>○大人たちのエネルギーを感じて
>Tくんは中学校を卒業して大阪府の進学校に通っていた。>学校の先生は、事あるごとに「あいさつは社会の基本だ」「敬語が使えないと社会に出てから使いものにならない」など「社会に出たら・・・」と言ってくるが、その先生の授業中はみんな寝ている。>それで、社会で通用してると言えるのか。
学生は、退屈男に退屈女のようですね。
>先生が語る社会に違和感を覚えていた。>勉強は嫌いじゃない。>けど今、目の前の勉強が、社会で役に立つイメージが湧かない。
体験学習が不足しているのですかね。
>“意味がない“こんなことをやっている場合じゃない”時間がたつほどに、その思いはどんどん募っていき、活力を衰弱させていった。
現実の内容は、頭の外にある。見ればわかる。非現実 (考え) の内容は、頭の中にある。これは、見ることができない。ただの話である。その内容を得るには、理解というものが必要である。そうでなければ ‘意味がない’ 。
>そんな折、大阪北部地震が起きた。>電車が止まってしまったので一番近かった母親の職場に避難。>地震が起こったざわつきの中で、それに“どう対応するか?”を考えている大人たち"エネルギー”を感じた。
大人たちのエネルギーは、‘見ればわかる’ ものですね。ナウな感じがしますね。
>じぶんが欲していた、エネルギーは社会にある!>仕事がしたい! >それらの想いが明確になり、学校を辞める選択をした。
良かったですね。No nonsense (現実的) の世界ですね。
>親を説得するのにも苦労した。>「せっかく進学校に合格したのに、このまま大学に行って方が”楽”ではないか?」と言われたが、「楽がしたいわけでじゃない。仕事がしたい!」と親を説得した。
ただ今のわが国は猛烈な人手不足である。だが、頭脳不足という話は聞いたことがない。わが国の仕事は、人手の仕事だからですね。
>仕事を始めて4ヶ月。>分かってきたのは、社会には対象がいるということ。>”誰かのために”はエネルギーが湧いてくるということ。
社会では、家畜も社畜も他人のためになっていますね。
>学校では、点数が取れても、自分のために出し、親がちょっと喜んでくれるかどうかぐらいだった。
点数は、序列順位の判定基準になりますね。序列社会においては、順位争いは避けられないでしょう。
>社会では”どうする”を考えて動くほどに喜んでくれる人がいる。>もっともっと応えたくなる、追求したくなる。
それで、我々は遠い未来にどこに行くのでしょうかね。その日暮らしを続けるのかな。
>まだまだ社会対象化し始めたばかり。>けれど、学校に行っていた頃よりもエネルギーに溢れている。
良かったですね。目先・手先のことばかりでしょう。
>あの時自分が感じていた”こんなことをやっている場合じゃない”の答えを、社会で応える中でつかんでいきたい。
それで、閉塞した社会から逃れられるのでしょうか。
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