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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

我儘

2015-09-18 05:31:04 | 国際・政治

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。

・> 、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。(引用終り)

合憲であるとよいと思うときには、現実は合憲に見えてくる。勝ち戦がよいと思うときには、現実は勝ち戦に見えてくる。一念で、そうあるべき “リアリィティ”は見えてくる。大本営発表のようなものか。便利な頭脳だな。
これで、心情的なイメージに合わせた世界が構築できるのか。それとも、矛盾に足元をすくわれて挫折するのか。

・> 、、、、、 西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。(引用終り)

任意の考えとは、恣意 (私意・我がまま・身勝手)のことか。日本人には意思が無いので、恣意が出る。滅私による対処はむずかしい。

・> 事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。(引用終り)

センテンスがあれば意味もある。矛盾があればこれを文中に指摘して淘汰も可能である。その考えは哲学に成る。
センテンスが無ければ意味もない。矛盾があっても指摘できない。バラバラな単語によりできた出鱈目は空想・妄想・幻想になって生き続け淘汰できない。

・> ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

センテンスが無ければ、意味もない。矛盾を指摘することもできない。そこで、勝手な解釈が横行する。結果的に矛盾を育むことになる。安倍首相は哲学者になれるか。日本人は、考える人になれるのか。


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上官の命令

2015-09-16 13:03:55 | 国際・政治
・> この3ヶ月間の訓練において、「上官の命令は絶対」という思想を植えつけられます。命令が下れば主観が入り込む余地などなく、ただひたすらにその任に当たります。『服務の宣誓』においても、「私は…、一致団結、厳正な規律を保持し…、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」とあります。上官の命令に従うことこそ、厳正な規律を保持することになるからです。


日本人には責任者 (上官) としての資質がない。
意思が無いので、責任感がない。
意思のあるところに方法がある。意思のない人には方法がない。

日本人には意思はないが、恣意が有る。恣意による命令が出る。
意思はセンテンスの内容であり意味がある。矛盾があれば議論にもなる。
恣意はバラバラな単語で意味がなく、矛盾もないので議論にならない。
意思であれば説明責任が果たせる。恣意であれば説明責任は果たせない。’だって、本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ということになる。それで終り。正しい (矛盾を含まない) 考え方の教育というものはない。正しい考え方は、センテンスを作ることから始まる。

意思のない社会では、皆が頼まれ仕事をしている。説明責任をとれる人が見当たらない。
この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。ずるがしこく見える。
とかく、この世は無責任。上官は愚鈍、隊員は愚直か。上官は自分の命令に責任がとれるのか。


日本人には意思が無い。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。
意思が無ければ、責任は果たせない。
意思を示せば当事者となる。示さなければ傍観者となる。
我が国は、世界の中にあって、世界に属していない。


ハンドルのない自動車か。ブレーキの利かない新幹線か。
操縦不能で、日本人の社会は動く。
安らかに眠ってください。過ちは繰り返しますから。
人間教育のあり方を、今一度考え直さなくてはならない。



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理念の重要性

2015-09-16 05:48:07 | 教育

・> 先に私は、自由とか人権とかの理念が現在ではほとんど抵抗なしに日本人に受け入れられていると言った。この「抵抗なしに」が、今の私にはかえって恐い。日本人はとかく自分より高い文明をもっていると思われる外国のものを「抵抗なしに」受容する。

有難いお題目のようなものか。日本人は、向上心があるので上のものを求めている。
自由とは、意思の自由のことでしょう。日本人には意思が無い。意思は未来時制のセンテンスで、日本語には未来時制が無い。だから、日本人には意思が無い。無意志であることは自由・不自由の次元を超えている。不自由を常と思えば不足なしか。

・> それは日本人の長所であると同時に短所でもあった。抵抗なしに受け入れたものには、深い理解も執念もない。したがって、また抵抗なしに手ばなすことも可能であろう。

日本人は、無哲学・能天気である。日本語には時制が無いので、非現実の内容をセンテンスにすることができない。センテンスが重要である。センテンスが無ければ、意味もなく、矛盾もない。非現実の内容は、頭の中にある考えである。あえて日本人が非現実を口にするならば、それはこの世の真っ赤な嘘になる。

・> 私はこの理念の重要性を認識し、評価しているつもりである。しかし、それであればこそ、日本人の立場から、深く検討したり、吟味したりしながら、つまりできるだけ「抵抗」しながら、本当に真剣に受け入れるべきではないかと思う。

同感です。考えもなく言動する日本人は浅はかですね。無哲学・能天気では真剣になれない。哲学は空想・妄想になる。
真面目になるには、言語に時制が必要である。英語を学んで、我々は考えを深くしよう。



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言語事情

2015-09-12 14:07:24 | 国際・政治
フランク・ギブニーは、<人は城、人は石垣> の中で下記のごとく述べています。

日本は外国人に話しかけられ、外国人と一緒に暮らし、外国人の前でもリラックスし、外国人と議論し、外国人の熱意をかきたてることができる人間を必要とする。
、、、、世界とコミュニケーションする能力を発見ないし再発見できれば、日本にとっても、世界にとっても、そのプラスは価値観と基準の変化による国内の一時的な混乱をはるかに上回ろう。もしも日本社会の団結性、信頼性、仕事熱、忠誠心が翻訳でき、もしもそれらが日本のユニークな価値観を世界に説明するとともに投射できれば、世界はうんと豊かになるだろう。(引用終り)

団結性(solidarity):階称 (言葉遣い) に基づく序列団結性を示す。示さなければ外人・非国民になる。序列の断絶は危機感をもたらす。
信頼性 (trust):愚直。意思 (非現実) というものを理解できない。言われた言葉 (現実) を行うしかない。未来時制の無いことに起因する。
仕事熱 (work enthusiasms):雑念 (非現実) を打ち払い、目先・手先の作業に神経を集中させる。この修行が、序列競争によりさらに拍車がかけられる。
忠誠心(loyalties):階称に基づく序列に対する忠誠心を示す。示さなければ外人・非国民になる。序列の断絶は危機感をもたらす。

日本人が、世界で行商人以外の役割を果たすためには、日本語とともに、英語をも学ぶことが必要である。
これからの教育は、語学に限らず日本語と英語の二刀流でなければならない。
これまでのわが国の英語教育は、英語と日本語を同次元の言語としてとらえて翻訳を事としてきた。しかし、新しい英語教育は、英語と日本語を異次元の言語として取り扱い、その違いを解説することにより内容を理解するものでなくてはならない。この解説を周知徹底すれば、我が国民のメンタリティは大いに改善され、外国人の我が国に対する理解もさらに深いものとなることであろう。


日本語をローマ字表記にするのがよい。これにより、非漢字国の国民に日本語を近づけることができる。世界に日本人の考えを理解してもらうための画期的な方法である。漢字の知識が有効なのは、特亜三国に限られている。
カナ書き英語の活用はよくない。宛名に外国の名前も書くこともできなけなければ、英語の辞書を引くこともできない。日本人が英米人の積み上げた貴重な知的財産に近づくことを妨げている。カナ漢字文化をローマ字文化に親しみのあるものとする改革が必要である。


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子ヤギたち

2015-09-11 11:43:49 | 国際・政治
・>戦争を知らない教員たちからのメッセージ

・>日本は敗戦70年を迎えました。かつて「大日本帝国」の時代、この国は他国を侵略し、1931年からは、いわゆる「15年戦争」を引き起こし、アジアの諸国民と連合国に甚大な被害を与え、多くの人命を奪いました。そしてこの国自身も深く傷つき、壊滅的敗北に至りました。

負の遺産は、真のマイナスにはならない。我々に学習の機会を与える。学ぶべきもののない国民に比べたら大いに恵まれている。

・>私たちは戦後生まれの戦争を体験したことのない教員です。しかし、私たちは内外の戦争体験者の証言や戦後補償の訴え、文献や戦跡へのフィールドワーク等を通じて戦争の悲惨さや恐ろしさを学んできました。戦時下、教員は「お国のため」と称し、教え子を戦争に駆り立てました。学校教育が「軍国少年・少女」をつくったのです。教員は国民を戦争に総動員する戦争加担者でした。私たちはこの反省に立ち、「教え子を一人たりとも戦場に送らない」という決意をもち、こののちも過去の戦争について常に学び直します。そして国内外の人々に今も残る痛みを伝え続けます。

悲惨さや恐ろしさを学ぶだけでは意味がない。それを基として、あるべき姿の世界を知らなければならない。そうでなければ、使命感は出ない。
・> 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。

・>私たちは二度にわたる世界大戦の惨禍の果てに到達した人類の遺産であり、未来を照らす光ともいうべき「日本国憲法」の崇高な理念を受け継ぎます。そして核廃絶や世界平和実現のリーダーシップをとり、平和国家として日本を世界の中で名誉ある地位に導くような人を育てたいと願います。私たちは多様な「他者」を尊重し、また自分も尊重される社会を創るにはどうしたらよいのかを児童・生徒たちともに考えます。この世界には依然として格差や貧困および民族間の対立が蔓延し、グローバル化の中でさらに拡大しています。戦争の温床となっているこれらの問題の根源に目を向け、武力の行使や威嚇によらず、対話によって解決していくことを目指す人を世界に送り出したいと願います。これこそ真の「積極的平和」ではないでしょうか。

意思のあるところに、方法はある。方法を持つ人には指導性がある。
意思のある人は加害者意識 (罪の意識) を経験する。深い反省に陥る。贖罪の宗教を必要とする。
日本人には、意思が無い。意思は未来時制のセンテンスで、日本語には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。序列観念は、日本人にとっての強迫観念である。
日本語会話が、向上心・出世欲を呼び起こす。
国際社会において名誉ある地位を望むあまり、国粋主義 (超国家主義) に走った。
意思に焦点を合わせることのできない人間でありながら、相手と実のある対話のできる人がいるであろうか。オオカミと七匹の子ヤギか。

・>安倍内閣は集団的自衛権の行使を可能にしたいがために、昨年7月、憲法9条を無力化するもはや「解釈」とは言えない閣議決定を行いました。これは権力の暴走に鎖をかける立憲主義の廃棄です。そして今、実態は戦争法案である「安全保障関連法案」の成立を目指し、学者たちの「憲法違反」の指摘や全国で展開し始めたさまざまな反対運動を無視し、衆議院において強行採決を行いました。これは非民主主義的態度ではないでしょうか。私たちはこの法案を日本国憲法の精神から認めません。また政府が民意を軽視、無視していく姿勢に深い憤りと危惧を抱き、これを批判します。

昔は序列順位、今は数合わせで決める。これは、民主主義というよりも、衆愚主義である。
リーズンを求める者はいない。リーズナブルな答えを出す者もいない。
以心伝心・勝手な解釈の横行する我が国には、立憲主義は育たない。問題は日本語にある。
無哲学・能天気の精神で国際社会は立ち行かない。

・>敗戦から70年。私たちは不戦の誓いを新たにし、戦争の芽を摘み取り、これからも教室に平和の種を蒔いていく決意をする者たちであることをみなさんにお伝えします。

誰を相手に戦争をするのですか。相手の戦争の芽を自分自身で摘み取るつもりですか。
自分さえ善ければの考え方であって、世界観が抜けている。向かうべき世界の内容が展開されていないのは残念ですね。決意ばかりでは、どうにもならない。
大同が提案されていれば、小異を捨てて大同につくことも可能でしょう。




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