こんばんは。
昨日もでしたが今日もまだ空気は冷たく感じられました。
ただ雨が降るようなことはなく朝はまだ曇りがちだったものがお昼過ぎ頃からは段々と晴れ間が多くなってきました。
安定しないお天気のようですが、この後はどうなのでしょうね。
こうして見ると朝日が差し込んで眩しいくらいですね。
昨夜は日中の不順な天候が嘘のように綺麗な月も見えておりましたよ。
中空の月は回りに雲も何もないはずなのに写すとこのようになっておりました。
どうしたんでしょうかね;。
今朝もいつもと変わらず祝詞奏上させて頂きました。
香りは久しぶりにテラの香り、大國主大神の香りに致しました。
この香りは他のどれよりも力強く感じるものでして、付けた途端、いつもの祝詞をあげる声にも不思議と力が入るように感じられました。
大神
“ 今 物事が上手く行かず滞っておると思うか
そうではない
流れてくる水が滞れば これは溜まる
そこへ留まる(とどまる)ことになる
それは流れの力を堰き止めることでもある
ある瞬間にその力が開放されれば
滞っていた分 一気に力が溢れ出す
これまで以上のパワーとなるのだ
今は滞っているのではなく ためておる時期
そのように思い致せ
必ずや 物事は好転する ”
このような言葉を受け取りました。
先だっても何だか事が上手く運ばないと話しておりました。
けれどそう感じる時は大神が言われるように力を溜め込んでいる時、ためている時とも言えるようです。
上手く行かないということは流れが滞ることですから、そのように言われたのでしょう。
堰き止められた流れ、力はそのままでは変わりはないのでしょうけれど、これを一気に開放すればどうでしょうか。
それまで溜め込んでいた流れがその瞬間に流れ出すわけですから、そのエネルギーも莫大なものになるのではと思います。
そう考えると、今は滞るのではなく大きな力を蓄えている時期と言い換えられるのかもしれませんね。
物事は全て受け取り方次第、どのようにでも感じ取れるのではと思います。
ならば、今のこの状況も良い方向、逆手に取って考えることだ大事なのだと教えて頂いたように感じました。
昨日のお墓参りの続きをまた少しだけ;。
実家の墓は市の共同墓地にあります。
此処もかなりの急勾配を登りきったところへある墓所です。
まだ幼い頃、当時住んでいた家からでも歩いて行こうと思えば出来るほどの距離でもあったので、祖母らと連れ立って登っていたような記憶が
あります。
しかし昨日車でその坂を登れば、此処を歩いて登っていたのかと思うほどの急坂;。
日頃歩いてはありますが、今ならさぁどうだろうという気もします。
そんなことを考えながら坂の上まで辿り着くと、ここもさして広くもない道路のあちこちに車が停まっておりました。
いつもなら道のドン突き当たりにあるうちのお墓近くまで車で入っていくのですが、道路の途中に互い違いに車が既に停めてあり、入れそうに
ありません。
駐車場という概念が無い遥か昔、自分が生まれる以前からの墓所ですのでそのようなものははなからありません。
お越しになられた皆さんがそれぞれに自分のお墓に近い便利なところへ停めているということですね。
そんな訳で今回は自分の車も此処なら邪魔にならないだろうという場所へ停めて歩いていきました。
道すがら車のナンバーを見るとも無く見ていると福岡等の県外ナンバーもありました。
中にはどうやら納骨にお越しになられた方もおられるのでしょうか、読経する住職さんを取り囲むようにして幾人かの方が頭を垂れて静かに聴いて
おられました。
そんな中自分はというと今日の寒さ対策にと少し厚めの上着を羽織っておるものの、その中には赤いギンガムチェックのシャツを着ております;。
う~む、なんだか場違いかも;と少し感じつつも、まぁ普通のお墓参りだし、と自分に言い聞かせて眩しさ除けに掛けたサングラスをして;とても
お墓参りの人には見えんなぁ;と尚も感じつつお水を汲んでお墓へと参りました。
実家の墓は誰も来ていないようで、枯れて茶色くなった花が花入れにあるきりでした。
兄夫婦が墓守とはいえ日頃何かと忙しそうですし、一々にお彼岸だからといって来ることもないのかもなぁとも思った次第です。
枯れた花を抜き、花入れの濁った水を捨て幾度か新しい水で洗うようにして水を入れ替え、お花を供えました。
この墓には一番最初にこの地へ来た祖父、続いて若くして逝った実母、祖母、父、一番新しくは3年前に他界した継母が入っております。
お墓へ入って、みんなして仲良く出来てるのかねぇ;と感じながらも手を合わせておりますと
〝 おお、よう来たのぉ
わしら みんな元気にしとるで 〟
と何故か;父と思しき声が頭に入ってきたようでした;。
いや父さん、というかじいちゃん;(父のことです)、あんたもうあっちの世界の住人でしょうよ;と聞けば
〝 そりゃそうよ
死んどるんじゃけんの
じゃけど皆こっちで元気にしとるんで
喧嘩もせんと仲良うしとるけ 心配すな 〟
そんな声が聴こえてきたようでした。
はぁ、そうですか、と半分本当かいな;と呆れるように感じつつも皆して仲良くやって行けているならそれが何よりと感じておりました。
大体がこんな感じの人でもありましたので、そういうことなのでしょう。
というよりも生前にも増して?パワーアップしているようにも思えた父の言葉でした。(笑)
先ほどの母の生家の方の墓所へ参った折にはかなりの雨でしたが、此処へ着く頃には上がっており青空も見えておりました。
元気にしている、そんな亡き父の言葉が分かるような天気のようにも感じられました。
暖かいのか既に山桜が咲いておりました 驚きですね
その後、もう一箇所寄って帰ろうと思った場所があります。
実家のある割と近くで車の修理工場をしておる兄のところです。
以前にも申しましたが、兄は継母と共に我が家へ入り、私と同い年、つまりは同級生でもあります。
多感な頃にいきなり兄弟となり同じ中学へ通うようになったりで、家の内外共に何かとゴタゴタあった時期も続きました。
まぁ言い出せば互いに色々と出て来るかと思います;。
けれどこれもまた互いに歳を取り、それぞれに家族も出来、子供らも大きくなってくればそれはそれでまた付き合い方も変わろうというものです。
いきなり訪ねて来た不肖な妹に嫌な顔もせず、おお、と一声掛けてくれ、互いに近況を話しておりました。
この工場のある場所はやはり昨年の豪雨災害でかなりの損害を受けていたようでした。
川のすぐそばに工場があり、昨年のあの日、溢れ出した川の濁り水が工場の床を水浸しにし、そこへ設置してある多くの機械や機材を全て泥だらけに
していったそうです。
水が引いた後もそれらの泥は掃き出してもなかなか思うように流れぬほど、それを流す水道代もばかにならなかったといいます。
他にも水を被った機械、また新車で車庫入れし整備し終えたそれを後はお客さんに渡すだけという状況でその車も駄目になり、それらの損害も全て
被ったとのことでした。
何から何まで新しくせねばならず、それであるのに付き合いのあったメインバンクは首を縦に振ってはくれず途方に暮れたとも話しておりました。
どうにもならない、後は首をくくるしか、とも考えていたところへ別の銀行さんが手を差し伸べて下さったのだとか。
相当に厳しい局面を乗り切ってきたであろうのに、そんなことを淡々と話しておりました。
昔から苦しくとも弱音を吐かない人でもあり、今の自分にしてみれば兄という身内の立場の人ではありますが、見習うべき人でもあるなとその話を
聞きながら感じたことでもありました。
生半可な自分からすれば本当にそんな風に感じられた今回の兄の話でした。
いつもならお墓参りはしても、それほど仲の良いとは言えぬ兄のところへ今回立ち寄ろうと考えたのは先程元気な?声で語り掛けてくれた父の采配
であったのかもしれない、そんな風にも感じたことでした。
書いてみると、またもやかなりの長さになりましたね;。
まさかお墓参りの話が此処までになるとは我ながら思いませんでした。(笑)
そんなことで今日はこの辺りでさせて頂きたいと思います。
夕方歩くと風がまだ冷たかったですね。
山の上の方にある我が家、近所の桜の蕾はこんな感じで、まだまだ咲くには時間が掛かりそうですね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
昨日もでしたが今日もまだ空気は冷たく感じられました。
ただ雨が降るようなことはなく朝はまだ曇りがちだったものがお昼過ぎ頃からは段々と晴れ間が多くなってきました。
安定しないお天気のようですが、この後はどうなのでしょうね。
こうして見ると朝日が差し込んで眩しいくらいですね。
昨夜は日中の不順な天候が嘘のように綺麗な月も見えておりましたよ。
中空の月は回りに雲も何もないはずなのに写すとこのようになっておりました。
どうしたんでしょうかね;。
今朝もいつもと変わらず祝詞奏上させて頂きました。
香りは久しぶりにテラの香り、大國主大神の香りに致しました。
この香りは他のどれよりも力強く感じるものでして、付けた途端、いつもの祝詞をあげる声にも不思議と力が入るように感じられました。
大神
“ 今 物事が上手く行かず滞っておると思うか
そうではない
流れてくる水が滞れば これは溜まる
そこへ留まる(とどまる)ことになる
それは流れの力を堰き止めることでもある
ある瞬間にその力が開放されれば
滞っていた分 一気に力が溢れ出す
これまで以上のパワーとなるのだ
今は滞っているのではなく ためておる時期
そのように思い致せ
必ずや 物事は好転する ”
このような言葉を受け取りました。
先だっても何だか事が上手く運ばないと話しておりました。
けれどそう感じる時は大神が言われるように力を溜め込んでいる時、ためている時とも言えるようです。
上手く行かないということは流れが滞ることですから、そのように言われたのでしょう。
堰き止められた流れ、力はそのままでは変わりはないのでしょうけれど、これを一気に開放すればどうでしょうか。
それまで溜め込んでいた流れがその瞬間に流れ出すわけですから、そのエネルギーも莫大なものになるのではと思います。
そう考えると、今は滞るのではなく大きな力を蓄えている時期と言い換えられるのかもしれませんね。
物事は全て受け取り方次第、どのようにでも感じ取れるのではと思います。
ならば、今のこの状況も良い方向、逆手に取って考えることだ大事なのだと教えて頂いたように感じました。
昨日のお墓参りの続きをまた少しだけ;。
実家の墓は市の共同墓地にあります。
此処もかなりの急勾配を登りきったところへある墓所です。
まだ幼い頃、当時住んでいた家からでも歩いて行こうと思えば出来るほどの距離でもあったので、祖母らと連れ立って登っていたような記憶が
あります。
しかし昨日車でその坂を登れば、此処を歩いて登っていたのかと思うほどの急坂;。
日頃歩いてはありますが、今ならさぁどうだろうという気もします。
そんなことを考えながら坂の上まで辿り着くと、ここもさして広くもない道路のあちこちに車が停まっておりました。
いつもなら道のドン突き当たりにあるうちのお墓近くまで車で入っていくのですが、道路の途中に互い違いに車が既に停めてあり、入れそうに
ありません。
駐車場という概念が無い遥か昔、自分が生まれる以前からの墓所ですのでそのようなものははなからありません。
お越しになられた皆さんがそれぞれに自分のお墓に近い便利なところへ停めているということですね。
そんな訳で今回は自分の車も此処なら邪魔にならないだろうという場所へ停めて歩いていきました。
道すがら車のナンバーを見るとも無く見ていると福岡等の県外ナンバーもありました。
中にはどうやら納骨にお越しになられた方もおられるのでしょうか、読経する住職さんを取り囲むようにして幾人かの方が頭を垂れて静かに聴いて
おられました。
そんな中自分はというと今日の寒さ対策にと少し厚めの上着を羽織っておるものの、その中には赤いギンガムチェックのシャツを着ております;。
う~む、なんだか場違いかも;と少し感じつつも、まぁ普通のお墓参りだし、と自分に言い聞かせて眩しさ除けに掛けたサングラスをして;とても
お墓参りの人には見えんなぁ;と尚も感じつつお水を汲んでお墓へと参りました。
実家の墓は誰も来ていないようで、枯れて茶色くなった花が花入れにあるきりでした。
兄夫婦が墓守とはいえ日頃何かと忙しそうですし、一々にお彼岸だからといって来ることもないのかもなぁとも思った次第です。
枯れた花を抜き、花入れの濁った水を捨て幾度か新しい水で洗うようにして水を入れ替え、お花を供えました。
この墓には一番最初にこの地へ来た祖父、続いて若くして逝った実母、祖母、父、一番新しくは3年前に他界した継母が入っております。
お墓へ入って、みんなして仲良く出来てるのかねぇ;と感じながらも手を合わせておりますと
〝 おお、よう来たのぉ
わしら みんな元気にしとるで 〟
と何故か;父と思しき声が頭に入ってきたようでした;。
いや父さん、というかじいちゃん;(父のことです)、あんたもうあっちの世界の住人でしょうよ;と聞けば
〝 そりゃそうよ
死んどるんじゃけんの
じゃけど皆こっちで元気にしとるんで
喧嘩もせんと仲良うしとるけ 心配すな 〟
そんな声が聴こえてきたようでした。
はぁ、そうですか、と半分本当かいな;と呆れるように感じつつも皆して仲良くやって行けているならそれが何よりと感じておりました。
大体がこんな感じの人でもありましたので、そういうことなのでしょう。
というよりも生前にも増して?パワーアップしているようにも思えた父の言葉でした。(笑)
先ほどの母の生家の方の墓所へ参った折にはかなりの雨でしたが、此処へ着く頃には上がっており青空も見えておりました。
元気にしている、そんな亡き父の言葉が分かるような天気のようにも感じられました。
暖かいのか既に山桜が咲いておりました 驚きですね
その後、もう一箇所寄って帰ろうと思った場所があります。
実家のある割と近くで車の修理工場をしておる兄のところです。
以前にも申しましたが、兄は継母と共に我が家へ入り、私と同い年、つまりは同級生でもあります。
多感な頃にいきなり兄弟となり同じ中学へ通うようになったりで、家の内外共に何かとゴタゴタあった時期も続きました。
まぁ言い出せば互いに色々と出て来るかと思います;。
けれどこれもまた互いに歳を取り、それぞれに家族も出来、子供らも大きくなってくればそれはそれでまた付き合い方も変わろうというものです。
いきなり訪ねて来た不肖な妹に嫌な顔もせず、おお、と一声掛けてくれ、互いに近況を話しておりました。
この工場のある場所はやはり昨年の豪雨災害でかなりの損害を受けていたようでした。
川のすぐそばに工場があり、昨年のあの日、溢れ出した川の濁り水が工場の床を水浸しにし、そこへ設置してある多くの機械や機材を全て泥だらけに
していったそうです。
水が引いた後もそれらの泥は掃き出してもなかなか思うように流れぬほど、それを流す水道代もばかにならなかったといいます。
他にも水を被った機械、また新車で車庫入れし整備し終えたそれを後はお客さんに渡すだけという状況でその車も駄目になり、それらの損害も全て
被ったとのことでした。
何から何まで新しくせねばならず、それであるのに付き合いのあったメインバンクは首を縦に振ってはくれず途方に暮れたとも話しておりました。
どうにもならない、後は首をくくるしか、とも考えていたところへ別の銀行さんが手を差し伸べて下さったのだとか。
相当に厳しい局面を乗り切ってきたであろうのに、そんなことを淡々と話しておりました。
昔から苦しくとも弱音を吐かない人でもあり、今の自分にしてみれば兄という身内の立場の人ではありますが、見習うべき人でもあるなとその話を
聞きながら感じたことでもありました。
生半可な自分からすれば本当にそんな風に感じられた今回の兄の話でした。
いつもならお墓参りはしても、それほど仲の良いとは言えぬ兄のところへ今回立ち寄ろうと考えたのは先程元気な?声で語り掛けてくれた父の采配
であったのかもしれない、そんな風にも感じたことでした。
書いてみると、またもやかなりの長さになりましたね;。
まさかお墓参りの話が此処までになるとは我ながら思いませんでした。(笑)
そんなことで今日はこの辺りでさせて頂きたいと思います。
夕方歩くと風がまだ冷たかったですね。
山の上の方にある我が家、近所の桜の蕾はこんな感じで、まだまだ咲くには時間が掛かりそうですね。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。