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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

処世術

2016-06-08 19:54:40 | 教育
>日本の学校って個人主義を徹底的に刷り込むようにできているんですよ。宿題をするのは一人、テストも一人、もちろん受験も一人で対応して、それが評価の対象になる。

本当に個人主義ですかね。利己主義ではありませんか。宿題も、テストも、受験も、成績の良い個人が自己利益を得る。処世術 (現実) の一環でしょう。世界観が無い。個性が輝いていない利己主義でしょう。

>チームで成果を問うってないでしょ? たまにグループを作って共同で何かすることもあるけど、それが成績に反映されることはないですよね。そして個人に短所があれば先生に叱られる。短所をつぶして個人として完結することを強く要求されるんです。

現在は民主主義の時代です。自分の考えに他人の理解が得られなければ、自分の理想 (非現実) を実現させることは難しい。未来社会は、皆の協働作業で実現する仕組みになっている。考え・理想は非現実の内容であるから、その内容は一人ひとりで違っている。世界観を話合って個人意見をよく確かめてみなければわからない。お互いに切磋琢磨して成果を得るので、個人の考えを尊重する個人主義となる。非現実の内容の文章を正しく書けるかが成果のカギになる。これには、英米の高等教育が必要である。
自分さえ善ければと構えていれば、宿題、テスト、受験と同様に利己主義である。かなしからずや、社会の変革も望めない。短所を潰すのは、消去法によるものであるから、日本人の得意芸である。不毛の指導にならなければ良いが。禅僧の修業のようなものになるのか。



>秀才である事は間違いない舛添だが、秀才が人格を伴うとは全く限らない事の最高の例になったのが舛添と言える。けちな秀才である。権力の旨味にすぐ酔い痴れる。霞ヶ関の官僚らも似たようなものだ。本当にけちな連中である。けちな秀才官僚にけちな馬鹿政治屋が作る日本の権力。

‘曲学阿世’ とは、学問上の道理をまげて世間の人気にこびへつらうこと。舛添氏は、哲学 (非現実) が嫌いで、処世術 (現実) にのめりこんでいるのであろう。
‘違法ではないが、不適切な支出をする’ ことは、どういうことなのであろうか。 ‘違法ではない’ を口実にして、自己利益を図る。かくして、不適切な支出は存続することになる。こうした処世術で、舛添氏は世間の人気を得ることができるか。'他の人もやっていることだから、この場は大目に見てもらいたい’ といって迎合するつもりか。人気を失墜すれば、’それは運が悪かったからだ’ ということになるのか。何事も、やってみなければわからないことなのか。彼には、政治哲学が無い。何事も、拍子ものであると見ているのであろう。真面目になれない人間である。


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巧妙な手口

2016-06-03 22:10:43 | 教育
>試験制度が、大衆を観念支配するのに実に巧妙な手口であることを認識しました。

試験制度は、処世術の口実か方便として利用されている。巧妙な手口は、権謀術数か。陰謀か。
‘あるべき姿’ の内容に向かわないところが、我が国民の政治音痴の証拠である。

>試験には必ず“正解”が用意されており、どんなに優れた答えを提示したとしても、それが正解と異なっていれば「○」はもらえない。
つまり、試験制度は、作成者の用意した正解に、“どれだけ忠実であるか”がすべてであると言える。

暗記力のテストですね。自分で考える習慣のない人たちには、これしかない。

>さらに、この試験制度の先端に学歴⇒官僚、学者という社会の特権的地位が用意されており、試験制度の勝者から順に、その特権的地位が手に入る。
つまり、試験の正解に忠実であった者のみが社会的特権を得られる構造となっている。

序列を作る方法ですね。結果がはっきりしていて、正当性の根拠が得られますね。

>この構造においては、特権階級によって、試験制度の枠組みの中で何を正解とするかで、大衆をいかようにも支配することが可能となる。

上位の愚鈍と下位の愚直で成り立つ社会構造ですね。’あるべき姿’ を考える人がいない。哲学が無い。
一人一人に哲学が必要である。そうでなければ、自分の頭を使って考えたことにはならない。他人の考えを自分の頭を使って暗記したことになる。何事も暗記力で勝負を決めるのか。
哲学 (非現実) が存在すれば、その答えは個人個人で違ってくる。だから、個人主義も理解できる。だが、そのような内容を欲する者がいない。現実離れした話は信じられない。常に文切り型で満足・安心する。だから、英米の高等教育が成り立たない。民度が低い。
民主主義は最低であるが、今のところこれをしのぐ政治形態は見つかっていない。だから、民度を向上させるのが当面最上の策ということになる。


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時制の和訳は困難

2016-06-02 22:47:01 | 教育
>人類の歴史を振り返ってみても、「創造」は人間の能力を最大限に発揮できる場で行われると思います。
>従来の支配観念では全く歯が立たない状況下では共認機能や本能機能に頼らざるを得ないのであり、これらを潜在思念と呼ぶならば、潜在思念は創造の源であると考えられます。

創造力は、人間だけの持つ能力ですね。
潜在思念を顕在化する必要がありますね。それには、作文の能力が必要ですね。
すべての考えは文章になる。文章にならないものは考えではない。

考えには、現実に関する内容と、非現実に関する内容がある。
我々日本人には、現実に関するする文章には問題がないようである。我が国の技術力がそれを証明している。
非現実の関する文章には、時制のある言語が必要であるが、日本語には時制が無いから、これが我々の問題である。我が国の政治音痴がそれを証明している。

現実の内容を現実に再現すれば、それは模倣したことになる。
非現実の内容を現実に実現すれば、それは創造したことになる。
我々は、模倣力に強く、創造力に弱い。
だから、我々は創造力を獲得するために、時制のある言語の習得が必要になる。
だが、時制のある文章内容の時制のない日本語への翻訳は困難である。
時制のある英語の習得が、我々の当面の難題である。
この努力は、人間の能力を最大限に発揮する可能性のある道でもある。


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有言・無言の説得力

2016-06-01 05:28:45 | 国際・政治
頭の中は、現実とは別の世界である。この脳裏にある非現実の世界を表現するには、言語に時制 (tense) が必要である。だが、日本語には時制が無い。だから、頭の中の内容を文章にして表現することができない。我々日本人は仏教徒と言われているが、前世や来世の内容の脳裏における展開は良くない。だから、輪廻の苦しみもない。切に涅槃を求めることもない。頭の中の内容を表現しようとすると、’そんなことを言っても駄目だぞ、現実はそうなってはいない’ と反論される。非現実の内容を現実に変換することができれば、我々は創造力を手に入れたことになる。だから、非現実の内容の文章化は重要である。

文章があれば意味がある。話に筋が通る。相手に対して説得力がある。交渉力がある。
文章がないと意味がない。説得力がない。交渉力が無い。相手の言いなりになるしかない。
だが、日本語の文章にならないバラバラな単語だけでも、それらはある気分・雰囲気を伝えることができる。以心伝心か、歌詠みか。おかげで細工物の仕上りが良い。海外に対しても無言の説得力がある。これは、文句なく非言語の力である。かくして、世界中から我が国に金が還流してくる。我が国は経済大国になることができた。

交渉力を高めるには、大同を相手に提示する必要がある。お互いに小異を捨てて大同につくのが狙いである。
小異は現実であるが、大同は非現実・理想である。この非現実の内容に筋を通すのが雄弁である。言語に時制がないと、非現実の内容は文章にならない。矛盾も排除できない。この難関を突破するのが我々の当面の課題である。我々は時制のある英語の力を借りる必要がある。だから、我々は英語教育に力を入れなくてはならない。さすれば我々は、無言の説得力の上に、有言の説得力を持つにいたることになる。

言語を使うと、理屈を通して言語的に、理性による説得を行うことができる。
言語を使わないでも、理屈を通すことなく非言語的に、感性による説得を行うことができる。
学問 (verbal) と芸術 (nonverbal) は、どちらも我々の生活に必要である。


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