・>戦争を知らない教員たちからのメッセージ
・>日本は敗戦70年を迎えました。かつて「大日本帝国」の時代、この国は他国を侵略し、1931年からは、いわゆる「15年戦争」を引き起こし、アジアの諸国民と連合国に甚大な被害を与え、多くの人命を奪いました。そしてこの国自身も深く傷つき、壊滅的敗北に至りました。
負の遺産は、真のマイナスにはならない。我々に学習の機会を与える。学ぶべきもののない国民に比べたら大いに恵まれている。
・>私たちは戦後生まれの戦争を体験したことのない教員です。しかし、私たちは内外の戦争体験者の証言や戦後補償の訴え、文献や戦跡へのフィールドワーク等を通じて戦争の悲惨さや恐ろしさを学んできました。戦時下、教員は「お国のため」と称し、教え子を戦争に駆り立てました。学校教育が「軍国少年・少女」をつくったのです。教員は国民を戦争に総動員する戦争加担者でした。私たちはこの反省に立ち、「教え子を一人たりとも戦場に送らない」という決意をもち、こののちも過去の戦争について常に学び直します。そして国内外の人々に今も残る痛みを伝え続けます。
悲惨さや恐ろしさを学ぶだけでは意味がない。それを基として、あるべき姿の世界を知らなければならない。そうでなければ、使命感は出ない。
・> 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。
・>私たちは二度にわたる世界大戦の惨禍の果てに到達した人類の遺産であり、未来を照らす光ともいうべき「日本国憲法」の崇高な理念を受け継ぎます。そして核廃絶や世界平和実現のリーダーシップをとり、平和国家として日本を世界の中で名誉ある地位に導くような人を育てたいと願います。私たちは多様な「他者」を尊重し、また自分も尊重される社会を創るにはどうしたらよいのかを児童・生徒たちともに考えます。この世界には依然として格差や貧困および民族間の対立が蔓延し、グローバル化の中でさらに拡大しています。戦争の温床となっているこれらの問題の根源に目を向け、武力の行使や威嚇によらず、対話によって解決していくことを目指す人を世界に送り出したいと願います。これこそ真の「積極的平和」ではないでしょうか。
意思のあるところに、方法はある。方法を持つ人には指導性がある。
意思のある人は加害者意識 (罪の意識) を経験する。深い反省に陥る。贖罪の宗教を必要とする。
日本人には、意思が無い。意思は未来時制のセンテンスで、日本語には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。序列観念は、日本人にとっての強迫観念である。
日本語会話が、向上心・出世欲を呼び起こす。
国際社会において名誉ある地位を望むあまり、国粋主義 (超国家主義) に走った。
意思に焦点を合わせることのできない人間でありながら、相手と実のある対話のできる人がいるであろうか。オオカミと七匹の子ヤギか。
・>安倍内閣は集団的自衛権の行使を可能にしたいがために、昨年7月、憲法9条を無力化するもはや「解釈」とは言えない閣議決定を行いました。これは権力の暴走に鎖をかける立憲主義の廃棄です。そして今、実態は戦争法案である「安全保障関連法案」の成立を目指し、学者たちの「憲法違反」の指摘や全国で展開し始めたさまざまな反対運動を無視し、衆議院において強行採決を行いました。これは非民主主義的態度ではないでしょうか。私たちはこの法案を日本国憲法の精神から認めません。また政府が民意を軽視、無視していく姿勢に深い憤りと危惧を抱き、これを批判します。
昔は序列順位、今は数合わせで決める。これは、民主主義というよりも、衆愚主義である。
リーズンを求める者はいない。リーズナブルな答えを出す者もいない。
以心伝心・勝手な解釈の横行する我が国には、立憲主義は育たない。問題は日本語にある。
無哲学・能天気の精神で国際社会は立ち行かない。
・>敗戦から70年。私たちは不戦の誓いを新たにし、戦争の芽を摘み取り、これからも教室に平和の種を蒔いていく決意をする者たちであることをみなさんにお伝えします。
誰を相手に戦争をするのですか。相手の戦争の芽を自分自身で摘み取るつもりですか。
自分さえ善ければの考え方であって、世界観が抜けている。向かうべき世界の内容が展開されていないのは残念ですね。決意ばかりでは、どうにもならない。
大同が提案されていれば、小異を捨てて大同につくことも可能でしょう。
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・>日本は敗戦70年を迎えました。かつて「大日本帝国」の時代、この国は他国を侵略し、1931年からは、いわゆる「15年戦争」を引き起こし、アジアの諸国民と連合国に甚大な被害を与え、多くの人命を奪いました。そしてこの国自身も深く傷つき、壊滅的敗北に至りました。
負の遺産は、真のマイナスにはならない。我々に学習の機会を与える。学ぶべきもののない国民に比べたら大いに恵まれている。
・>私たちは戦後生まれの戦争を体験したことのない教員です。しかし、私たちは内外の戦争体験者の証言や戦後補償の訴え、文献や戦跡へのフィールドワーク等を通じて戦争の悲惨さや恐ろしさを学んできました。戦時下、教員は「お国のため」と称し、教え子を戦争に駆り立てました。学校教育が「軍国少年・少女」をつくったのです。教員は国民を戦争に総動員する戦争加担者でした。私たちはこの反省に立ち、「教え子を一人たりとも戦場に送らない」という決意をもち、こののちも過去の戦争について常に学び直します。そして国内外の人々に今も残る痛みを伝え続けます。
悲惨さや恐ろしさを学ぶだけでは意味がない。それを基として、あるべき姿の世界を知らなければならない。そうでなければ、使命感は出ない。
・> 勿論、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、常に簡単な事だ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ(ヘルマン・ゲーリング)。
・>私たちは二度にわたる世界大戦の惨禍の果てに到達した人類の遺産であり、未来を照らす光ともいうべき「日本国憲法」の崇高な理念を受け継ぎます。そして核廃絶や世界平和実現のリーダーシップをとり、平和国家として日本を世界の中で名誉ある地位に導くような人を育てたいと願います。私たちは多様な「他者」を尊重し、また自分も尊重される社会を創るにはどうしたらよいのかを児童・生徒たちともに考えます。この世界には依然として格差や貧困および民族間の対立が蔓延し、グローバル化の中でさらに拡大しています。戦争の温床となっているこれらの問題の根源に目を向け、武力の行使や威嚇によらず、対話によって解決していくことを目指す人を世界に送り出したいと願います。これこそ真の「積極的平和」ではないでしょうか。
意思のあるところに、方法はある。方法を持つ人には指導性がある。
意思のある人は加害者意識 (罪の意識) を経験する。深い反省に陥る。贖罪の宗教を必要とする。
日本人には、意思が無い。意思は未来時制のセンテンスで、日本語には時制が無い。だから、日本人には意思が無い。
日本語には、階称 (言葉遣い) がある。序列観念は、日本人にとっての強迫観念である。
日本語会話が、向上心・出世欲を呼び起こす。
国際社会において名誉ある地位を望むあまり、国粋主義 (超国家主義) に走った。
意思に焦点を合わせることのできない人間でありながら、相手と実のある対話のできる人がいるであろうか。オオカミと七匹の子ヤギか。
・>安倍内閣は集団的自衛権の行使を可能にしたいがために、昨年7月、憲法9条を無力化するもはや「解釈」とは言えない閣議決定を行いました。これは権力の暴走に鎖をかける立憲主義の廃棄です。そして今、実態は戦争法案である「安全保障関連法案」の成立を目指し、学者たちの「憲法違反」の指摘や全国で展開し始めたさまざまな反対運動を無視し、衆議院において強行採決を行いました。これは非民主主義的態度ではないでしょうか。私たちはこの法案を日本国憲法の精神から認めません。また政府が民意を軽視、無視していく姿勢に深い憤りと危惧を抱き、これを批判します。
昔は序列順位、今は数合わせで決める。これは、民主主義というよりも、衆愚主義である。
リーズンを求める者はいない。リーズナブルな答えを出す者もいない。
以心伝心・勝手な解釈の横行する我が国には、立憲主義は育たない。問題は日本語にある。
無哲学・能天気の精神で国際社会は立ち行かない。
・>敗戦から70年。私たちは不戦の誓いを新たにし、戦争の芽を摘み取り、これからも教室に平和の種を蒔いていく決意をする者たちであることをみなさんにお伝えします。
誰を相手に戦争をするのですか。相手の戦争の芽を自分自身で摘み取るつもりですか。
自分さえ善ければの考え方であって、世界観が抜けている。向かうべき世界の内容が展開されていないのは残念ですね。決意ばかりでは、どうにもならない。
大同が提案されていれば、小異を捨てて大同につくことも可能でしょう。
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