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「クマ(熊)」は何処か?・・・「熊の毛」は何色か?

2017-10-26 19:18:52 | 古事記字源

 ・・・「クマ(熊)」は何処か?・・・熊の毛の色は何か?・・・「黒」 or 「褐色=ブラウン(brown)」、そして「白熊」が存在するから「白色」・・・パンダ(panda・猫熊≒熊猫・大熊猫・大猫熊)は「白黒」だが・・・パンダが発見される以前は「レッサーパンダ(小熊猫・小熊貓)=鼬(鼠+迪・いたち)科」の元々の名前だったらしい・・・猫=熊になったのは十二支上のネヅミとネコの北方位置の争いでネヅミ(鼠)がネコ(猫)を追いだしたコトになっているが「大猫熊」、「小熊貓」は北極星を周回する場所を得た、と云うコトか?・・・
 イイズナ(飯綱)=イタチ科=コエゾイタチ(小蝦夷鼬?)
 クズリ(貂熊・屈狸)=イタチ(鼬)科・・・スカンク・skunk?
 ラッコ(海獺・猟虎
    アイヌ語Rakko・英語Sea otter)
    =イタチ科
     カワウソ(川獺)亜科- ラッコ属
     イタチ科で水棲に進化したのが
     カワウソ(川獺)類(カワウソ亜科)
 ・・・カワウソ=川嘘・・・加話嘘・・・?
      川流=かわる=変わ留・・・
      河流=氵(水)+可+氵+㐬・・・
   「毓=毎+㐬=そだつ・そだつ・そだてる・はぐくむ」=育
        云(二ム・亠一ム)+川
        川=ノ+礀+乚=爪?
      ↓↑
 河(カ )=かわ・かは=流れる→変化する・化波=掛話
 川(セン)=かわ・かは=流れる→変化する・加波=掛話
 「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元(もと)の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)は、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
 は、何で「方丈記(はうぢやうき・ホウジョウキ)」のタイトルなんだか?・・・「題名は長明が日野山に一丈(約3m)四方の庵(いおり・アン)を造り住んだことによる」?・・・「方(かた・ホウ)の丈(たけ・ジョウ)の記(しるす・キ)」・・・「草庵=ソウアン=創案・草案・いほり=意織・伊織・衣織・居織・井折)」・・・
 「丈=尺貫法の長さの単位・1891年(明治二十四年)100メートルを三十三丈と定めた・10尺=1丈は、曲尺 (かねじゃく) で約3.03メートル・鯨尺で約3.79メートル・たけ・長さ・丈の短い反物」・・・「歌舞伎俳優の芸名、男性などの名に付けて、敬意を表す・・・○○丈→太郎丈」・・・
 「方丈記(建暦二年・1212年・三月成立・鴨長明・久寿二年(1155年)~建保四年閏六月十日(1216年7月26日)・法名は蓮胤・菊大夫」・・・「1922年(大正十一年)健康保険制定(企業雇用者の職域健康保険)」・・・
 「建保四年閏六月十日」って?「鴨長明=かものチョウメイ=カモの長命」・・・「健保・建保=ケンポ=憲保」を標的にしていたのカモ・・・公聴=コウチョウ=広聴・・・
  ↓↑
  1935年(昭和十年)
 農家・自営業者の地域保険
 埼玉県越ヶ谷町(越谷市)の
 一般住民を対象とした
 地域健康保険制度
 「越ヶ谷順正会」を発足
  ↓↑
 1938年(昭和十三年)
 政府レベルで
 国民健康保険法(旧法)が創設
  ↓↑
 越谷市は・・・・・・・・武蔵野・・・埼玉県南東部
 「越ヶ谷順正会」を
 「国民健康保険の発祥」
 国民健康保険法施行10周年を記念し
 1948年(昭和二十三年)
 「越ヶ谷順正会」を顕彰する
 「相扶共済の碑」が
 越谷市役所の敷地内に立てられた・・・
 「荒川(あらかわ)は、埼玉県および東京都を流れ東京湾に注ぐ河川・山形県および新潟県を流れる河川」だが、北海道から沖縄まで河川の名前で、およそ二十八も存在している「荒川」で、由来そのものが台風、豪雨で「洪水・氾濫」の繰り返しの河川だったんだろう・・・モチロン、九州にも「荒川」・・・
 ↓↑
 荒川 (佐賀県)=佐賀県
  武雄市を流れる
         松浦川水系
  川古川支流
 荒川 (熊本県)=熊本県
  天草市を流れる
         内野川水系
 荒川 (いちき串木野市)=鹿児島県
         いちき串木野市を流れる
         荒川川
 荒川 (屋久島)=鹿児島県
         熊毛郡
  屋久島町を流れる
         安房川水系
 ↓↑
 「猫=ねこ=貓=根子(コンシ・ねっこ)・根古(コンコ・ねふる)・根来(ねごろ・コンライ)」・・・
 「根子岳(北緯32度53分・東経131度08分」は熊本県阿蘇郡高森町にある山で阿蘇五岳の一で、宮町と宮地町の境をなす東峰、天狗峰、西峰から成る山だが・・・同名異山の「根子岳(北緯36度32分・東経138度23分)=四阿山カルデラの南東縁、四阿山山頂から北西」は、長野県上田市菅平高原と須坂市の境にある山である・・・
 「パンダ」の由来はネパール語で「ポンヤ=竹」、「パンジャ(panja)=手の平(五指を含む)」・・・
ーーーーー
 「白河法皇」が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いた・・・「賀茂河の水」とは、古来氾濫を繰り返す暴れ川・・・
 ↓↑
 白河天皇
 第七十二代天皇
 在位
 延久四年十二月八日(1073年1月18日)
  ~
 応徳三年十一月二十六日(1087年1月3日)
 諱を貞仁(さだひと)
 父は後三条天皇の第一皇子
 母は藤原公成の娘で
 藤原能信の養女、藤原茂子
 ↓↑
 後白河天皇
 第七十七代天皇
 大治二年九月十一日(1127年10月18日)
  ~
 建久三年三月十三日(1192年4月26日)
 在位
 久寿二年七月二十四日(1155年8月23日)
  ~
 保元三年八月十一日(1158年9月5日)
 父は鳥羽天皇の第四子
 母は藤原璋子
 諱は雅仁(まさひと)
 日本国第一之大天狗
ーー↓↑ーー
 ・・・白川・白河、結構、けダら毛、ネコ灰だらけ・・・
  ↓↑
 白川 (熊本県)=熊本県中北部を流れる本流河川
 白川 (渡島)=北海道茅部郡森町・尾白内川水系河川
 白川 (上川)=北海道上川郡・上川町・石狩川水系河川
        山形県山形市・最上川水系
        馬見ヶ崎川の別称
 最上白川=山形県最上郡最上町・最上川水系
      最上小国川支流
 置賜白川=山形県長井市・西置賜郡
      飯豊町最上川水系河川
 榛名白川=群馬県高崎市・北群馬郡
      榛東村・利根川水系
      烏川支流河川
 赤城白川=群馬県前橋市・利根川水系
      桃ノ木川支流河川
 白川=長野県木曽郡
    木曽町・木曽川水系
    西野川支流の河川
 白川=長野県・木曽郡王滝村
    木曽川水系
    王滝川支流河川
 白川=長野県・木曽郡王滝村
    木曽川水系
    濁沢川支流河川
 白川=長野県・諏訪郡・富士見町
    富士川水系河川
 白川=岐阜県・揖斐郡・揖斐川町
    木曽川水系
    坂内川支流河川
 白川=岐阜県・中津川市・加茂郡白川町・東白川村
    木曽川水系
    飛騨川支流河川
 白川=静岡県賀茂郡西伊豆町
    仁科川水系河川
 白川=愛知県豊川市を流れる
    音羽川水系河川
 白川=愛知県春日井市
    庄内川水系
    内津川支流河川
 白川=滋賀県大津市・京都府・京都市・左京区
    淀川水系
    鴨川支流河川
 白川=兵庫県・神戸市・須磨区
    明石川水系
    伊川支流河川
 白川=福岡県・京都郡・苅田町
    長峡川水系
    小波瀬川支流河川
 白川=宮崎県・えびの市
    川内川水系河川
 白川川=高知県・土佐市
     仁淀川水系
     波介川支流河川
 白川川=佐賀県・西松浦郡・有田町
     有田川水系河川
 白川川=長崎県・長崎市
     多以良川水系
     二股川支流河川
 白川川=鹿児島県・伊佐市・姶良郡・湧水町
     川内川水系河川
ーー↓↑ーー
 白川村
 白河村=茨城県・東茨城郡・白河村(小美玉市)
 白川=北海道札幌市南区にある地名
 白河の関=福島県白河市にあった関所
 白河・白川=福島県南部の地域
       白河市、東白川郡、西白河郡
 白川=群馬県高崎市箕郷町
 白河=東京都江東区
 白川町=岐阜県加茂郡の白川流域の町
 白川=岐阜県大野郡・白川村・白川郷
 白川=愛知県名古屋市中区
    旧栄区白川町・白川公園・白川出入口
 白河=白川=京都府京都市左京区
    北白川、
    岡崎周辺の旧地名
    平安時代後期に
    洛南の鳥羽と共に院政の中枢
    白河(洛外)
 白川通=京都府京都市の南北の通りの一
 白川・白川台=兵庫県神戸市須磨区
 白河区=台湾台南市の市轄区
 白河県=中国陝西省安康市の県・・・安の康
 白川町=台湾嘉義市
 白川郡=福島県にあった郡
 白河郡=福島県にあった郡
 白川郡 (黄海南道)=朝鮮国・黄海南道の郡
 白河鎮
 白河郷=(九寨溝県
    =中国四川省
     アバ・チベット族
     チャン族
     自治州
     九寨溝県の郷
 白河郷=屏辺ミャオ族自治県
     中国雲南省紅河
     ハニ族イ族
     自治州
     屏辺ミャオ族
     自治県の郷
 白河藩=陸奥国
     白河(福島県白河市)
     周辺を領有した藩
 白河の関は、
 鼠ヶ関(ねずがせき)=念珠関・・・鼠=子=了+一=終始
 越後国と出羽国の国境にあった関所
 古代には蝦夷地との境界地点
 都岐沙羅柵 (つきさらのき) が置 かれた
       トキサラサク
       解記(紀)沙良詐句・・・持統天皇(書紀)?
 勿来関(なこそのせき)=菊田関・・・記句多籍・規矩他昔
 「なこそ=な来そ」=「来るなかれ」
     「な~そ」=強意の禁止
 とともに、 奥州三関の一つ
  「六国史」
 白河の初出は
 718年(養老二年)五月二日
 陸奥国から
 「白河」など五郡を分割し
 石背国を設置・・・石背国(いわせのくに=云わ施の句似)
              セキハイコク
              施記葉意古句
 728年(神亀五年)四月十一日
 多賀城を
 陸奥国支配の本拠地とし
 白河軍団の新設を許可
 769年(神護景雲三年)三月十三日
 陸奥国
 大国造
 道嶋
 宿祢
 嶋足
 の申請によって
 功績者への賜姓付与
 白河郡では
 丈部某・・・・・・丈(たけ・ジョウ)部(べ・ブ)の
          某(なにがし・ボウ)=甘+木
 と
 大伴部某
 がそれぞれ
 阿部陸奥臣
 および
 阿部会津臣
 を授かった
 780年(宝亀十一年)十二月二十二日
 陸奥
 鎮守府
 副将軍
 百済王・・・・・・・・百済の王・・・敵は新羅だが?
 俊哲・・・・・・・・・俊(イム八夂)の哲(折口)
            俊(すぐれる)・唆(そそのかす)
 が賊に囲まれ
 「白河」の神など
 十一神に祈ったところ
 これを突破できたとして
 弊社に加えることを許可
  ↓↑
 源頼朝が・・・源氏は新羅を名前に有する者がいるのは
        清和天皇自体が
        新羅系の血統?・・・じゃなくても
         立場、思想上の親派(sympathizer)?
         シンパ・共鳴者・支持者・同情者・同調者
         賛同者・・・恩義を受けてもシンパになる?
        源義光(新羅三郎・館三郎)が
        新羅神社(新羅善神堂
             智証大師円珍の建立
             円珍は
             讃岐國
             金倉郷で誕生
             俗姓は和気(分・別)
             字は遠塵
             弘法大師空海(佐伯真魚)の甥
             仁寿三年(853年)
            「新羅商人」の船で入唐
             途中で暴風で台湾に漂着)
        で
        元服し「新羅三郎」と名乗った・・・?
        河内源氏の2代目棟梁の
        源頼義の三男
        源義光(新羅三郎・新羅神社)
        母は平直方の女・・・「平」の直方?
        兄に
        源義家(八幡太郎・宇佐神社)
        源義綱(賀茂次郎・加茂神社)
        武門の棟梁の祖?
        第五十六代・清和天皇
        嘉祥三年三月二十五日(850年5月10日)
        ~
        元慶四年十二月四日(881年1月7日)
        在位
        天安二年十一月七日(858年12月15日)
        貞観十八年十一月二十九日
       (876年12月18日)
        諱は惟仁(これひと)
        水尾天皇ともいう
        文徳天皇の第四皇子
        母は太政大臣の
        藤原良房(太政大臣・後に摂政)の娘、明子
        生後8か月で皇太子
        八歳で即位
        二十七歳で譲位
        第六皇子
        貞純親王の子の
        経基王の子孫、末裔が
        源頼朝・足利尊氏
  「将軍」とは?・・・征討侵攻駐留の
            軍事的支配権を有する司令官
            GHQ=連合国軍最高司令官総司令部
            General Headquarters
            進駐軍による軍事行政権力機関の
            最高司令官である
 「征夷大将軍」だが、
 大陸中国王朝に求め、
 もらった
 「将軍」の称号とは?
ーーー↓↑ーーー
  「421年・讃=安東将軍倭国王」
  「438年・珍=自称
         使持節都督
         倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓
         六国諸軍事、
         安東大将軍倭国王
         安東=
         宋の文帝、
         珍を
         安東将軍倭国王、とする
         珍はまた、
         倭隋ら十三人を
         平西・征虜・冠軍・輔国将軍
         の称号を求め、許される」
  「443年・済=宋の文帝、安東将軍倭国王」
  「451年・済=宋の文帝、
         使持節都督
         倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
         六国諸軍事を加号」
        「安東将軍」はもとのまま
         七月、
        「安東大将軍」に進号
  「462年・興=宋の孝武帝、
         済の世子の興を
         安東将軍倭国王」
  「477年・興=興没、弟の武立つ
         武は自ら
         使持節都督
         倭・百済・新羅・任那
         加羅・秦韓・慕韓
         七国諸軍事安東大将軍倭国王と称」
  「478年・武=自ら
         開府儀同三司
         と称し、叙正を求める
         順帝、
         使持節都督
         倭・新羅・任那
         加羅・秦韓・慕韓
         六国諸軍事
         安東大将軍倭王」
  「479年・武=南斉の高帝、王朝樹立に伴い、
         倭王の武を
         鎮東大将軍(征東将軍)に進号」
  「502年・武=四月、
         梁の武帝、王朝樹立に伴い、
         倭王武を
         征東大将軍に進号」
ーーー↓↑ーーー
 奥州藤原氏を滅ぼす
 奥州合戦の際に
 頼朝が
 白河に達した時に
 梶原景季に歌を詠むよう命じると
 「秋風に草木の露をば払わせて
  君が越ゆれば関守も無し」・・・訓を請えれば籍取も無し?
 と詠んだ
 「白河関」の廃止後、遺構は失われ
 位置も不明だったが
 1800年(寛政十二年)
 白河藩主
 松平定信
 が文献考証を行い
 白河神社の建つ場所が
 「白河の関」跡であると論じた・・・
     ↓↑
 「天武天皇の皇子高市親王の子孫で高階峯緒に連なる正四位下尾張守高階為遠の女が「白河院尾張」を号した」・・・「尾張」って?名古屋・・・
 「尾張の小子部 鉏鉤(ちいさこべ の さひち・生年不詳~天武天皇元年(672年7月or 8月)。姓は連・672年の壬申の乱で尾張国司守として大海人皇子(天武天皇)に味方したが、内乱終結後に自殺した人物」・・・この自殺も謎らしいが・・・ワナにハメられた・・・
  ↓↑
 「白川・白河」はあっても、
 「黒川・黒河・玄川」はどうか・・・石炭産業の勃興時からである、と思いキャ、それ以前から結構ワンサカあるな、もちろん、「熊本県阿蘇の黒川温泉(瓜を盗んだ男の身代地蔵の首から温泉)」をはじめ、「黒川=北海道・余市郡・余市町を流れる余市川水系準用河川」等々・・・
 「小熊秀雄(おぐま ひでお・1901年9月9日~1940年11月20日)=詩人・小説家・漫画原作者・画家・筆名、小熊 愁吉(おぐま しゅうきち)、黒珊瑚(くろさんご)、旭太郎(あさひ たろう)・旭太郎名義で原作を担当した漫画『火星探検(大城のぼる作画・1940年)』は、日本SF漫画の先駆」、「北海道小樽市稲穂町に生まれる・幼少期を稚内市・秋田・樺太で過ごし、泊居高等小学校を卒業」・・・なんか、ブログ記事に添付された彼の写真、トンデル・・・
 「大城のぼる」のマンガは幼稚園(保育園)の女の先生の家でボクが初めて見たマンガだった・・・
 ソウ云えば、名古屋に「黒川駅」があったけ、ナッ、名古屋市北区城見通3丁目・・・
 日本に築城された各々の城の色は「白黒」に分かれているいるようだが・・・
ーーーーー
 「熊の本」
 「肥後」=ヒゴ=蜚語・卑語・飛語
         蜚=あぶらむし(油虫)・とぶ・ヒ
           蜚蠊=ごきぶり・・・ムシに非ず?
              ごきかぶり(御器噛)
         鄙語=田舎びた言葉
         比護・庇護
         籤=くじ・かずとり・セン
           竹を細く割って削ったもの
           籠や提灯の骨などに使う竹ひご
      流言蜚語=事実とは異なる伝聞
           根拠のない噂(うわさ)
           デマ=ドイツ語 Demagogie
              英語 demarcation
                 fake news
ーー↓↑ーー
 「白川・坪井川」
     ・・・熊本にある川の地名由来
        白川=白川・白河
        白川(はくせん・ペチョン)
        白河(はくが)
        坪井川=熊本県熊本市を流れる河川
        改寄町付近に源を発し南流
        有明海の島原湾に注ぐ
       「あんたがたどこさ」の手鞠唄の
       「せんば川」は
        船場町を流れる坪井川のコト
        坪=十一平
        壺井栄って?「二十四の瞳」=12人?
 大改修以前
 熊本の
 白川と坪井川
 熊本市役所付近で
 合流し下通を貫いて
 白川に流れていた
 流路に変更したのは
 加藤清正
 熊本城築城の際、
 坪井川と
 阿蘇からの
 火山灰を含んだ
  ・・・白砂の火山灰=シラス(白砂・白州)
     九州南部一帯に厚い地層として
     分布する細粒の軽石や火山灰
     鮮新世~更新世の火山活動による噴出物
 白川
 が合流する様を見て
 流路を分け
 城に近い
 坪井川を内堀に
 遠い
 白川を外堀とする
 河川改修をした
 下流にある
 再合流地点に
 石塘を築き
 両河川を河口まで分流した
 下流の地域を
 氾濫から防ぐ設計だった
 熊本4大河川改修
 白川、坪井川の付替、
 緑川の鵜の瀬堰、
 球磨川の遥拝堰、
 菊池川に於ける
 各種改修の結果
 穀倉地帯が生まれた
 熊本平野・八代平野・玉名平野
 干拓と堤防の整備で
 海岸に近い地域にも
 畑作地域が生まれた
 白川水系の主に
 熊本平野への
 灌漑事業
ーー↓↑ーー
 文禄元年(1592年)
 文禄・慶長の役
 朝鮮出兵
 慶長二年(1597年)
 慶長の役で
 加藤清正は
 左軍の先鋒となった
 小西行長に対し
 右軍の先鋒となった
 再び朝鮮に
 渡海する際
 小西行長は
 明・朝鮮軍側に
 加藤清正の上陸予想地点を
 密かに知らせた・・・?
 李舜臣はこれを罠だとし出撃せず
 清正への攻撃はしなかった・・・
ーー↓↑ーー
 清正が
 肥後国を治めていたのは
 天正十五年(1587年)
  ~
 慶長十六年(1611年)
 朝鮮出兵等もあって
 熊本に居住していた期間は
 15年程度
ーー↓↑ーー

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