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言語は重要

2015-09-24 15:12:42 | 教育
我が国の英語教育は、英文和訳のための教育である。日本人が、英米人の考えを理解するために設けられている。

日本語と英語は、互いに異質の言語である。子供の言語には大差ないが、大人の言語には、英語に時制が入るので大差ができる。異質であることを認めれば、考えの違いもリーズナブルに説明できる。同質であると考えれば、従来通りごまかしの解説を続けなくてはならない。名訳は迷訳でもある。和訳によって国際的な無理解の袋小路から抜け出すことはできない。だから、言語の違いに対する関心は重要である。



自由主義は日本人に必要か。不自由を常と思えば不足なしか。(自由とは意思の自由のことである。意思のない人々には、自由はあっても価値のないものである。日本人には意思が無い。意思は未来時制のセンテンスで、日本語には時制がない。センテンスが無ければ意思もない。だから、日本人は、優柔不断・意志薄弱に見える。意思決定に難渋している。)

民主主義は、どうして衆愚政治に変質するのか。(民主主義の特質は、個人にリーズンを求める過程にある。個人にリーズンを求める習慣のない人々の多数決は、単なる数合わせに終わる。だから、民主の価値が激減する。)

未来社会を掲げない連合政府は、なぜ挫折するのか。(未来社会の内容は未来時制のセンテンスで表現され、大同になる。大同を掲げない連合政府には、努力して到達する行き先が無い。小異によるせめぎあいに囚われて連合政府は崩れ去る。烏合の衆の常か)



考えに辻褄を合わせるためには、センテンスが必要である。

我が国民の言語に関する最大の難関は、非現実のセンテンスを作ることである。

時制を学んでセンテンスができれば、非現実の内容にも辻褄が合わせられる。哲学ができる。

非現実の内容を現実の内容に変換できれば、それは創造である。

現実の内容を現実の内容として再現すれば、それは模倣である。特亜三国 (日本・韓国・中国) の言語には、時制が無い。特亜三国の人は、模倣が得意で、創造が苦手である。北東アジアにパクリ文化圏を形成している。無哲学で小異を譲ることなく争い、地域の不安定要因をなしている。



中国文化は、非現実の考えを習得するためには役立たない。

子不語怪・力・乱・神 (し、かい・りき・らん・しん を語らず。)

孔子は、奇怪なこと、勇力のこと、乱倫のこと、神秘なことを口に乗せて主張することがなかった。つまり、孔子といえども、非現実の内容を言い表すことはなかった。これでは、人間固有の創造力というものを発揮することは難しい。



経済大国を作り上げた日本語には、それ相当の良さがある。それを世界に伝えたい。日本人の考えは、日本語により表されるので、日本語をさらに外国人にも親しいものとするのがよい。トルコは国語をアラビア文字表記からローマ字表記に切り替えた。これにより、トルコ文化は我々日本人にも、より親しみやすいものとなった。

我が国は技術大国になり、技術研修に来日する外国人も多くなった。
技術の習得を早めるために、日本語をローマ字表記に切り替えると良い。
漢字かな表記の日本語は、技術習得の資格試験の足かせになっている。漢字学習が難解な上に、英語のカタカナ表記は原書との間で余計な混乱を生じさせている。言語表記の問題で、技術を習得しても、試験に合格しない。あまたの努力が徒労に終わっている。これは非鎖国障壁と呼ぶべきものであろう。我が国の基準を世界の基準とするために努力しよう。そのためには外国の資格者による支持が絶対に必要である。

日本語をローマ字表記にすることにより、非漢字圏の人々にも親しみある言語にしよう。漢字表記は、漢字圏 (特亜三国) 以外では効果が無い。バラ色の未来社会を建設するために、世界の大半を占める非漢字圏の人々にも理解の輪を広げて、さらに大きな協力を作りだそう。





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