独り言を読んで下さっている方からなぜ、機を織ってはならないかと問われました。
私も研究者ではないので定かなところは分からないのですが、市史を読んだり十日町の歴史研究のS先生に伺ったりした中で自分なりに解釈しているに過ぎないのですが、「ろくろういん」は機織りの神様「黒姫様」を祀ったもので、今のお社は1973年の創建、「ろくろういん」は1861年に14件軒の機業家で講中を作って維持をしています。江戸時代から続いていることがわかります。
当時は「休み」と言っても盆と正月しか休みがなかったので、この日を慣習上の休みとしたようです。
全体の休日なので「この日に農作業をした家は屋根を剥がされても仕方ない」と制裁まであったようです。
これから察するに「休んでもいい日」ではなく「休まなくてはならない日」であったようです。
元々、休みがないのですから、体調管理の上でも休みは必要だったのかもしれません。
本来は、機休みではなく畑休みが基ではないかと思いますが、農村部では畑も機も同源なところもあるのでそのまま機も休みになったのでしょう。
「ろくろういん」の語源ですが、「六六忌み」もしくは「六忌み」の六を擬人化して「六郎忌み」が現在の「ろくろういん」に転化したと思われます。
なぜ、6月6日か?なのですが、鋤も筬も櫛のようですから、「櫛→くし→九四=三十六→六の平方根で六六」 と云うのを聞いた事がありますが、ちょっと上手く出来すぎな気もします。これは真偽不明。
ではこの禁忌日や黒姫様のおまつりはどの地域でもあるかというとそうでもありません。
小千谷にはそういった習慣はないようで、今、残るのは十日町地域だけのようです。
個人的にはここからがよく分からないところです。
6月6日に畑を休んだとすると、この頃は地温も上がって一通り畑に作をつけ、この先の雨を待つ時期です。
そこで一通りの仕事をして休むのは理に叶うと納得していたのですが、江戸時代は今の暦と違い旧暦です。
今年の暦では旧暦6月6日は今の7月21日にあたります。
そうすると梅雨明けの頃に休みがあったということでしょうか?
民間伝承はなかなか細かなところがわからないのも面白いものです。
「ろくろういん」の写真はいろいろあるのですが、みんな解説つきでアップしているとそれなりに大変なので、またの機会に。