ファルケンシュタインという名前のお城は中部ヨーロッパにたくさんありますが、我々が訪れたファルケンシュタイン城砦は南オーストリアのオーベルフェラハ村に建っています。正確に言うとウンター (下部) ファルケンシュタイン城砦です。というのは、12世紀の中頃に建造された、200m程さらに高い位置にあるオーバー (上部) ファルケンシュタイン城砦が本城で、ウンターファルケンシュタインは14世紀の初め頃に本城の防御塔として建てられました。本城の方は17世紀以来廃墟となっているそうですし、200m登るのがつらいので、私たちはオーバーファルケンシュタインには行きませんでした。
遠くから見た城砦 1 & 2
少し近づいて見た城砦 1 & 2
この防御塔が建てられた頃、それまでの所有者の家系が消滅したので、ファルケンシュタイン城砦は様々な人物に引き継がれました。そして17世紀の終わり頃から19世紀の後半まで所有していた某男爵は近くの別のお城に住んでいたため、ファルケンシュタイン城砦は次第に荒廃して行きました。
城砦へと続く山道
しかし19世紀の終わり頃にその廃墟を取得した人物が、20世紀の初めに城砦の古い建材を利用してロマネスク・ゴシック様式の理想的なお城としてウンターファルケンシュタインを再建しました。
すぐ近くから見た城砦 1 & 2
その後2、3回所有者が代わり、20世紀の後半に入ってから、かつて中国、日本、米国に住んだことがあるというハンブルクの輸出入商人 (オェーミヒェン夫人) が再び荒廃していたお城を購入し、その修復にかなりの財産を投資しました。さらに、彼女は貴重な絵画や骨董品を城に飾りました。しかしその約10年後に、強盗による証拠隠滅のための放火がなされ、ウンターファルケンシュタイン城砦と貴重な在庫の資料が完全に焼失したのです。
すぐ近くから見た城砦 3 & 4
この重い運命の後、オェーミヒェン夫人がまたしてもお城を再建し家具を提供したことは賞賛に値するとして、その記念の銘板が城の正門を飾っています。残念ながら私たちは正門まで近づけなかったので、それを見ることは出来ませんでした。オェーミヒェン夫人は1987年、長く重篤な病気の後、ウンターファルケンシュタイン城内で亡くなったとのことです。夫人の死後財産は彼女の2人の甥に渡り、オーバーファルケンシュタインの遺跡とウンターファルケンシュタイン城砦はそれぞれ別の人に売却されました。
門 ・ 先端部分
〈2016年以来、ファルケンシュタイン城 (ウンターファルケンシュタイン城砦) は夏の間だけ訪問者に開放されている。〉と案内書には書かれていますが、登城橋が手前で封鎖されており、門まで行けません。武漢コロナのせいなのか、それとも別の理由なのか。とにかく現在閉鎖中です。
余談ですが、1973年にオーストリア郵便はこの城砦を切手の図柄に採用しました。
さて、今日の夕食の一部は絹さやの料理とズッキーニを使った料理です。
絹さやは筋を取って1/2か1/3に切ります。それをチンしてゴマ油をまぶし、塩と醤油で味付けです。そして最後にすり胡麻を振ります。
絹さや料理 ・ ズッキーニ料理
ズッキーニは小さく切ってチンし、粉チーズと卵を混ぜたのをかけてオーヴンで焼きます。それから塩コショウで味付けをします。
どちらも簡単な料理ですが、休暇先の慣れない台所を使っての料理です。美味しくいただきました。
〔2022年8月〕
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