由に余暇時間を過ごすことであった。

介護の方法論を学ぶことではないので、この人への直接介護はほとんど無い。

排泄・入浴介助などは、この施設の職員が対応してくれた。

研修生の私にも担当のスーパーバイザーがついた。

中堅の男性職員で優しい感じのする職員であったが、ちょっとホモっぽかった。

この施設では、年間を通じて東京都内の特養から2週間の研修を受け入れていた。

驚いたことに、中国とフィリピンの施設からの海外研修生を受け入れているようだ。

内容は違うものの、初日のオリエンテーションだけは一緒だった。

私と同じ研修を受けに来ていた人は、もう一人いた。

年齢は、少し上であったが男同士で仲良くなれた。

昼食は一緒に食べたり、帰りは、一緒に帰ることもあった。

休憩時間は、研修生専用の部屋で休む。

タバコを吸い、缶コーヒーを飲みながら雑談した。

私と同じように転職組で、もちろん無資格である。

まだまだ、知識・技術も知っていることもない。

早く研修が終わればいいね。ぐらいの気持ちで来ていた仲間だったかもしれない。




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高齢福祉業界を自ら回想する。パート1        【ガチョウ】     

2009年06月23日 | お出かけ
 今日は、平成21年6月23日である。

思い起こせば、平成6年6月8日に社会福祉法人に転就職した。

全くの異業種からの転職であり、特別養護老人ホームの介護職である。

あれから、15年を過ぎた特別な自分がここにある。そして不思議なことである。


 幼少時からなりたい仕事があった。そのつもりで就職まで努力もしたつもりだ。

平凡な男3人兄弟の長男である。父親は大工をしていた。

小学生の夏休みの時も父親の現場に良く行った。

現場では木材の切れ端に釘を打ったり遊んでいた。

休憩になれば、ジュースを買ってくれたり、使わない木くずを準備してくれた。

親父が真夏で暑いときも一生懸命に働いていた残像が脳裏にある。

屋根に登ったり、柱を担いだり、柱や足場を自由自在に歩いていた。

当時は、上棟前に材木屋で柱の墨付けや刻み仕事があった。

墨付けが終われば、トラックに柱を積み込んで現場に向かう。

その前に、ロープでトラックに柱を結ぶのだが、私はあの結び方すら今でもできない。


 結構、幼少時から現場に行っていたが、なぜか大工にはならなかった。

また父親は、3人の子供たちに大工になれとも言わなかった。

理由は聞いたことも無いけれど、大工を家業として継がなかった現実がある。


 その現実には、母親の存在が大きい。

母親は、大工と言う職人は割りに合わないといつも言っていた。

ボーナスは無く、けがだけは多くて危険だと言う。

実際、父親も屋根から2回転落している。入院していた記憶が私にもある。

両肩には手術の傷が20センチづつあり、長期間は働けなかったはずだ。

おそらく事故や危険は抜きにして、大工になっていたら喜んだかもしれない。

けれども、母親は現実思考(志向)があり、自分の苦労も息子にはさせなかったようだ。

大工を危険と事故を以って全否定し、大工になるな職人はダメだと言い続けた。

挙句の果てには、会社勤めか公務員になれと言っていたことも思い出す。


 職人気質もあり、東京オリンピックの頃は、職人は稼げる仕事だったらしい。

そして、会社員や公務員の方が薄給で羨む時代だったとも言っていた。

父親も、自分の仕事を全否定され、ダメだダメだと言われては辛かったはずだろう。

そんな昔のプライドまでも傷つけられていたと思う。

女性は、本当に現実的に強い生物だし、母性もまたすごいものかもしれない。


 この成果かは分からないが、私の新卒の就職先は超有名企業の4流会社だった。

4流の会社でも、有名なコンツェルンだったので、両親は喜んでくれた。

申し添えておくが、本当に4流企業体である。

4流会社の行く末は、やっぱりね!という感じである。世間にご迷惑も掛けた企業体だ。

そうは言っても、私も新入社員として一生懸命に働いた。

しかし、私は臭覚と感性を駆使して、この会社に見切りを付けた。

それは偶然という人も多いようだが、私の一大決心ではそういうことになっている。

3年弱で退職し、3ヶ月プータローをした。( 私は、3ヶ月の自分探しと認識している )

けれども両親はがっかりしていたに違いない。

母親は現実志向なので、ガミガミうるさかった。

父親は、この現実を受け入れて、何も言わなかった。

しかし無言のプレッシャーと父親の働きぶりを十分知っているので、自分探しは止めた。

直ぐに、自分探しなんかより、職探しが大事と考えた。これが本当の自分探しである。


 そして、日曜日の新聞折込の求人紙に目をやった。

そこには、ちょっと気にかかるキャッチコピーの求人が載っていた。

・特別養護老人ホームの寮父募集(夜勤できる人)

・給与:東京都職員給与に準ずる。


 直ぐに応募した。

面接を受けた。

一両日中に連絡します。

連絡がこない。

一両日の意味を辞書で調べた。

辞書の意味と違うから電話した。

6月8日の朝8時半までに着てくださいと言われた。

もう一人、10才年上の男性職員が採用されたようだった。

そして2人とも、直ぐに介護職として働いた。しかし3ヶ月間は時間給らしい。

数日後、もう一人の男性が辞めると言う。

仕事の内容がキツイかを尋ねたら違うという。理由は分からなかった。

そして、翌日に事務長に呼ばれた。

○○君が、3ヶ月も時間給じゃ、妻子もいて生活ができないとのこと。

貴重な男性職員で、辞められては困っちゃうので、この金額の採用に切り替えると。

超ラッキーな特別なことが言われて嬉しかった。この棚ボタは、○○さんのおかげ。


 職場の介護職には女性が多くて、男性は6人くらいしかいなかった。

女性の介護職は、当時は寮母さんという名称で呼ばれていた。

女性職場と言っても、中高年が多かったような気がした。

なぜか、途中で苗字が変わる人もいた。

なぜか、バツイチも多かった。そして女性だけれど喫煙と飲酒が好きらしい。

アクが強いので、なるほどと思った。何となく特別という意味が分かった気がした。

そして、男性介護職は、たったの1人だ。

男性介護職の無口な小川君は、もう直ぐ退職するらしい。

仲良くなっても多くを語ってくれない。なるほど、これも特別だと思った。


 入職10日後は、賞与支給日だった。理事長から明細書が渡されていた。

いつもは不機嫌な顔をしていた当時の婦長様も、顔全体が緩んでいた。

なぜか私の名前も呼ばれた。顔全体が緩んでいた婦長様も、すぐに顔が引きつっていた。

これも特別なことだ。さすが特別という意味が分かってきた。


 朝礼後、介護材料室に入って仕事の準備をしていたら、寮母さんが明細を見ていた。

調子こいて、いっぱいもらえていいですね!と言ったら、あなたも中を見ろと言う。

仕方が無いので、明細の点線を丁寧に切り取った。

わざと驚いてビックリしながら答えた。えっ、10日で10万円ですよって!

そうしたら、この寮母さんの子分もどきの人が来てしまった。

仕方が無いから、1万円ですと正直に明細を見せた。

何となく打ち解けて、中高年のおばさんに受け入れられて弄ばれた。悲しかった。


 数ヶ月が経過し、入所者のことを詳しく知るようになった。

社会的入院という言葉も知った。社会的受け皿の無さも知った。

戦争・苦労・孤独・失敗・アルコール依存・生活保護・服役・離婚・ギャンブル。

他にもマイナスイメージを連想する言葉も多かった。

なるほど、本当に特別なことなんだと思った。しだいに特別でも何でも無いと思った。

時代背景や自分で選んだ道でもない。仕方が無かったこともあったようだ。

 人生は、十人十色。いろいろな現実が現実として起きていて、それが歴史だ。

最初は、否定してしまったこと、受け入れられないこともあった気がする。

 今から10年以上前のことなので、現在とはかなり違うことも多い。

職員や入所者の状況も、今とは大きな開きがある。

当時から離職率もそれなりにあった。

しかし、働いている人の現実もある。

そして、施設によっては公私格差の是正を図っている施設もあった。

今では、信じられない給与水準だったことを覚えている。みんな必死そうだった。

私の新卒時の4流企業の賞与だって、夏冬の2回で年間5.71ヶ月だった。

転職した社会福祉法人の賞与も年3回(夏冬春)で、年間5.45ヶ月だった。

そういう面では、良い時代だったが臭覚が騒いでしまった。






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相性                              アヒル

2009年06月22日 | お出かけ
「相性」は意味づけが難しい。

趣味が合う?
一緒にいると楽しい?
一緒にいると落ち着く?

イロイロ後付はできるけど、本当のところはよく分からない。

「好き、嫌い」に理由を探さなくても意味はなし。
気にしなくても良いものなのかも知れない。

人生には分からないことが沢山あるがそのうちの一つかも。

ガチョウ氏とは、相性がよく、考えていることも同じに思えるから、
結果として、一緒にいて楽しいし、気になる存在でもある。

こうなると、そうすると、きっと喜ぶだろうと自然に思える。
金銭的利益とかではなく、なんとなくそうなる。

不思議なものです。

仕事なら相性が悪かろうが、嫌いだろうが、努力して付き合う。
それがプライドでもあり、やりがいでもある。

私生活では、打算もプライドも関係なく、いきたいもの (なかなかそうも行かないけど)
そう思える「友」を持つことが人生の喜びでもあり、幸せでもある。

天気の悪い日に良き友のことを思う。




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今日も昨日に引き続き、都内に出稼ぎです。     【ガチョウ】

2009年06月21日 | その他
今日も昨日に引き続き、都内に出稼ぎです。
しかし連日、深夜まで自己研鑽に励み、先週金曜日に設定してしまったヤフオク出品
が6~7個落札されてその発送作業で金曜日すら日付超え。
睡眠不足と全力投球で、身体疲労と脳の疲労で最悪なヘロヘロです。

 悪いことは重なるものです。
昼休みに、エレベーターの所に行ったらHさんがいた。
またまた、エレベーターに一緒に乗り合わせ。
昨日は昼食をどこで食べたんですかと、社交辞令。
1階のパスタ屋さんとのこと。
今日もそこに行くらしい。
同じバツの悪さも続けられないので、仕方が無いから私から言った。
「邪魔じゃなかったら、行ってもいいですか?」

 ランチメニューを頼み、美味しそうなのが直ぐにキタ。
でも、複雑な味がしたような気がする。

 帰りの電車は、日曜日なので空いていました。
下り電車で直ぐに爆睡です。

 しかし、爆睡も自分のいびきで起きてしまいました。
目の前の部活帰りの女子高生8人が、ゲラゲラ笑っていたかもしれません。
もしかしたら、電車もガラガラなので、携帯で写真も撮られていたかもです。
明日の女子高生の笑いのネタです!

都内に出稼ぎに行ってきた。

2009年06月20日 | アルバイト ・ サイドライン
 このアンニュイな土日は、ちょっと緩めのアルバイトである。
緩い割には、当日のゲストにバラツキがあり、気疲れする場合がある。
ゲストの中に、過激な人・全否定の人、いるだけの人、一生懸命の人などがいる。

 今日の役回りは、3番テーブルと4番テーブルのホスト役だった。
今日は、ハイブリッドのゲストも多く、出力を40%にしている人も多かった。
一丁前にネクタイを締め、格好良く出稼ぎに行ったけど、暑すぎでバテた。
筆頭ホストになりそうだったけど、何となく回避できた。

 昼休みは、エレベーター内で、H原さんに声を掛けられた。
雑談をしてたっら、あっと言う間に1階だ。
昼食を一緒に食べようと誘おうと迷った。向こうも一緒にと迷っていた様子。
でも、お互いに躊躇してしまい、違う方向に歩いて行ってしまった。
間合いが悪くバツが悪い。

 前から相性が悪いと思っていたので、やっぱりかと言う感じ。
今までのパターン的には、昼メシを一緒食べよう、となると仲良くなれる。
そういう人は、社交的オーラが少しは出ているので、声を掛けやすい。
その逆もあり、気軽に声を掛けてくれる人は、可愛らしさがある。
その辺を考察すると、オーラも無く可愛らしさも無いような気がした。

 今回のアルバイトも、このシリーズ2回目である。
1回目は、アヒル師と一緒だった。今回は、共演にならなかった。
運が良いことに3回目のアルバイトの打診があった。欠員2名らしい。
アヒル師の分が、諸般の事情でワタクシに回ってきた。

 来月もガチョウは地回りのすずめみたいな感じだ!
アヒル師は、渡り鳥として南下する。
お互い、戻ってきたら餌でも食いつまみたい。







 

ワタクシ、B層はつらいよ!           【ガチョウ】

2009年06月16日 | その他
 私たちの仕事は、社会福祉の中で法律に沿った業務をしている。
一般的に制度ビジネスと呼ばれている業種である。
意外と政治に密接に関係しており、政局にも利用されている。
そんな政治を見ていると、麻生内閣の支持率も危険水域にまで低下している。
思い起こせば、4年前の小泉時代の郵政選挙ともうすぐ行われる総選挙とは雰囲気が違う。
あの時代は、フィーバー感があった。私の勤務先の目の前にも小泉が来た。
私は、冷めた目で見ていたつもりでも、やっぱり生小泉見たさに駅前に行ってしまった。
生小泉を見たけれど、やっぱり冷めた目で見ていた記憶がある。
ワタクシも、やっぱりB層なのかなぁ??? B層のBは、どういう意味なんだろう?!
それも分からないので、やっぱりワタクシはB層のようである。
そして、竹中から見れば、間違いなくB層と分類されそうである。

もうすぐ行われる総選挙は、B層の小フィーバーが民主党に流れるだろう。
政府から密かにA層だの、B層だの、C・Dと分類されちゃうのも悲しいものだ。
結局、政治家の政治家による政治家のためのB層投票が必要らしい。
政治家や上手に構築された仕組みにB層以外の公務員がぶら下がる。
ワタクシB層は、その仕組みに利用され骨までしゃぶられる。




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リニア中央新幹線。        【ガチョウ】

2009年06月15日 | その他
 先日、JR東海が2025年にリニア中央新幹線の開業を目指すと発表があった。

リニア中央新幹線の駅は、沿線4県に1駅ずつ設置するらしい。

現在のルートからすると、神奈川県の駅は、相模原市が有力だそうだ。

相模原と言ってもすごく広いのですが、橋本駅が有力候補とささやかれている。

橋本には、JRの横浜線、相模線と私鉄では京王線が乗り入れている。

比較的、交通の便も良くて八王子にも出やすい位置である。

東京側から八王子バイパスを降りると、もう橋本市に入っている感じだ。

橋本駅の南口には、神奈川県立相原高校が大きく聳え立っている。

相原高校は、農業系・商業系の学科を併せ持つ歴史と伝統ある高校である。

リニア中央新幹線も新時代の幕開けとして、歴史を刻むかもしれない。

おそらく用地確保のために、高校は移転になる可能性も大きい。

そして、その跡地にリニアの駅を作るかもしれない。



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