センター試験国語(現代文)を極めたい!

センター試験国語の法則を解き明かすのが目標です(『ヘタレ競輪王のトホホ日記』のエントリも恥の記録として残しておきます)。

勉強する雰囲気を作る教科

2008-05-11 23:36:13 | その他
 ウチのアホ主任が張り切っている。

 まあ、張り切るのは別に構わんのだが、その張り切り方が問題。

 「進路希望の実現に向けて、家庭学習を強化させねばならん!」とか言うて、「週末に宿題を出してくれ!」だと。

 ちょいと話が逸れますが、ウチも含めて学力中位以下の高校ってのは、理系なんてものは存在せず、恐ろしいことに、ほとんどの生徒が高校数学の勉強を一年生で事実上終えてしまう、ということを踏まえた上で続きを読んでください。

 さて、週末の宿題の話。

 当然、宿題を出すのは我らが国語科、及び英語科が中心。

 ところが、国語や英語の教師をやったことのある人なら分かると思うが、

学年全員に課題提出を求め、点検する

という作業ほど虚しいもんはないのだ。

 まず、ほとんど全員が真面目にやらない。こきたない字でわやくちゃな答えを書いてただ出すだけの者、明らかに他人のものを写しただけの者。

 何より精神的にキツいのは、

誠実に取り組もうがええ加減に取り組もうが、ほとんど結果に反映されない

ということ。

 国語にせよ英語にせよ、努力が結果に反映されるまで物凄い時間がかかるのと、そもそも中学のときからやってることの大枠に変化がないことが理由で、課題をテキトーに流しても生徒は全然痛い目を見ないんである。

 もちろん、長い目で見れば痛いことに違いないはずなんであるが、自覚を伴わない類のものなんである。

 しかも、国語や英語には

まぐれ当たり

ってのもある。

 全然勉強してなくてもソコソコの点数がとれてしまうこともあるのだ。

 早い話、文系の教科・科目ってヤツは、尻に火がつきにくいもんなんである。

 その点、数学は違う。究極的には因数分解であれ、集合であれ、微分積分であれ、三角比であれ、ベクトルであれ、一次変換であれ、

やってることは同じ

なんだろうが、どれも

素人目には相当違う。

 この「素人目には相当違う」ってトコロが国語や英語と全然違う。

 国語や英語は、素人目には中学も高校も

似たようなもん

なんである。

 従って、高校数学では、練習問題に真面目に取り組んだかどうかがモロに出ることが多い。点数も極端に分かれる傾向がある。

 しかも、いくら中学で数学ができたヤツでも、高校数学の勉強をしてなければ、微分積分ができることはない(高校の微分積分じたいはさほど難しくないので、やってればほぼ誰でもソコソコにはなる)。

 また、ロクに勉強してないヤツがまぐれで高得点することなどまず考えられない。

 以上のような理由で、数学はヒジョーに

尻に火がつきやすい教科

なんである。

 だから、学力上位校では、たいてい数学教師がデカい顔をしている。

 尻に火がつきやすい教科が幅をきかせているため、生徒の側にもある種の緊張感があるのだ(わが母校もそうだった)。

 ところが、学力中位以下の学校の教師は、そんな数学の重要性を認識していない。

1) ウチは私大文系志望(というより底辺私大にしか行けないんだが)が多い。

2) 文系私大の入試科目は国・英が中心だ。

3) 国・英を勉強させねば!

 まあ、だいたい上記のような短絡的なあさはかな思考で

「国語科と英語科はがんばらんかい!」

と言うてくるわけだ。

 しかしながら、尻に火がついていないヤツらに、「勉強せえ」と言ったり、宿題を出したりしてみたところで、大した効果が得られるわけもなく、このようにして学力中位校に通うヤツらは上位校のヤツらにどんどんぶっ千切られて行くのである。

 ウチの教師連中はよく、

「ウチの子らは進学校の生徒と違って、勉強に対する貪欲さがないからなあ……」

という泣き言を言う。

 しかしながら、あたくしの経験からすると、結構な「進学校」の生徒にも「勉強に対する貪欲さ」の旺盛なヤツなんてほとんどいない。

 ただ、学校の中で「サボったらすぐに結果に反映される教科」が重視されているために、ヤツらは勉強せざるを得ないだけなのだ(と思う)。

 真剣に学年全体、学校全体の学力向上を考えるなら、入試でいるとかいらんとかには関係なしに数学を重視すべし。

 数学こそが学年・学校に

「勉強せんとヤバい」

という空気を生み出すのである。

 残念ながら、国語や英語にはそれは難しい。

 ま、数学教師がサボってくれているおかげで、国語教師のあたくしは気楽でいられるのだがね。

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