懈怠石

結晶系、屈折率:100、主要産地:東京近郊、つまりそういう日記

太陽、眼球、肛門。解剖台、こうもり傘、ミシン・・・

2004-07-19 12:13:25 | Weblog
受け持ちの授業で「提出作品の採点」という建前で教授や講師の方々と、学生の作品を見ながら好き放題言っている時のこと。
目玉と太陽の絵を描いた作品がありました。
先生がそれを見て、
「太陽、眼球、肛門・・・」
とつぶやかれた。

なんすか、三個目の肛門てのは。

バタイユだって。
へえー。

調べてみたら結構面白い。
初期のバタイユはその三つの関係に興味を持っていたらしく、「眼球譚」ていう小説が有名ですが、その前に書いた「太陽肛門」の考え方が結構大きいようです。
人間のエネルギーの源は太陽の放射で、それは地球上あらゆるモノに降り注いでいて余ったエネルギーは火山から排泄されている、とのこと。
この過剰なエネルギーの排泄は人間に於ける排泄行為と同じである、と彼は言うのです。
さらに「松果腺の眼」という作品では人間の頭蓋にある何の働きをしているのかわからない分泌腺、つまり松果腺が肛門と対になるモノ、体内から太陽を見上げる第三の眼であると述べている。多分。

確かに、松果腺というのはチャクラで第三の眼として表現されているものと同じらしいし、組織的にも眼球に似ているらしいです。

まあ、バタイユのエネルギーの転位だのなんだのは難しすぎてよくわからないのですが、その三つの単語で思い出したのがシュルレアリスムの詩人ロートレアモンの一遍
「ミシンと蝙蝠傘の手術台の上での不意の出会いのように美しい」。

「部屋とワイシャツと私」では全然シュールじゃないし美しくないです。
ミシンと蝙蝠傘と手術台だからこそ、美しい、と。
でもそれは全然関係ないモノが関係ありげに並んでいるから。
太陽と眼球と肛門はバイタイユの思想上は完璧な関連性を持って並んでいるが、凡人にはなかなか発想できないし理解できない。
それゆえの美しさもあります。
自分が持ってないモノを持っている、的な憧れかしら。

凡人に何が理解できたかっつうと、無い物ねだりの憧れと美意識は紙一重。

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