仕事を辞めてからの私は、辞めたからこそ、今の私がいると言えるようになりたいと思っていた。
夢を諦めた形で就職し、毎日、同じような日々を過ごしていた私を刺激したことがある。
辞める前の職場は、唯一、創造性のある仕事だった。
私の前には、庁舎や官舎などの設計に携わる人たちが座っていた。
「ねぇ、照明はどれがいいと思う?ドアの色はどっちがいい?」
ことあるごとに、声を掛けてくれた。
自分の選んだものが形になる。それが楽しかった。
新採用で入ってきた女性がいた。
以前は、とある乳製品を扱う会社で、研究をしていたのだと言う。
でも、急に家を作ることに目覚めて、もう一度大学に入りなおして、一から勉強したそうだ。
それを聞いたとき、やりたいと思ったときに、夢を叶えることが出来るんだなって、夢を追うのには、年齢は関係ないんだなと思った。
私が、仕事を辞めたのは、職場に通えないからと言う理由のほかに、ひそかになりたい自分になれたらいいなと思う気持ちがあったのかもしれない。
夢が叶って、今の仕事を見つけることが出来たのに、手放しで喜べない私がいた。
自分がやっていることに自信を持つことの出来ない私がいる。
アイデアが生まれてこなくなったらどうしようと不安に押しつぶされてしまいそうな私がいた。
もっと、自分に自信が持てたら、もっと自分のことを認めることが出来たらどんなに楽だろうかと思った。
自分では認めてやれないから、旦那に認めてもらいたい、そう思ったのかもしれない。
新しい仕事が来た話をしても、「それがどうしたの?」と言われ、
売り上げの話をしても、「それが、ずっと続くわけではないんだろう?」と言われた。
その言葉で、やっぱりそうだよね。今いいからって、喜ぶことじゃないんだそう思った。
外では、色々賛辞を頂き、嬉しい気持ちでいることが出来るのに、自信が持てない。
自分から自分を売り込むことすら出来ない。
ただ、一度だけ、売込みが出来た。一人ではなかったから。
当時、ペアのように仕事をしていた友人がいる。
彼女がいたから、彼女の作品が好きだったから、売り込むことが出来た。
いざ、一人で仕事をしていると、どうしても受身になってしまう。
結局、その売込みがきっかけで、私は仕事を貰った。
そして、今の私がいる。
目標だと言ってくれる人がいる。
わざわざ仕事を紹介してくれる同業者もいる。
そんな中で、自分を卑下することは、その人たちに悪いと思うようになった。
以前、イベント会場で知り合った社長さんに、
「売込みが上手いですね」と話をしたことがある。
「何人もの社員を抱えているんだから、私が自信を持って必死にならないと付いてきてもらえない」そう言われた。
その通りだと思った。
私が、人を使うことが出来ないのも、自分に自信がないからだと思った。
まずは、私を陰で支えてくれる人のために、少しずつ努力したいと思った。
その賛辞にふさわしい女性になりたいと思った。
今までしなかった化粧をし始めた。
もともと色を使うのが好きなので、服の色に合わせて化粧を変えると楽しくなった。
服もシンプルだったのに、少しずつ選んで流行のものを取り入れるようになった。
そうしたら、体型が気になった。
次女を産んでから太り始め、長男を産んでから痩せたものの、また元の体重に戻っていた。
ダイエットをした。元の体重に戻った。
その努力を、多くのママ友たちが認めてくれた。
自分が努力をすることが、結果に現れるのが嬉しかった。
今の仕事を見つけたこと。
それが私にとって、今までで最大の岐路だったのかもしれない。
運が悪い、そう諦めるより、目の前にあることを少しずつ努力すること。
そのなんでもないことが、少しずつ、私を動かしたのかなとそう思う。
もしかしたら旦那と別居したことも、その延長線上にあったのかなそう思った。
夢を諦めた形で就職し、毎日、同じような日々を過ごしていた私を刺激したことがある。
辞める前の職場は、唯一、創造性のある仕事だった。
私の前には、庁舎や官舎などの設計に携わる人たちが座っていた。
「ねぇ、照明はどれがいいと思う?ドアの色はどっちがいい?」
ことあるごとに、声を掛けてくれた。
自分の選んだものが形になる。それが楽しかった。
新採用で入ってきた女性がいた。
以前は、とある乳製品を扱う会社で、研究をしていたのだと言う。
でも、急に家を作ることに目覚めて、もう一度大学に入りなおして、一から勉強したそうだ。
それを聞いたとき、やりたいと思ったときに、夢を叶えることが出来るんだなって、夢を追うのには、年齢は関係ないんだなと思った。
私が、仕事を辞めたのは、職場に通えないからと言う理由のほかに、ひそかになりたい自分になれたらいいなと思う気持ちがあったのかもしれない。
夢が叶って、今の仕事を見つけることが出来たのに、手放しで喜べない私がいた。
自分がやっていることに自信を持つことの出来ない私がいる。
アイデアが生まれてこなくなったらどうしようと不安に押しつぶされてしまいそうな私がいた。
もっと、自分に自信が持てたら、もっと自分のことを認めることが出来たらどんなに楽だろうかと思った。
自分では認めてやれないから、旦那に認めてもらいたい、そう思ったのかもしれない。
新しい仕事が来た話をしても、「それがどうしたの?」と言われ、
売り上げの話をしても、「それが、ずっと続くわけではないんだろう?」と言われた。
その言葉で、やっぱりそうだよね。今いいからって、喜ぶことじゃないんだそう思った。
外では、色々賛辞を頂き、嬉しい気持ちでいることが出来るのに、自信が持てない。
自分から自分を売り込むことすら出来ない。
ただ、一度だけ、売込みが出来た。一人ではなかったから。
当時、ペアのように仕事をしていた友人がいる。
彼女がいたから、彼女の作品が好きだったから、売り込むことが出来た。
いざ、一人で仕事をしていると、どうしても受身になってしまう。
結局、その売込みがきっかけで、私は仕事を貰った。
そして、今の私がいる。
目標だと言ってくれる人がいる。
わざわざ仕事を紹介してくれる同業者もいる。
そんな中で、自分を卑下することは、その人たちに悪いと思うようになった。
以前、イベント会場で知り合った社長さんに、
「売込みが上手いですね」と話をしたことがある。
「何人もの社員を抱えているんだから、私が自信を持って必死にならないと付いてきてもらえない」そう言われた。
その通りだと思った。
私が、人を使うことが出来ないのも、自分に自信がないからだと思った。
まずは、私を陰で支えてくれる人のために、少しずつ努力したいと思った。
その賛辞にふさわしい女性になりたいと思った。
今までしなかった化粧をし始めた。
もともと色を使うのが好きなので、服の色に合わせて化粧を変えると楽しくなった。
服もシンプルだったのに、少しずつ選んで流行のものを取り入れるようになった。
そうしたら、体型が気になった。
次女を産んでから太り始め、長男を産んでから痩せたものの、また元の体重に戻っていた。
ダイエットをした。元の体重に戻った。
その努力を、多くのママ友たちが認めてくれた。
自分が努力をすることが、結果に現れるのが嬉しかった。
今の仕事を見つけたこと。
それが私にとって、今までで最大の岐路だったのかもしれない。
運が悪い、そう諦めるより、目の前にあることを少しずつ努力すること。
そのなんでもないことが、少しずつ、私を動かしたのかなとそう思う。
もしかしたら旦那と別居したことも、その延長線上にあったのかなそう思った。