私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

忙しさに身を任せて

2005-12-14 22:55:52 | 日々つれづれ
何故、苦しい気持ちになったのか、考えてみた。
思い当たることが一つ。
月曜日に参加したミーティングで、他の方の話に反応して泣いてしまったこと。
親である私が、自責の念で泣いたとばかり思っていたが、もしかしたら心の中の私(インナーチャイルド?)が泣いたのかもしれないと思った。
話の内容からすると、そうだとしてもおかしくない。
むしろ、そのほうが自然なのかもしれないと思った。

父も母も私も妹も、涙もろい。
悲しい場面や、感動的な場面になると、必ずティッシュが回されていた。
そして、みんな目が真っ赤だった。
それが当たり前だと思っていた。
でも、旦那は泣かなかった。
それどころか、
「なんでこんな作り物見て泣くのかわからない」そう言った。
この人は、私が死んでも泣かないだろう、何故だかそう思っていた。

泣くということは、心の中にある、何かの感情に触れるのかもしれない。
でも、これまで泣いても、その後にその気持ちを引きずることなんて無かった。
その時だけのものだった。
なのにどうして、その感情に触れてしまった後も、こうして苦しいのだろう。
忙しさに身を任せていれば、その時は、逃れることが出来る。

昨夜は、早くに眠りにつき、今朝は、小学校の登校監視、月に1回の習い事。
夕方は、急ぎの仕事があって、その後は、避妊手術を受けていたネコを迎えに行った。
そうやって夢中になれるもの、しがみつけるものがあれば、苦しみを忘れていられた。
こうやって、今まではその感情に気が付かない振りをし続けていたのだろうか?

母は、
「なんだか、ずっと走っていたよ。ゆっくり歩くことなんかしなかった。たぶんお父さんもそうだと思うよ。」
そう言っていた。
今までの人生もまた、そうだったのであろう。
朝早くから、坂道を駆け上って新聞を配り、子どもや夫の弁当を作り送り出し、パートへ出かけていた。
母が横になってテレビを見るなんてことは無かった。

私はと言えば、やっぱりそうだった。
テレビだけを見ていることは無かったし、友達の家に行っても、黙って座っているのが辛かった。
お菓子を出されれば、止まらなくなるほど食べ、洗濯物が置いてあれば、思わず畳んでしまっていた。
その場で、じっと話だけをすることが出来なかった。
家でも、食事が終われば、思わず立ち上がって何かをしてしまうし、のんびりすることが出来ずにいた。

今まで、こうやって自分と向き合わずにいたのだろう。
高校や短大時代、自分と向き合えたのは、授業中、退屈だったせいかもしれない。
今まで、感じなかったのは、感じないように忘れるようにしてきただけなのかもしれない。


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