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■【きょうの人】 0810 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母

2021-08-10 08:46:00 | 【話材】 きょうの人08月

■【きょうの人】 0810 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 桂昌院 5代将軍・綱吉の生母

  けいしょういん
 永4年(1627年) - 宝永2年6月22日(1705年8月11日)

 江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母で、通称は玉といいます。

 父は、北小路(本庄)太郎兵衛宗正、母は鍋田氏で、兄に、北小路道芳(後に本庄姓を賜り本庄道芳)、弟に本庄宗資がいます。

 寛永16年(1639年)に、部屋子として家光の側室・お万の方に仕え、後に春日局の目にとまり、「秋野」という候名で、局の指導を受けるようになりました。

 長じて将軍付き御中臈となり、家光に見初められて側室となり、正保3年(1646年)1月に綱吉を産みました。

 慶安4年(1651年)に家光が死ぬと大奥を離れ、筑波山知足院に入ります。

 4代将軍・家綱の死後、綱吉が将軍職に就き、江戸城三の丸へ入りました。

 従三位を経て、元禄15年(1702年)2月には、女性最高位の従一位の官位と、藤原光子(または宗子)という名前を賜わりました。

 宝永2年(1705年)6月に79歳で没し、墓所は、東京都港区の増上寺にあります。

 遺髪塚が寺の復興に貢献した京都府京都市西京区の善峯寺に「桂昌院廟」として存在します。

 また、東京都文京区にあります護国寺は、桂昌院の発願によって天和元年(1681年)に創建されました。開山は亮賢です。

 本尊は如意輪観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第13番札所です。

 近代以降は宮家の墓所(豊島岡墓地)が造られ、1873年(明治6年)、明治天皇の皇子(稚瑞照彦尊)の薨去を機に、護国寺境内の東半分が皇族墓地とされ、また、桂昌院という建物も建てられました。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。

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■【経営コンサルタントはかくありたい】1804 激流時代には完璧情報収集主義を排除 053

2021-08-10 05:46:00 | 【専門業】 経営コンサルタントはかくありたい

■【経営コンサルタントはかくありたい】1804 激流時代には完璧情報収集主義を排除 053

  経営コンサルタント歴40年余、人生の半分を経営コンサルタント業界の、お世話になってきました。

  その恩返しとして、日本最古の経営コンサルタント団体「日本経営士協会」で、会長職を含むなど、役員を長年やらせていただきました。

  若手コンサルタントの育成をライフワークとして、生涯現役の活動を行っています。

  その結果、 「コンサルタントのコンサルタント」と言われるようにもなりました。

  この経験を通して、これから経営コンサルタントを目指す人だけではなく、すでにプロとしてご活躍の先生方に、少しでもお役に立てればと考えて、徒然に書いたものをご紹介します。

 


■1804 激流時代には完璧情報収集主義を排除 053

 スピード経営が叫ばれて久しい昨今ですが、なぜ、スピード経営の必要性が叫ばれてきているのでしょうか。
 「経営は環境対応業」とある人が言ったということを聞いています。「言い得て妙」と捉えて、私のコンサルティングにも活かしています。ただし、それが全てではありません。
 経営環境は、既述の通り、時々刻々と変化して来ています。その変化を①一時的な変化(【一時的流行】)と、②現在の流れ(【現流】)と、③将来まで継続する変化(【潮流】)との3種に分類します。
 「変化」に見える大半が、①の一時的流行であって、「変化」ではないのです。一方で、「現流」といわれたり、「潮流」と言われたりする変化も含まれる、玉石混淆寺大なのです。
 このような時代に、「情報を充分に収集してから判断しないと誤った判断をしかねない」という「完璧主義」にとらわれすぎますと、その一部は腐りかけた陳腐な情報への変化していることに気がつかないでいます。とりわけ苦労して収集した情報ほど、それに固執しがちです。
 すなわち、情報収集において、完璧主義を貫きすぎますと、いくら時間があっても充分ではなく、「まだ知らないことがたくさんある」という脅迫感のようなものに襲われて、判断や意思決定を先延ばしにしがちです。いつ、機会損失に遭遇するのかわかりません。
 情報収集や条件整備は、「現段階では、これがベスト」という決断ができることが重要です。そして、その状況の下でだせる、最善策は何かを見極めて、行動に移していくことです。「拙速巧遅」という言葉の意味がありますが、この言葉の意義を重考(繰り返し考える)してみる必要があります。

【コンサルタントとしての対応】
 対応策は、いろいろあります。

 私がこれまで、講演会やSNS、著書・論文などでお伝えしてきましたことを参考に、ご判断ください。

 また、今後、このシリーズや他のシリーズでもお届けする内容もヒントになると思います。

■【経営コンサルタントはかくありたい】 バックナンバー ←←クリック

  独断と偏見ではありますが、長年の経験から、経営コンサルタント業界に携わったり、経営コンサルタント業にご興味のある方のために、思いつくまま、徒然に書き記してまいります。

 

  

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