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コジキジゲン

七のカード・十三のカード

2017-01-11 17:07:13 | 古事記字源

 ・・・「文字、数字、記号、絵の--羅列」・・・だけではそれらの意味を理解させるコト、理解するコトは難しいだろう・・・「並び方の順序の相互の了解」が必要である・・・「トランプ(Trump)」って、博打(gambling)や、マジック(magic)に使用される「カード」だよな・・・「4種、(各13枚の計52枚)+(α=Joker)を1セット」・・・彼の呟きの「羅列文字140文字」で、自国のアメリカの不満を白人中間層に訴え、世界を揶揄し、脅かしながら動かそうとしているらしい・・・商売も政治も駆け引きが必要だ。相手の顔を見ながらカードを切る。むかし、「ハスラー」と云う映画があった。勝負に勝つには弱い相手と戦うにかぎるが、ハスラーとして生活費を稼ぐにはカモが必要だ。最初は相手に負け、その後にカモル。対戦相手を選ぶにはスポンサー兼、マネージャーが必要だが、博打ハスラーとしてのジレンマがある。自分自身の競技者、技術者の実力としてのプライド・・・カジノ経営者である「自分(トランプ)のコトを何も知らないくせに」とはネッ・・・彼のカモはダレなんだか・・・「白人労働者」のプライドを煽って、その後はどうするのか?・・・土地とカジノで儲けた「オマエ(トランプ)のコトなんて知らない」のは当然である。知っているのはTVで「彼(トランプ)が発言したコトバと、その行動、所為、パフォーマンス(Performance)」で、「履歴(1946年6月14日=丙戌・甲午・己未)」も「土地屋で、博打場経営のアキンド」だってコトぐらいだろう・・・「胴元」が儲かるのは判り切っているが、ヤメラレナイのが最期の勝負の望み・・・そして「破産」・・・「聖林(Hollywood)」のギャンブル映画ではよくあるパターンだが、勝って逆転しながら大金をせしめて「the end」で終わるものもアル・・・
 大概、「outlaw(アウトロー)」が「英雄」になるのが一般的な「聖林(Hollywood)映画」の筋書きであるが・・・「悪人?」が「正義?」とはネッ・・・
 「丙戌・甲午・己未=三合(丙・偏印-印綬)
     甲 ×己(天干合=戊・劫財)」・・・
 紐育との時間差は「14時間」である・・・ならば日本時間で15日?
 「丙戌・甲午・庚申=三合(丙・偏印-印綬)→偏官」
  偏官・偏財
 ・・・2年後はドウなるだか・・・
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 (CNN)ニュース
 米国のトランプ次期大統領・9日未明
 メリル・ストリープを名指しで非難するツイートを投稿
 8日夜の米ゴールデングローブ賞授賞式で、
 ストリープが暗にトランプを批判したことに反論
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 ストリープは6分間にわたる受賞スピーチで、
 相手を侮辱する行為や暴力に対して抗議の声を上げ、
 ジャーナリストを守ろうと訴えた
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 「ジャーナリスト」も色々である・・・「市民ケーン(Citizen Kane)」と云う監督、出演の「オーソン・ウェルズ」の映画もあった・・・アメリカの「新聞王ケーン」のモノガタリだが、実在した「ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst)」はアメリカン-ジャーナリズムを牛耳って、戦争(対メキシコ)を煽り、第一次大戦後の「国際連盟建設提唱(トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)」にも反対した・・・Hearst、彼も「Citizen」ですか?・・・博打担保の「新聞社の社長」・・・
 監督の「オーソン・ウェルズ」は映画公開でハーストの妨害にあって、抵抗もしたらしいが・・・映画製作の「目的」は何だったのか・・・確かに「撮影の映像技術と編集」は斬新で革新的であったかも知れないが・・・ボクが映画で観たかぎりでは、その表現の内容を「理解」するコトは困難であったし、面白くはなかった・・・その製作背景と映画公開の事情を後で「評論・批評」を読んでから・・・ナルホド、であったが・・・映画制作、公開も観客の動員次第での儲けである・・・彼の「立場」も「Citizen」?・・・「宇宙人襲来ニュース」を報道し、「Citizen」を大パニックさせた「張本人」・・・
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 ストリープのスピーチ(speech)
 ・・・ハリウッド外国人報道記者協会の方々に感謝申し上げます。ヒュー・ローリーの言葉を借りれば、会場にいる私たちは今もっとも中傷されている種類の人間です。考えてみてください。ハリウッドで、外国人で、報道ですよ?
 私はニュージャージー州に生まれ育ち、公立学校に通っていました。
 ヴィオラ・デイヴィスはサウスカロライナ州の
 シェアクロッパー(公益分作人、黒人奴隷形態の一種)の小屋で生まれ、ロングアイランド州のセントラルフォールズで育ちました。
 サラ・ポールソンはブルックリンでシングルマザーの手によって育てられました。
 サラ・ジェシカ・パーカーはオハイオ州出身で、
 7人か8人兄弟のうちのひとりです。
 エイミー・アダムスはイタリアで生まれました。
 ナタリー・ポートマンが生まれたのはエルサレムです。
 彼らの出生証明書はどこにあるのでしょう? 
そして美しい
 ルース・ネッガはエチオピアで生まれ育ち-いえ、アイルランドで育ちました。私はそうだと信じているのですが。そして今日ここに、彼女はヴァージニア州の小さな町の女性を演じてノミネートされ、この場にいます。
 ライアン・ゴズリングは、他のすべて一番心優しきひとたち同様、カナダ人です。
 そして
 デヴ・パテルはケニヤで生まれ、ロンドンで育ち、タスマニアで育ったインド人を演じたことで今日この場にいます。
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 ・・・だから、ドウだって?・・・みんな、がんばって、「聖林(Hollywood)」で生活費を人並み以上に稼ぐコトが出来たヒトビトなんだろう・・・問題は「アメリカンドリームのシステム」に乗りつつ、生活が安定しつつあるヒトビトなんだろう・・・子供の頃の「貧困」、「人種差別」なんて関係ない。過去に関係無く、「プロセスで努力?」した結果として「成功=金銭的」に評価された人間も存在している・・・そうでない人間は「ユメ」を見続ける・・・それとも、無自覚に「どですかでん」でヨシなのか・・・「成金社会」って、「貧困社会」でもある・・・「聖林(Hollywood)」・・・
 ・・・アメリカ合衆国同様に、大陸中国にも、半島南北両国にも「コトバ」を煽り、煽られて「敵」を作り出し、「歴史的な怨み?」で洗脳されて動(働?)いているヒトビトの「心情」は、本物なのか?・・・
 かっての「日本帝国の人間」は、本当に「鬼畜米英」と思って「戦争」したのか?・・・「武士」が戦った相手は「騎士」だったのか?・・・世界中には「人間=地球人」として、仲良く生活をしたくないらしいヒトビトが結構いるらしい。結構どころじゃない、ワンサカかも・・・その「根拠」はナンなんだか?・・・
 「民族主義・国家主義」・・・この根幹と基礎は既に何千年も前から作り上げてき、近代、現代の「個々人のプチブル根性」として積み上げられた「ヒエラルキー(独逸語でHierarchie=ヒエラルヒー・英語でhierarchy=ハイァラーキ)=階級、階層支配の人間社会構造」である・・・そして、「英雄」はミンナの「共同幻想」になる・・・
 この「構造形成」は
 「共同体の経験者の知識と知恵」による生活への
 「教育者・指導者」としてからは疎外され、
 共同体が
 「分離→拡散→合体→統合」の繰り返しの中で
 「穀倉」の分配、管理を独占し、
 諸部族の「権力世襲の頂点」として
 「暴力組織」を牛耳(control)って
 「重層的な権力構造」を支配、維持、保持されてきたのだ。
 「カミの御加護」ではなく、
 「暴力的な実力行使と法(掟)」で・・・
 「暴力」だけでは無理だから
 「狡(ずる)賢い法秩序」が前提である。
 群れを成す「野生動物(狼・ライオン・猿・ゴリラ)」のリーダーの条件に似ているが、「野生動物のリーダー」には「人間社会特有のエゴ権力志向」とは無縁である・・・
 「ダーウインが来た」の世界以下である・・・
 「人間の社会」・・・「大河ドラマ」は戦国時代の何を教えようとしているのか?、「支配者の生き方の方法」を観客の「心層」に意図的に吹き込んでいる?・・・「被支配者の生き方」も・・・「七人の侍」では「傭兵」だったが・・・「自衛隊」ではなく、「アメリカ兵」・・・夜な夜な徘徊して試し切りを止めた「水戸黄門」のオジィちゃんはドウなんだか・・・
 支配階級の「世襲権力」の継承時には、先ずは「同族内」での暴力的な殺傷、粛清で始って、終わり、その継承が確立し、更には「外敵」に対する指導者として維持されてきたのだ・・・
 親兄弟姉妹の自分自身への権力支持、加担と、同族一族、従属異部族の支持、加担が「自己権力を維持」する為の条件である・・・「戦争」は同族内の親兄弟姉妹、親族の「権力闘争」から始まるが、詰まるところ「遺産相続」での親族間の争い・・・権力の継承は「血族の世襲」とは限らないが・・・「暴力」の強弱次第で、「策謀」次第・・・「下剋上」と云うコトバもある・・・
 「中国人」も、その周辺の部族も、「日本人」も、「古代の黄帝」に、そして「ホトケ」に憬れ、「キリスト」に憬れた・・・そして、巨大な建築物を造ったが、「アコガレのマンマ」である・・・
 そして「暴力」を背景にした「階級・序列」の枠内で、意識的にも、無意識的にも「法的な権威」の中で納まってきた・・・スナワチ、ダレでもが「野心(賢さ)」さえあれば「暴力的に権力」を握れる可能性があると云う社会システムでアル・・・本質的には「家柄・家系」なんかは関係ない。「権力」は状況次第で転覆させられるが、「新たな秩序」は「ミンナの期待」には応えない・・・
 「実力(暴力)行使の秩序形成」がスベテである・・・そして「幻想・妄想」がそれを包み込んでしまう・・・いや、ミンナの「幻想・妄想」が「他者への暴力行使」を許してしまう・・・
 現代社会が「職業・居住・移住」の「自由」を「Citizen」として、法的に保障」しているとは、ドウいうコトなのか?・・・「七(シチ)」の「事務(ズム)」とは「恨み=怨み=憾み」の・・・「思想」?・・・
 「創世記・第4章・カイン(鍛冶屋)とアベル(息)」、「創世記 第5章31・カインのための復讐が七倍ならば、レメクのための復讐は七十七倍・レメクの一生は七百七十七年」、「民数記・第35章・モーゼの復讐規範」・・・
 「The Seven Deadly Sins=Septem peccata mortalia=Seven deadly sins」・・・「ヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch・1450年頃~1516年8月9日)」

  1485年制作画
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  ↓↑
 八つの枢要罪
 「暴食・色欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢」
 6世紀後半
 グレゴリウス1世により、八つから七つに改正
 「虚飾」は「傲慢」、
 「憂鬱」は「怠惰」へ一つの大罪となり、
 「嫉妬」が追加
 13世紀のトマス・アクィナスは
 七つの大罪
 「暴食・色欲・強欲・憤怒・怠惰・傲慢・嫉妬」
 七つの枢要徳(cardinal virtues)
 「知慮・思慮・知恵(wisdom)
  勇気(courage)
  節制(temperance)
  正義(justice)
  ↓↑
 プラトンの『国家』
 国家にも
 個人にも
 共通して持たれるべき徳目
 四元徳
 『プロタゴラス』では、
 四元徳に「敬虔」も加えてた
 『ゴルギアス』でも
 四元徳に「敬虔」を加えて言及
 「国家の正義」
 「節制」を主題は
 『カルミデス』
 「勇気」を主題に
 「リュシス」
 「敬虔」を主題に
 『エウテュプロン』
  ↓↑
 キリスト教は
 四元徳に、
 信仰 (faith)
 希望 (hope)
 無償の愛 (ἀγάπη=アガペー・charity・love)
 で「七元徳」・・・
 と対比する形で
 七つの「枢要罪」をあげた
  ↓↑
 マハトマ・ガンディー
 1925年10月22日・・・・1925年10月22日?
 に雑誌『Young India』に
 「七つの社会的罪(Seven Social Sins)」
 として
 理念なき政治(Politics without Principle)
 労働なき富(Wealth without Work)
 良心なき快楽(Pleasure without Conscience)
 人格なき学識(Knowledge without Character)
 道徳なき商業(Commerce without Morality)
 人間性なき科学(Science without Humanity)
 献身なき信仰(Worship without Sacrifice)
  ↓↑
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 「選択の自由」であるから、「選択するモノがアルこと」が前提条件であり、「選択出来る余裕がアルこと」が前提条件である・・・コレらは現実的にアルのか?・・・「開拓民・移民」には荒れ地を開墾し、その土地私有の未来があった・・・「産業労働者」には労働力不足の工場があり、都会で飯も喰えた・・・源泉の殆んどは「貧農」からのアブレ者か、かっての「下級武士」・・・
 社会生活は「需要供給」の市場バランスでなりたっているが、常に「50(fifity)、50(fifity)」であるとは限らない・・・勿論、「職業」に於いても・・・個々人の日常生活は原則的には「衣食住の使用価値」の中でのみ存在する・・・家族での生活も原則的には「衣食住」の維持である。だが、それらのバランスは「状況・環境」次第である・・・
 「需要供給」がアンバランスと云うコトは「競争」での「自己保存」が鉄則である・・・「衣食住=イショクジュウ=異植樹?」は「社会的な公平」を保障しない・・・
 「競争社会」では「競争相手」は相互に「敵」となるのは当然である。その「出発点」は「家族形成」の
 「両親→子供(兄弟姉妹)→分離独立での新たな家族形成」、
 競争相手はその枠内(親族間)での「相続」を巡っての
 「自己保身・自己権力」の拡大で、
 「敵」となったモノを
 排除していくのは「必然?」である・・・
 ・・・「カイン(農耕者・兄)」は「アベル(放牧者・弟)」を殺害したが「鍛冶屋=青銅器、鉄器の武器製造者」になるコトで「命」は保障された・・・「武器」は「放牧者の復讐・襲撃」から身を守ったのだ・・・
 トラブルは「兄弟姉妹」の近縁から始まるのが常套で、「父親からの権力継承」問題である・・・その拡大が、共同体同士の争いへ発展する・・・国家間の戦争はその延長線上にあり・・・共同体防衛目的が「国家権力者のエゴ」となり、侵略殺傷を始める・・・
 だが、「社会的人間」は歴史的にこれからの「解放」を模索し続けてきたのだ・・・
 「人間」であることは「老若男女」、「体力・能力・資質」が異なっても「相互に、社会的に公平な立場で協働、共存」で「寿命」まで、平安に生きていくべき存在である、と、考えてきた人間もいたし、いる・・・「実現」は「人間同志の意識」次第だが・・・「Citizen=シチズン」=「プチブル意識」ではムリかも・・・
 「働かないアリの存在」は「社会的公平な役割分担の一員」であろう・・・状況次第では「働く存在なのである」・・・

コメント
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