この教師ネタ。このところ、ず~っとオイラの
ぼやきコーナーになっている感があるので、今日は少しだけ態度を改めて、今シーズンの反省を。
まだ12月半ばなんで、厳密にはシーズン途中なんですけど、オイラの中ではもう
消化試合に突入してますからね……。
閑話休題。
今シーズンの反省といえば、もちろん、特に現代文の授業で「書かせること」を最近までほとんどさせていなかった、というのがあるのですが、この点に関しては、単に
オイラの能力不足が原因ですので、
以後気をつけます。(←オイオイ、それでいいんか?)
しかし!!!!
後悔することしきりなのが、
漢文をほとんど授業で扱わなかったことです。
入試で漢文いるヤツおらんしと、ほとんどスルーしていたことを、今になって激しく後悔しております。
これも今シーズンに入ってから気づいたことなんですが、
言葉をしっかり使いこなせるということは、
しっかり考えることができるということ
なんですよね……。
で、「言葉をしっかり使いこなす」ためには、母国語だけ勉強するのでは片手落ちで、
英語などの外国語、
古文・漢文といった半外国語、
数学のような人工言語、と、できるだけ色々な体系の言語を学習しておくのがイイと思うんですよ。
オイラはまだあまり教職経験がないので、断言は避けますが、少なくとも「効率」という面で見れば、
原理を異にする複数の言語間を往復する、というのは、思考力を鍛えるのにはいいやり方だと思うんですよね。
ちょいと話が抽象的になったので、具体的に言い直します。「英語」を例にとりますね。
英語は、当たり前のことですが、英語のルールに則って書かれています。コレを日本語に訳す、という作業は、
「英語のルールに従っているモノ」を
「日本語のルールに則って構成しなおす」ということになりますよね。
コレ、「日本語のルール」を身に付けるのにはいいやり方だと思うんですよ。
英語が、古文・漢文や数学になっても同じこと。英語や古文・漢文、数学を勉強することには、
異質なルールに則っているものを母国語のルールに当てはめる(&その逆)という側面もあると思うんですよね。
だから、
「いくら英語を勉強しても話せるようにならなきゃムダだよ」とか、
「古典なんか勉強して何になるの? タイムマシンで過去にでも行くのかい?」とか、
「買い物に困らない程度の計算が出来りゃ、数学なんて勉強するだけムダじゃん?」
といった意見は、ものすごく一面的なものの見方だと思うわけです。
話がそれました。元に戻します。
漢文です。漢文というのは、
なかなか微妙な位置にある言語で、いわば、
半分外国語、半分日本語みたいなもんです。
当たり前ですね。あの返り点とか送り仮名といったシステムは、昔の日本人が、
支那語をムリヤリ日本語に変換するために編み出したものなんですからね。
非母国語←―――――――――――→母国語という図式で整理すると、
数学>>英語>>漢文>>古文>>現代国語
みたいな位置づけでしょうか。
このように考えると、いわゆる「三教科」をすべて勉強する、というのは結構意味があるような気がしてきませんか?
オイラは、授業で漢文を扱う能力を(一応)持っていながら、
「受験科目にないから」
という
至極浅はかな理由で、「漢文」をスルーしたことになります。
もったいないことをしたなあ……。