不動滝・地蔵滝の後に立ち寄った旗巻古戦場は風がもろに吹き付け寒かったので、あまり長居しなかった。
その後113号線から28号線に入り、角田方面に進んでいく。空気は澄んでいるが、蔵王には雲がかかり全貌は見えない。
小斎地区に入ると「小斎物見櫓」という看板が道路わきに立っていた。「小斎物見櫓」は丸森町のスタッフブログで、狼煙上げの行事として取り上げていたのを見て知っていたが、来るときに看板を見かけて気になっていた。
看板のある入り口から急な坂を上って行くと墓地の上の広場に出た。
伊具盆地を見晴らせる高台に物見櫓が立っていた。
自由に櫓の上に登る事が出来るので、上からの景色を楽しむが風が強くすぐに降りる。
なるほど~、ここからどこかに狼煙の合図を送っていたのか~、と楽しそうな狼煙上げを想像しながら、櫓の前にまた別の看板を発見。
「柴小屋城」?
この先には杉の木の林しかなさそうなんだけど、600mならちょっと行ってみるか、と矢印の方向へ進んで行ってみた。
歩きやすい道になっていた。
ちょっとしたお散歩コースか、と思いながら進んでいくと「空堀跡」などの看板が出てきた。
堀・・・?
さらに進んでいく。
ゆるやかなアップダウンを繰り返し進んでいくと、民家が見える所もありちょっとホッとする。
少し急な所を登ると、「土塁跡」の看板。
なるほど、簡単には登ってこれないように地形を工夫した跡なのかあ、と感心する。
そのあとにももっと深い空堀など出現。
さらに進んでいくと・・・
搦手門(からめてもん?)は裏門の意味らしい。搦手門の読み方を調べていたら、やはりその手のマニアはいるようで中世や戦国時代の城跡を趣味で紹介している詳しいホームページなどがあった。
地元の仙台市にも数カ所あり、岩切城跡や長命館跡などは公園として今でも残っている。
家から一番近いのは若林城で伊達政宗の晩年の居城で、今は宮城刑務所として区画がそのまま残っているw
機会があれば見に行ってみたい。
搦手門を登って行くと、広い広場に出た。
杉の木が植林されていたのか、切株が残っている。
二の丸である。
やはり観光で大きい城跡ばかり見ているので正直ここが?と思ってしまった。
奥に続いているようなので進んで行き、深い空堀を通過すると、本丸跡であった。
今は神社のお社がある。
平地になっている所の外側は急な斜面になっている。
こちらから下山するところもあるようだが、急な階段になっていた。
本丸から二の丸に向かって撮影。
柴小屋館跡の石碑。
柴小屋館も小斎城も一緒のようである。
外敵から守るための工夫がそのまま残されていて、たいへんにおもしろかったし、こういうところがあったのかと、この日初めて知った。
来た道を戻る。
物見櫓の広場に戻って終了。
林の中は展望はないけど風もさえぎられて寒くなく快適だった。
丸森っていろいろあるんだね~。
この辺りはもともと伊達領地だったのが、政宗の曽祖父が息子との戦に敗れてこの辺りに隠居して、曾祖父が亡くなると娘婿の相馬氏に領地を奪われて、その後も戦っていたけどなかなか取り戻せず、政宗の代になってようやく取り戻せたらしい。
そういう相馬氏と伊達氏の激戦が戦国時代に繰り広げられていて、政宗初陣の地という、おいしい歴史も持っている。
丸森おもしろいね~。
小斎城と丸山城と金山城が相馬氏の領地になっているときは、物見櫓から見える田んぼの真ん中にある民家の所が矢の目館跡で伊達氏の陣を置いていたところらしく、こんな近くで睨みあい~?って車社会の今にしてみれば思ってみたりしてしまう。
小斎城で結構満足できたが、時間があるので次は、その先にある四方山に立ち寄った。
つづく。
地蔵滝では滝下まで行けなかったが、帰り道は3か所ほど寄り道出来たので充実した。
まず旗巻古戦場跡に向かった。
入り口の看板。
駐車場の看板。
駐車場の前。
看板。
熊出没注意の看板にビビる。
少し歩いた所に旧旗巻峠の石碑。
右の階段を上った先が北砲台跡。
右の道は南砲台跡への道だが、熊が出そうな感じなので行くのはやめた。
北砲台跡に到着。
太平洋が見える。
テーブルとベンチがあるのでゆっくりできそう。