懈怠石

結晶系、屈折率:100、主要産地:東京近郊、つまりそういう日記

同じ膿に二度と足をつっこむことはない

2004-09-30 22:37:34 | Weblog
もう行こう。
だめだよ。
なぜさ?
ゴドーを待つんだ。
ああそうか。

という掛け合いがわからなくてわからなくて初めてビデオで見たときは何度も眠りかけて、そこまでして見るこの現実が不条理なんじゃないのかという考えに取り付かれもしたわけであります。
そんな「ゴドーを待ちながら」。
サミュエル・ベケットによるパリ初演、現代演劇に大きな波紋を投げ掛けた不条理劇の白眉です。

初めて見たときには何もわからず、漠然としたわだかまりが残っただけでした。
しばらくして串田和美演出、緒形拳出演の「ゴドー」を見る機会に恵まれて、どっぷりはまりました。
その時の感想はというと、「なんか、いい。」
やっぱりわかんなかったんかい。
ということなんですが、なんか素敵だなと感じることはできたんです。
で、それ以来観劇にはまりこみ、学生のお財布の許す限り(つまり微々たるもんです)舞台へと通うようになったのでした。

それはさておき、最近あらためてテキストで読み返したら、やっぱり、なんかいい。
ベケットは「生と死」「自己と他者」など対称的な命題を執拗に追いつめた人なんだそうですが、「Aであり非Aである」というずれた反復をさらに包み込むくらいに世界が深く、切ないくらい暖かい。

きっとディディとゴゴはもう別れた方がいいねと思いながら永遠に離れることなくゴドーを待ち続けるのでしょう。
それがどんなに困難で難しいことなのかは二人ともよくわかっているのに、それでもずっと離れない。
悪口を言い合ってどなりあって、握手して抱き合うのでしょう。
観ていてとても微笑ましく、羨ましく、悲しい。

台詞にキリスト教的モチーフが多いのでテキストを読んで初めて理解するところが沢山あって、それ以上に文章が美しくて、今この時に読んでおいて本当に良かったと思えました。

ちなみに同じ膿に二度と足をつっこむことはないってのは、「同じ流れに二度と足を浸すことはない」(すべては変わる、時間は不可逆である)というヘラクレイトス思想をもじったものだそうです。
犬の糞を二回踏むってな意味ではないので要注意。

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