モデルの繪(絵)・・・「モルデカイ」・・・「模留出掛意」・・・「漏出甲斐(皆)」・・・「盛るデカイ(食卓)」の「デカイ」・・・「大事をデカ(出来)した」は、「出化(でか・弟嘉=乙女=弟妹)した」だろう・・・「モルデカイ」、彼は「うまくやった」んだ・・・ペルシャの捕囚でありながら、「エステル(王妃・弟嘉=乙女=弟妹)」を利用するコトで虐殺を免れ、同胞を救い、逆に反勢力の人間達を「排除抹殺」したのである・・・「デカい」と「デカした」は関係するのサッ・・・先々代が戦場の現場で兵乱を納め、安定し、その後、平穏無事に浸っている三代目、四代目は戦場を知らず、子孫を残すのみの仕事で、飾り物になってしまった「オトコの権力者(?)」が「色彩の選択」と「特別な色に弱くなる」のは当然である・・・政治権力の執行は「和羹塩梅(ワコウアンバイ)」の「宰相・大臣」がやってくれる・・・生活空間で役目と、楽しみは「大奥・後宮」の寝室と食堂だけだから・・・
「オンナの権力者」は「モノには弱い」が「権力そのものに執着」する。その理由もハッキリしている。最初は「権力者の庇護・溺愛・盲愛」、そして「妊娠、男児を産むコト、育てるコト」、産んだ男子が「身の安全」と「権力・権威」を保障してくれるハズだが・・・?・・・子供がアテにならないとみるや、「権力」そのものの掌握に動く。だが、それが「男社会」を変えるモノではない。「権力者」になった男にも、女にも、その権力行使には「男女」の区別、差別は無い。スベテの者に対する、「権力執行」と「生殺与奪」である。その本質は「暴力」である。
ラグビーは本当にチームとしての選手同士の激しい肉体のぶつかり合いである・・・考えてしまう・・・その烈しさがサッカーを超えていると思えるのは肉体の直接的な衝突であるが「殺傷暴力」ではない・・・足が速く、敏捷で、耐久力のある、お相撲さんがチームとしてボールを追っている・・・
「権力を握って、暴力を執行」させた「クレオパトラ七世」、「ゼノビア(Zenobia)・パルミラ王国の女王」、「則天武后」、「斉明-皇極天皇」、「持統天皇」・・・「北條政子」・・・メディチ家の「カトリーヌ・ド・メディシス」、ロシアの「エカテリーナ二世」、イギリスの「エリザベス一世」、「ヴィクトリア女王」・・・そして「サッチャー」・・・
「乙女」であった「孝謙天皇、重祚し称徳天皇(稱天皇・阿部皇女)は、多分、事情が異なるだろう。社会を仏教徒として「女としての立場」から考えたかった女性であろう・・・だが、その志は「藤原一族」に操られた(?)「和気清麻呂(汚麻呂)」にハメラレタのだ・・・裏切ったのは「和気清麻呂(汚麻呂)」、「和気広虫(清麻呂の姉)」である・・・女帝は「清麻呂」を因幡員外介に左遷し、さらに「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させ、大隅国へ配流し、「姉の広虫」も「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」と改名させて処罰・・・だが、女帝の「護国仏教」とは?・・・そして、ナゼ「宇佐神宮」でなければならなかったのか?・・・持統天皇は頻繁に「龍田神社(龍田比古、龍田比女)=風神・秋(金=庚辛)の神」に参拝しているが・・・「神仏習合」、「本地垂迹説」は何時の時代のモノなのか?
女帝は「770年8月28日(神護景雲四年八月四日)」の死亡である・・・
一般社会での「家族の権力の根源はバァバァ」に集約されていく・・・「ジィジィの権威、権力」は年齢差とボケもあって、霞んでいくのが当然であるし、あってきた・・・
日本内閣に存在する女性議員の行動にも発言にもオドロクが、NHKの女性解説委員にも、オドロキである・・・それなりの苦労体験を「民族主義・愛国主義」にネジ曲げてチャーミング(?)に高言、広言、巧言するサクライ某女史、キム某女史には驚くに値しないが・・・「緒方貞子(元国連難民高等弁務官)」さんの現場での信念に支えられた「人間主義」と、「現実主義」には比べ物にならない・・・
ーーーーー
旧約聖書
エステル記・・・重素照(手留・弖留・氐留)記
重棲弟留記
以斯帖 記
第10章
10:1
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
王
は
その国
および(及)・・・御呼び(求・究)
緒予備(伊豫・吉備)
於予尾(伊豫・尾張)
尾予備(尾張・伊豫・吉備)
嗚与竎→羊の鳴き声→メェ~
海(うみ・カイ)・・・宇美
産み・生み・倦み
瀛
改
掛意
下位・甲斐・蝦夷
に
沿(そ・エン)った・・沿=氵(水)+八+口
反った
剃った
添った
副った
エン
縁(起)
媛(姫)
猿(猴)
袁(世凱)
燕(国)沿海州渤海国
円(姫)円大臣=都夫良意富美
園(藝-州)
宴(会-会稽)
塩(梅)和羹塩梅=大臣、宰相
「塩」を含む四字熟語全部
塩(州)西安州・・・赤穂
延(州)隋王朝の州
遠(州)遠江国・静岡浜松
奄(美)沖縄琉球
国々に
みつぎ(貢)・・・・・御調→音調
密議
視継(椄・通)義
を課した。
10:2
彼の
権力
と
勢力による
すべての事業、
および
王が
モルデカイ・・・模留出掛意
漏出甲斐(皆)
を
高い地位に
のぼらせた事の
詳しい話は
メデア・・・女出蛙・目出會(鴉)
と
ペルシャ・・・波斯・経留写
の
王たちの
日誌
の
書に
しるされている
ではないか。
10:3
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
モルデカイ・・・模留出掛意
漏出甲斐(皆)
は
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
王
に
次ぐ者・・・・告(つ・コク)ぐ
接(つ・セツ)ぐ
継(つ・ケイ)ぐ
注(つ・チュウ)ぐ
津具・・・會津・会津→相津→合通
もの=摸埜
シャ=写・舎・捨・遮・社・謝・煮
地口?
その手は桑名の山蛤
(そんなやり方に騙されない?)
・・・だが、ネッ・・・
桑名=扶桑(フソウ)=日本?
伏そう・臥そう
附そう・富双
又=日?
桑の葉は蚕の餌
扶=扌(手)+二+人
桑=又又又+十八
又=右手
ソウ・くわ
の =之(シ・これ)
=埜(二十八宿の分野
区分、区域
区分の範囲
ヤ・の・とお・なお
ぬ・ひろ)
=廼(ナイ・ダイ・ノ・アイ
すなわち・なんじ
とうとう)
=乃=刀+勹
山蛤=サンコウ
蛤=中+ム+合
となり、
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
の中にあって
大いなる者となり、
その
多くの
兄弟に喜ばれた。
彼は
その民の
幸福を求め、
すべての国民に
平和を述べたからである。
ーーーーー
・・・
・・・おとす=落す・音素・乙棲・尾訳諏・於渡州・・・観音・・・大須・・・名古屋・・・尾張・・・蛙異知・・・阿意智・・・相維持(異字・遺児・意字・医事)・・・哀は虐(いじ)めか、愛は苛(いじ)めか・・・「江洲弖(弓の一)留」・・・「海道一の弓取り」とは今川義元、駿河国、遠江国の守護大名、今川氏、第十一(九?)代、当主「今川義元」・・・「天下一の弓取り」とは「徳川家康」である・・・「天下一」と「海道一」の違いは領土的な大小であるが、「天下」とは「日本」であり、「世界一」よりも、「宇宙一」の方がスケールがデカイだろう。相撲界では「天下一=日本一」が禁止され「日の下一」になったらしい。だが、「宇宙の果て」は有るんだか、無いんだか、「無限」と云う奴は、「宇宙の果て」が今現在、自分自身が立っている場所で「ハテ?」を考えている出発点であるコトを考えないらしい。宇宙で一番に遠い場所とは「認識」に於いても、「存在」に於いても、発生存在してきている「自分自身」が占めている空間だろう・・・宇宙空間を占めているヒトツの存在で、一番近くて、一番遠い存在である・・・
「籤(クジ)」がアタっても命の占める空間と時間は「ニュートリノの質量」変化と同じカモ・・・
ーーーーー
旧約聖書
エステル記・・・重素照(手留・弖留・氐留)記
重棲弟留記
以斯帖 記
第9章
9:1
十二月
すなわち
アダル・・・・蛙拿留
亞妥留
會妥留・・・妥=爪+女→采女
妥協 爪+木+女
妥結
の
月(つき・ゲツ・ガツ)・・・通記
解通
臥通
の
十三日(ジュウサン・とうアマリみつ)ひ(ジツ・ニチ)、
↓ 拾参→重纂・従讃・重算
↓ 足参→阿(礼)示(詞)纂
13日の金曜日→キリスト磔刑
十三婢→十三歳の宗女、壱与(與)
とう
↓
問答等当-唐
阿万理視通
アマリみつ
海女里視津(都・椄)
阿毎王朝
阿部比羅夫
安部比等附
安倍比羅(覶)夫
阿邊比垃附
阿閉皇女
阿部御主人
阿部皇女
阿倍仲麻呂
安倍貞任(さだとう)
東北安倍氏の棟梁
奥六郡を支配する
俘囚の頭目の
安倍頼時の第2子
厨川柵主として、
安倍厨川次郎貞任とも云われる
妹聟(むこ)に
藤原経清
(奥州藤原氏初代藤原清衡の父)
阿部
↓
アベ・マリヤ=聖母マリヤの
伝承は
フランシスコ・ザビエル以後?
1549年8月15日
鹿児島市
祇園之洲町に来着
この日は
カトリックの
聖母被昇天の祝日にあたる
ザビエルは
日本を
聖母(アベ)マリアに捧げた・・・?
↓
山口での宣教中、
ザビエルたちの話を
座り込んで熱心に聴く
盲目の琵琶法師がいた
彼はキリスト教の教えに感動して
ザビエルに従い、
イエズス会の
宣教師
「ロレンソ了斎」となった・・・?
琵琶法師は「平家物語」だが・・・
↓
1552年4月
バルタザル・ガーゴ神父を代理とし
日本へ派遣。
ザビエル自らは9月に
中国の上川島に到着
12月3日、病死(46歳)
1553年2月
遺骸は石灰を詰めて納棺埋葬
後
マラッカに移送され、さらに
ゴアに移送
1554年3月16日~3日間
聖パウロ聖堂で
棺から出され一般拝観が許可
そのとき参観者の一人の婦人が
右足の指2本
を噛み切って逃走
この2本の指は彼女の死後
聖堂に返され、
1902年
そのうちの1個が
ザビエル城に移され
遺骸は現在ボン・ジェズ教会に安置
棺の開帳は10年に1度
・・・ナゼ、右足のユビ、二本を
噛み切って盗んだんだか?
↓
アベ ・マリヤ
サンタ・マリヤ
「アベ」=「サンタ」は共通項である
阿部 纂太
阿礼 太安萬(万)侶
↓
徳川家譜代家臣
阿部定吉・・・家紋=違い鷹の羽
↓ 鷹羽(?)の輪(○)
↓ 三鷹の羽の輪
↓ 三鷹天文台
阿部正勝の・・・大名-阿部家初代
次男-忠吉・・・白河-阿部家
↓
長男-正次の子の
三男-重次の・・・武蔵-岩槻
↓
長男-定高の子の
阿部正邦・・・備後福山藩
次男の
阿部正春の子
阿部正鎮・・・上総国-佐貫-阿部
↓
阿部正弘
文政二年十月十六日
(1819年12月3日)
~
安政四年六月十七日
(1857年8月6日)
江戸
西の丸屋敷で誕生
備後福山藩
第七代藩主
綽名(あだな・渾名)は
「瓢箪鯰(ひょうたんナマズ)」
↓
瓢箪鯰の
歌舞伎舞踊、長唄と常磐津
の掛け合い
七変化
「拙筆力七以呂波
(にじりがきななついろは) 」の一
2世瀬川如皐作詞、
10世杵屋六左衛門ら作曲
文政十一年(1828)
江戸中村座初演
↓
阿部正弘
家格は「帝鑑間席」
先祖は
「大彦(おほ比古)」・・・?
孝元天皇の第一皇子
阿部大彦命・・・・?
江戸幕府老中首座
↓
「安政の改革」を断行
阿部
宗家十一代
嘉永七年一月十六日
(1854年2月13日)
ペリー再来
三月三日(1854年3月31日)
↓ 日米和親条約締結
↓
阿部分家多数
阿部正信・・・旗本
↓
定火消(ひけし)
知行六千石の旗本
阿部大学-正章の子
幕臣
駿府加番
駿河(静岡県)七郡を調査
資料を収集し
榊原長俊の「駿河国志」
を基にして
天保十四年(1843)九月
地誌
「駿国(すんこく)雑志・49巻」
を編纂・・・写本?
「明治八(1875)年の写本」?
49巻(68冊)・・・?
引用された文献は
「日本書紀」など600冊以上?
「巻之一」には
駿河俚言(リゲン=方言)
の項
「みるい・ずない・いかい」
などの意味と使われ方が記録
(静岡県立中央図書館のブログ参照)
↓
王の
命令
と
詔(ショウ・みことのり)
の
行われる時が
近づいたとき、
すなわち
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
の敵が、
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
を打ち伏せようと
望んでいたのに、
かえって
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
が
自分たちを
憎む者を
打ち伏せることとなった
その日に、
9:2
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
王の各州にある
自分たちの
町々に集まり、
自分たちに
害を加えようとする者を
殺そうとしたが、
だれも
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に
逆らうことのできるものはなかった。
すべての民が
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
を
恐れたからである。
9:3
諸州
の
大臣、
総督、
知事
および
王の事をつかさどる者は
皆
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
を助けた。
彼らは
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
を
恐れたからである。
9:4
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
は
王の家で
大いなる者となり、
その
名声は
各州に聞えわたった。
この人
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
が
ますます
勢力ある者となったからである。
9:5
そこで
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
つるぎ
をもって
すべての敵を
撃って
殺し、
滅ぼし、
自分たちを
憎む者に対し
心のままに行った。
9:6
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
また
首都
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
においても
五百人
を
殺し、
滅ぼした。
9:7
また
パルシャンダタ、・・・葉留写務拿多
ダルポン、・・・・・拿留本→多留本
アスパタ、・・・・・・阿蘇葉多
蛙州場他
9:8
ポラタ、・・・・・・・補等他
法螺多
洞多
アダリヤ、・・・・・・阿拿理也
アリダタ、・・・・・・有田多
蛙理拿他
9:9
パルマシタ、・・・・葉留馬史多
アリサイ、・・・・・・有歳
蛙理差異(采・採・菜)
阿利佐意
阿里祭
アリダイ、・・・・・・蛙理代
ワエザタ、・・・・・・話重挿多
和得沙汰(作多・詐多)
9:10
すなわち(即)・・・素名倭地
蘇名話知
諏納和地
ハンメダタ・・・・・・判目拿多
版目
班目
藩目
犯目
の子で、
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
の
敵(テキ・カタキ)である
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
の
十(ジュウ・とう・たり)
人の
子をも殺した。
しかし、
その
分捕(ぶんど)り物・・・文録り
聞取り
には
手を
かけなかった。
9:11
その日、
首都
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
で殺された者の数が
王に
報告されると、
9:12
王は
王妃
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
に言った、
「ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
首都
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
で
五百人を殺し、
また
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
の
十人の子を殺した。
王の
その他の諸州では
どんなに
彼らは殺したことであろう。
さて
あなたの求めることは何か。
必ず聞かれる。
更に
あなたの願いは何か。
必ず聞きとどけられる」。
9:13
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
は言った、
「もし
王が
よしとされるならば、
どうぞ
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
にいる
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に
あすも、
きょう
の詔のように
行うことをゆるしてください。
かつ
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
の
十人の子を
木に掛けさせてください」。
9:14
王は
そうせよと
命じたので、
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
に
おいて
詔が出て、
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
の
十人
の子は
木に掛けられた。
9:15
アダル・・・蛙拿留
の
月
の
十四日
に
また
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
にいる
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
が集まり、
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
で
三百人
を殺した。
しかし、
その
ぶんどり物には
手をかけなかった。
9:16
王の
諸州にいる
他の
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
も
また集まって、
自分たちの
生命を保護し、
その敵に
勝って
平安を得、
自分たちを憎む者
七万五千人
を殺した。
しかし、
その
ぶんどり物には
手をかけなかった。
9:17
これは
アダル・・・蛙拿留
の
月
の
十三日・・・拾参
であって、
その
十四日・・・拾四(肆)
に
休んで、
その日を
酒宴
と
喜びの日とした。
9:18
しかし
スサ・・・須佐・諏佐・州差・素作(佐)
にいる
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
十三日
と
十四日
に集まり、
十五日・・・拾五
に休んで、
その日を
酒宴と喜びの日とした。
9:19
それゆえ
村々の
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
すなわち
城壁のない町々に住む者は
アダル・・・蛙拿留
の
月
の
十四日
を
喜びの日、
酒宴の日、
祝日とし、
互に
食べ物を
贈る日とした。
9:20
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
は
これらのことを
書きしるして
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
王の
諸州にいる
すべての
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に、
近い者にも
遠い者にも
書を送り、
9:21
アダル・・・蛙拿留
の
月
の
十四日
と
十五日
とを
年々祝うことを命じた。
9:22
すなわち
この両日に
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
が
その敵に
勝って
平安を得、
また
この月は
彼らのために
憂いから
喜びに変り、
悲しみから
祝日に
変ったので、
これらを
酒宴
と
喜びの日
として、
互に
食べ物を贈り、
貧しい者に
施しをする日とせよとさとした。
9:23
そこで
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
彼らが
すでに始めたように、
また
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
が
彼らに書き送ったように、
行うことを
約束した。
9:24
これは
アガグ・・・阿学・蛙学・會学
跑
足掻く
びと
ハンメダタ・・・判目拿多
の子
ハマン、・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
すなわち
すべての
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
の敵が
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
を滅ぼそうとはかり、
プル・・・振・附留
すなわち
籤(くじ)を投げて
彼らを絶やし、
滅ぼそうとしたが、
9:25
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)
重棲弟留
が
王の前にきたとき、
王は
書を送って命じ、
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
が
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に対して企てた
その悪い計画を
ハマン・・・葉萬
頗萬・嵌摩(磨・混)務
頗瞞
の頭上に臨ませ、
彼と
その子らを
木に
掛けさせた
からである。
9:26
このゆえに、
この
両日を
プル
の名にしたがって
プリム・・・附理務
と名づけた。
そして
この書の
すべての言葉により、
また
この事について見たところ、
自分たちの
会ったところによって、
9:27
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
は
相定め、
年々
その書かれているところにしたがい、
その定められた時にしたがって、
この
両日を守り、
自分たちと、
その
子孫
および
すべて自分たちに
つらなる者は
これを
行い続けて
廃することなく、
9:28
この両日を、
代々、
家々、
州々、
町々
において
必ず
覚えて守るべきものとし、
これらの
プリム
の日が
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
のうちに
廃せられることのないようにし、
また
この記念が
その子孫の中に
絶えることのないようにした。
9:29
さらに
アビハイル・・・蛙(阿)備(尾)葉意留
の娘である
王妃・・・・・姶秘
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
と
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
は、
権威をもってこの
プリム・・・・附理務
の
第二の書を書き、
それを
確かめた。
9:30
そして
アハシュエロス・・・蛙葉取重賂素
の国の
百二十七州
にいる
すべての
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に、
平和
と
真実
の
言葉をもって書を送り、
9:31
断食
と
悲しみのことについて、
ユダヤ・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
モルデカイ・・・模留出掛意・漏出甲斐(皆)
と
王妃
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
が、
かつて
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
に命じたように、
また
ユダヤ・・・・猶太・猷太
諭拿哉・喩妥哉
瑜拿・・・賢瑜の拿(ひく・つかむ
ダ・ナ)→古事記
人
たちが、
かつて
自分たちと
その子孫のために定めたように、
プリム・・・附理務・不利毋(なかれ・禁止)
怖離務
富利務
不利ム(私・よこしま)
不離ム(私・よこしま)
の
これらの日を
その定めた時に守らせた。
9:32
エステル・・・重素照(手留・弖留・氐留)・重棲弟留
の命令は
プリム・・・附理務・不利毋(なかれ・禁止)
怖離務
富利務
不利ム(私・よこしま)
不離ム(私・よこしま)
に関する
これらの事を
確定した。
また
これは
書にしるされた。
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・・・「ユダヤ暦アダル月14日、西暦2012年3月8日」・・・「ユダヤ人虐殺日決定」を「籤(くじ=プル)」を引いて「アダル月」に当てた・・・ヘブライ語の「プル pur」の複数形が「プリ-ム」らしい・・・
「年始めの月=アビブの月=正月=ニサンの月」は大麦の収穫の始まりを祝う。
「太陽暦(グレゴリオ暦)では3月から4月の時期
陰暦では仲春(旧暦の2月)or季春(旧暦の3月)」
「ユダヤ政治暦では秋から新年が始まるのでこの月は
7番目(閏年では8番目)になる」・・・