■【きょうの人】 1112 藤堂高次 高虎の子 徳川家光から家綱までの時代の武将
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■ 藤堂高次 高虎の子 徳川家光から家綱までの時代の武将
とうどうたかつぐ
慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)-延宝4年11月16日(1676年12月20日)
多数の主君を持ったことで知られる藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。
父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。
幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がその跡を継ぎました。
寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。
ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。
しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。
寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。
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