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コジキジゲン

烏孫→阿史那(アシナ=蘆名・芦名・葦名・足名⇔アテネ)

2018-08-23 23:06:00 | 古事記字源

 ・・・「十三湊(とさみなと)」の壊滅・・・ナンで「とさみなと」なんだか?・・・「土佐港」・・・
ーーーーー
 安日彦(アビヒコ)=安日王・・・我孫子(あびこ)
          =安日長髄彦
     阿毎=阿部・安陪・安倍・阿倍・阿邊(阿辺)
        阿武・安歩・焙・虻・炙
        那賀須泥毘古(古事記)
     登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)
     登美毘古(トミビコ)
     神武東征に抵抗した河内の豪族の長
     安日彦(アビヒコ)という兄がいた・・・
 鎌倉~室町期成立の
 『曽我物語』に
 蝦夷の祖を
 流罪にされた
 鬼王安日・・・・鬼室福信=?~663年=扶余福信
 ↓↑      百済の王族・将軍
         義慈王の父で
         百済
         第三十代武王(余璋)の甥
         官位は恩率(三品官)、のち佐平(一品官)
         鬼室氏の祖
         白村江の戦い(663年)以前に
         倭国と百済の連合軍が大敗
 ↓↑      鬼宿=和名は魂緒の星(たまおのほし)
            魂讚星(たまほめぼし)
            二十八宿の一
            南方朱雀七宿の第2宿
 ↓↑         距星はかに座θ星
 とする伝承が記載
 長髄彦の兄
 彼と共に青森県の弘前に逃れた
 or
 単独で津軽地方に流された・・・
 事記や日本書紀には
 安日彦の名は記録されていない
 ↓↑
 長髄彦一人が大和で死なず
 東北に落ち延びた(塩釜神社伝承)
 長髄彦(兄の安日彦または兄弟2人)が
 津軽に逃げてきたという伝承は
 中世以降の創作・・・
 ↓↑
 登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)
 登美毘古(トミビコ)
 ↓↑
 饒速日命の手によって殺された
 ・・・或いは失脚後に故地に留まり死去
 自らを後裔と主張する
 矢追氏による自死したという説も・・・
 ↓↑
 旧添下郡
 鳥見郷(生駒市北部・奈良市富雄地方)付近
 あるいは
 桜井市付近に勢力を持った豪族
 長髄=邑の名(記紀)
 ↓↑
 登美夜毘売(トミヤヒメ)=三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)
 登美夜須毘売(トミヤスヒメ)
 ↓↑
 登美毘古(トミビコ)の
 妹を
 ↓↑ 天の磐舟で・・・磐舟=UFO?
    斑鳩の峰
    白庭山に降臨した
    饒速日命(ニギハヤヒノミコト)
    饒速日=邇藝速日(古事記)
 ↓↑ 櫛玉命(くしたまのみこと)
    飛行神社
    京都府八幡市にある神社
    飛行機の神
    饒速日命と航空事故の犠牲者などを祀る
    ギリシャ風の拝殿を持っている
    日本で最初に飛行原理を研究した
    二宮忠八・・・日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功
    が創建(1915年・大正四年)
    1936年(昭和十一年)・・・十一念?
    忠八の死により廃絶・・・・注葉知?
    1955年(昭和三十年)
    忠八の息子
    二宮顕次郎・・・・・・・・顕(日並頁)の
                 次(似素意)の
                 郎(良阝=邑=大里=都)
 ↓↑ によって再興
 天照国照彦-火明-櫛玉(奇霊・奇魂)-饒 速日命
 ↓↑               =邇藝速日(古事記)
 ↓↑ 物部氏、穂積氏、采女氏、熊野国造らの祖神・・・
 ↓↑
 の妻とし、仕え・・・「宇摩志麻遅命=可美真手」を産んだ
 中世の武将の
 伊達家が長髄彦の子孫・・・
 神武天皇が
 浪速国
 青雲の
 白肩津に到着したのち
 孔舎衛坂(くさえのさか)で迎え撃ち
 天皇の兄の
 五瀬命は
 矢に当たって負傷、死亡
 後
 八十梟帥
 兄磯城
 を討った皇軍と再び戦い敗北
 金色の鳶が飛んでき
 神武天皇の
 弓弭に止まり
 長髄彦の軍は
 眼が眩み、敗戦
ーーーーー
 秋田氏の系譜
 先祖に由来する
 「伊駒姓」
 伊駒長脛(ナガスネ)のこと
 生駒市北部
 奈良市富雄を勢力範囲としていた古代の王
 登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)=登美毘古(トミビコ)
 神武東征に対し最大の抵抗をした豪族
 ↓↑ 
 明治維新後
 秋田田子爵家が宮内庁に系図を求められ
 「安日長髄を先祖」とする一族の
 「秋田家の系図」
 「孝元天皇-開化天皇-大毘古命(大彦命)安倍将軍
  是、安倍姓元祖-建沼川別命安倍将軍」
 安日王   兄 
 長髄彦   弟 
 安国 安日後孫
 安東(はる)崇紙天皇御宇
 賞二軍功一賜二安倍姓一致(むね)東(はる)
 号二奥州日下将軍一・・・日下将軍?
 ↓↑ 
 秋田市子爵家の後見職
 秋田主税(ちから)は
 「当家は姓を賜って
  安倍を称した
  安倍姓の祖系を先に掲げ
  当家の年来の慣例
  これを宮内省で
  秋田家の系図として納めた」
 大毘古命(大彦命)の末裔の安倍姓は
 奥州の安倍氏とは血脈の上ではまったく関係がない
 ・・・(浪岡具雄の伝承)?
 ↓↑
 秋田氏=本姓が安藤(安東)
 古代
 陸奥国俘囚の長であった
 安倍貞任の子孫・・・
 中世
 今の秋田県北部から青森県全域、北海道南部までを勢力圏
 津軽十三湊を本拠地
 とし貿易や水軍活動
 「蝦夷管領」
 「日の本将軍」
 と称された・・・
 後、
 檜山安藤氏(下国家)
 と
 湊安藤氏(上国家)
 に分かれ、南部氏の勢力に押され
 出羽国に本拠地を移し
 天正年間の
 愛季に至り、両家が合体
 愛季は
 天正十七年(1589)
 居城を檜山(能代市)から
 湊(秋田市土崎)へ移し
 律令官職である
 「秋田城介」を名乗った
 以後
 秋田氏と称するが
 本姓の安倍
 従来の安藤(安東)姓が併用
 先祖に由来する
 伊駒姓も使用・・・
 ↓↑  
 長脛=イギリスの長脛王
    エドワード1世(Edward I)
    1239年6月17日~1307年7月7日・・・130777・・・?
    プランタジネット朝
    イングランド王
    在位1272年11月17日~1307年7月7日
    渾名は
   「Longshanks(ロングシャンクス・長い足・長脛王
          身長が190cm)
    Hammer of the Scots(ハンマー・オブ・ザ・スコッツ
    スコットランド人への鉄槌)」
    エドワード1世 (イングランド王) (Wikipedia)
ーーーーー
 突厥=前身は
    阿史那(アシナ=蘆名・芦名・葦名・足名)
    烏孫→阿史那→突厥

    アシナ⇔アテネ(ギリシア語: Αθήνα; Athína
        Athinai・古代ギリシア語=Athēnai)
        ギリシャ共和国の首都
        アッティカ地方の古代からの都市
    アテナイ=Athēnai
    現代ギリシア語文語 (カサレブサ) で
    アシネ=Athínai
    現代ギリシア語口語 (ディモティキ) で
    アシナ=Athína
    アテネはラテン語
    1970年代
    カサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで
    公式名称は
    Ἀθῆναι=アシネ([aˈθine])
    カサレヴサ廃止以降
    Ἀθήνα=アシナ

    女神アテナ・・・ゼウスの頭頂部より
            武装して鎧を纏った姿で出現
    と
    海神ポセイドン
    との争い
    ポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で
    地を突き海水を湧き出させ
    アテナは
    オリーヴの木を生い立たせ
    国王ケクロプス、住民は
    オリーヴの木を択び
    アテナの名を都市の名とした
    アテネ市=τὸ κλεινὸν ἄστυ=栄光の都
    古代ギリシアの詩人
    ピンダロスが
     ἰοστέφανοι Ἀθᾶναι と呼んで
    「紫冠の都(en:City of the Violet Crown)」
ーーーーー
 突厥=前身は阿史那(アシナ=蘆名・芦名・葦名・足名)
    烏孫→阿史那→突厥

    アシナ⇔アテネ(ギリシア語: Αθήνα; Athína
        Athinai・古代ギリシア語=Athēnai)
        ギリシャ共和国の首都
        アッティカ地方の古代からの都市
    アテナイ=Athēnai
    現代ギリシア語文語 (カサレブサ) で
    アシネ=Athínai
    現代ギリシア語口語 (ディモティキ) で
    アシナ=Athína
    アテネはラテン語
    1970年代
    カサレヴサ(文語)の使用が停止されるまで
    公式名称は
    Ἀθῆναι=アシネ([aˈθine])
    カサレヴサ廃止以降
    Ἀθήνα=アシナ
    女神アテナ・・・ゼウスの頭頂部より
            武装して鎧を纏った姿で出現
    と
    海神ポセイドン
    との争い
    ポセイドンは三叉の槍(海軍力の象徴)で
    地を突き海水を湧き出させ
    アテナは
    オリーヴの木を生い立たせ
    国王ケクロプス、住民は
    オリーヴの木を択び
    アテナの名を都市の名とした
    アテネ市=τὸ κλεινὸν ἄστυ=栄光の都
    古代ギリシアの詩人
    ピンダロスが
     ἰοστέφανοι Ἀθᾶναι と呼んで
    「紫冠の都(en:City of the Violet Crown)」
ーーーーー
 蘆名氏(あしなし)
 桓武平氏系統の三浦氏から興った氏族
 相模国
 蘆名(横須賀市芦名、芦名城)の地名に由来
 「芦名氏」「葦名氏」
 「三浦芦名家」と表記される事もある
 相模
 蘆名氏
 と
 会津
 蘆名氏の二つの系統が存在
 通し字は
 前者は「為」
 後者は「盛」
 蘆名 盛氏(あしな もりうじ)
 戦国時代の陸奥国の武将・戦国大名
 蘆名氏第十六代当主
ーーーーー
 突厥=トゥルク
    突厥の発祥
    西海(地中海)から中央アジアへ移住
    窮地を狼に救われた
    烏孫=突厥
    烏孫の移動ルート
 『東日流外 三 郡 誌』
 (つがるそとさんぐんし)
 津軽地方支配の
 荒吐族(あらはばきぞく)
 その王
 阿倍氏⇒安東氏⇒秋田氏
 その都
 十三湊(とさみなと・青森県五所川原市の十三湖の辺り)
 ↓↑
 「アラハバキ」=縄文の遮光器土偶・・・
 「ナガスネヒコは
  兄の
  安日彦(アビヒコ)とともに
  津軽に渡り
  津軽の土着民
  阿蘇辺族
  津保化族
  と併合し
  荒吐族となった」・・・
  和邇氏(海神族)の協力を経て北上し
  兄
  安日彦(アビヒコ)とともに
  青森県は津軽(東日流=つがる)に落ち着いた
  大阪の十三(じゅうそう)や
  十三湊(とさみなと)
  という地名は
  アビヒコの弟
  トミヒコ(ナガスネヒコ)が語源
ーーーーー
 ・・・
 鎌倉時代後期
 豪族・安東氏(津軽安藤氏)の本拠地
 和人と蝦夷地のアイヌとの交易拠点
 文明年間(1469~87年間・戦国時代初期
      or戦国時代末期(16世紀末、17世紀初頭)・・・
 日本最古の海洋法規集『廻船式目』が
 「三津七湊」について
 七湊の一つとして
 「奥州津軽十三湊」記録
 後代
 朝鮮半島や中国などと交易・・・
 遺跡は東西に延びる土塁を境に
 北側には安東氏や家臣たちの館
 南側には町屋が整然と配置
 室町時代中期
 安東氏が南部氏に敗れて支配地を失って
 夷島(蝦夷地)へ逃げ
 十三湊は衰微し
 和人・蝦夷間の交易拠点としての地位は
 野辺地湊(野辺地湾に面する湊・上北郡野辺地町域)
 盛岡藩の北の門戸へ移った
 大浜=大濱(青森市油川地区)
 飛砂が堆積して水深が浅くなり
 港としての機能は低下
 16世紀後半から再び整備復興
 江戸時代
 岩木川を下ってきた米を
 十三湊から
 鯵ヶ沢湊(西津軽郡鰺ヶ沢町域)へと運ぶ
 「十三小廻し」が行われた
 ↓↑
 『東日流外三郡誌』
 興国元年(1340年・南北朝時代初期)
 大海嘯(大津波)によって
 十三湊は壊滅的被害
 安東氏の政権は崩壊・・・
 発掘調査で津波の痕跡は無し?
 興国二年以後
 十三湊は重要な湊として数々の文献に記録
 1993年(平成五年)
 青森県古文書研究会が
 同書を偽書と断じた・・・?・・・偽書を作った理由はナニ?
 弘前大学の発掘調査により
 正確な年代こそ不詳ながら
 十三湊を襲った津波の痕跡であろう
 泥の堆積が2層以上確認
 津波の試練は幾度もあった・・・?
 ↓↑
 12世紀(平安後期)
 平安期の当地域周辺に見られた
 区画集落群の人為的廃絶
 在地豪族層による広域支配体制の確立
 鎌倉時代初頭
 津軽地方一帯は
 鎌倉幕府支配体制下
 古十三湖の周辺地域は幕府支配下で
 「西浜」と呼ばれる
 13世紀初頭(鎌倉時代後期前葉)
 西浜で十三湊
 蝦夷沙汰職(蝦夷管領)を務めた
 安東氏(津軽安藤氏)の許で繁栄
 15世紀半ば(戦国時代初頭)
 安東氏(津軽安藤氏)が
 南部氏に敗れて支配地を失い
 夷島(えぞがしま。蝦夷地)へ逃亡
 十三湊は衰退
ーーーーー
 ・・・???・・・

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