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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

保守主義  

2024-09-07 20:48:46 | 文化

>zakzak   >岩田温 日本の選択 立民が政権政党になりたいなら極左〟切り捨てろ かつて「右から左まで」存在した自民で「保守主義」神髄を理解した中川   >8時間・   

>昭和歌謡の天才、島倉千代子の代表作は「人生いろいろ」だ。   

>かつて小泉純一郎首相が、野党議員の質問に応じて、「人生、いろいろ、会社もいろいろ」と語った日が懐かしい。   

>答弁の際、これだけ国民をバカにした話もないと感じたが、実際には、国民は小泉氏に拍手喝采を送った。   

>政治家ならぬ、役者・小泉純一郎、なかなかやるなと思った瞬間だった。   

>昨今では、「ダイバーシティ」「多様性」などと呼ばれるが、自民党の強さはこの多様性にあった。   

>「右から左まで」いるおおらかさがあった。   

 

それは、政治哲学があまり得意でないからでしょう。   

 

>保守主義者の私としては許容できない「左」まで存在した。   

>河野洋平、野中広務、古賀誠各氏など、保守政治家とは呼べない人々が自民党を牛耳っていた。   

>そうした時代もあった。   

>しかし、中川昭一、安倍晋三、高市早苗各氏といった「本格的な保守政治家」も存在していた。   

>多様性こそが自民党の強みだった。   

>自由民主党には右から左まで政治家が存在した。   

>現在の野党、立憲民主党にいるのは「左から極左まで」だろう。   

>話にならないのだ。   

>日本学術会議の問題でご活躍の山口二郎・法政大学教授は830日、自身のX(旧ツイッター)で、次のように語っている。   

>「立憲民主党の代表選挙について、リベラル派市民が野田(佳彦元首相)さんを嫌悪する事情も分かるけど、今の日本でリベラル派は少数でしかないことを理解すべき。   

>そのうえで、政権交代を起こすために中道保守と提携するか、尖ったことを言い続けるリベラルでいたいかを選択すべき。   

>どっちかが悪いという話ではない」   

 

「人生、いろいろ、会社もいろいろ」ですね。   

 

>悪いのはそこじゃない、と教えてあげるのは私の最後の優しさだろうか。   

>立憲民主党が政権を担える政党になりたいならば、極左を斬り捨てるしかない。   

>「憲法9条があるから日本は平和だ」と本気で信じているならば、行くべきは国会ではない。   

>「でも」といいたいならシールズと叫んでおけ。   

>保守派が絶対に忘れてはならないのは中川氏の存在だ。   

>保守本流。   

>安倍元首相の兄のような存在だった。   

>彼が主張していたのは「保守主義」だ。   

>現状に満足し、改革を否定する。   

>これは愚かな守旧主義だ。   

>保守主義ではない。   

>似て非なるものに過ぎない。   

>守るべきものを守り抜くための改革を辞さない。   

>保守主義の神髄を理解した政治家が中川氏だった。   

>彼を兄のように慕ったのが安倍氏に他ならなかった。   

>中川氏が無念の最期を遂げ、安倍氏はテロに斃(たお)れた。   

>日本政治を甦(よみがえ)らせるのは保守主義に他ならない。   

>わが国を守るため、「後に続くを信ず」と敢然と散った青年たちの思いを継承する気概。   

 

序列メンタリティですね。日本語の話せるところまで行けますね。でも、それから先が難儀でしょう。         

 

>こうした政治家をわが国の総理に戴(いただ)きたい。

>高市早苗、小林鷹之両氏に期待する所以(ゆえん)である。   

 

日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。  

それで、日本人には世界観 (world view) というものを持っていない。与党も野党もマスコミも国民も、皆同じ穴の狢である。     

政治には未来の先取りが必要である。そうでなければわが国は後進国になる。   

だが、日本人は、依然ノンポリ・政治音痴のままで居る。これが残念でたまらない。    

我々は未来社会の建設の内容を考える必要がある。先進の向かう世界が必要である。そうでなければ、先進国にとどまれない。   

候補者各人はめいめいに魅力に富んだ国家の建設計画を有権者に示したらよい。候補者は誰の為に当選が必要かを深く考えよう。

我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが無い。未来の無い若者は悲惨である。   

政治家は、国民の大半を占める無党派層の若者を政治の中心に据えて、夢と希望を与える努力をしよう。

選挙演説を現状修復の話だけに限るのは良くない。これでは衰退途上国になる。     

 

>岩田温(いわた・あつし) 1983年、静岡県生まれ。   

>早稲田大学政治経済学部政治学科卒業、同大学院修士課程修了。   

大和大学准教授などを経て、現在、一般社団法人日本学術機構代表理事。   

>専攻は政治哲学。   

>著書に『興国と亡国―保守主義とリベラリズム』(かや書房)、『後に続くを信ず―特攻隊と日本人』(同)、『新版 日本人の歴史哲学~なぜ彼らは立ち上がったのか』(産経新聞出版)など多数。   

>ユーチューブで「岩田温チャンネル」を配信中。   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

 

 

 

 

 

 


眞鍋かをり氏  

2024-09-07 17:23:13 | 文化

>デイリースポーツ   >眞鍋かをり 立憲民主党代表選は「盛り上がりに欠ける」と指摘 自民の政策活動費問題にも持論展開   >デイリースポーツによるストーリー・   >20時間・   

> タレントの眞鍋かをりが5日、TBS系「ひるおび」にコメンテーターとして生出演。   

>立憲民主党の代表選について、自民党の総裁選と比較し「盛り上がりに欠けるなと感じる」と語った。   

> 番組では、27日投開票の自民党総裁選と23日投開票の立憲民主党代表選を合わせて特集。   

>MCのタレント・恵俊彰から立憲民主党の話題について振られた眞鍋は、「そっちの方はあまり、盛り上がりに欠けるなというか…、そんなに関心が集まりにくそうだなと感じるんですけど」と苦笑いした。   

> 続けて「実際見てみると、やっぱり自民党の政策活動費の問題も、あのタイミングじゃないっていうのは、狙いだったのかなと。   

>立憲に言われて、言われるがまま渋々変えたたみたいになると、立憲民主の手柄になって、今、総裁選も生き生きしたムードで迎えられてるのかな?って思うんですけど、そうしなかったっていうのは、そういう狙いがあったのかなって勘ぐってしまう」と持論を展開した。   

> 一方、同じくコメンテーターとして出演した教育アドバイザーの清水章弘は「僕は眞鍋さんとは意見が反対で、立憲民主党の代表をすごい注目しているんですけど」と発言。   

>「今までの代表選とわけが違って、次に選挙があって、ひょっとしたら与党になれるかもしれないっていう中でのものだから」と指摘した。   

 

日本語の文法には時制 (tense) というものが無い。  

それで、日本人には世界観 (world view) というものを持っていない。与党も野党もマスコミも国民も、皆同じ穴の狢である。     

政治には未来の先取りが必要である。そうでなければわが国は後進国になる。   

だが、日本人は、ノンポリ・政治音痴のままで居る。これが残念でたまらない。    

我々は未来社会の建設の内容を考える必要がある。そうでなければわが国は、先進国にとどまれない。   

我が国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが無い。未来の無い若者は悲惨である。   

政治家は、国民の大半を占める無党派層の若者に夢と希望のある内容を与えよう。そして彼らをわが国の政治の中心に置こう。選挙演説を現状修復の話だけに限るのは良くない。      

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。  

 

 

 

 

 

 


増田賢作氏  

2024-09-07 13:35:24 | 文化

>ダイヤモンド・オンライン   >国家予算のおよそ5%を投じて撃沈した戦艦大和が生まれた「根源的な失敗理由」   >増田賢作によるストーリー・   >5時間・   

>「仕事が遅い部下がいてイライラする」「不本意な異動を命じられた」「かつての部下が上司になってしまった」――経営者、管理職、チームリーダー、アルバイトのバイトリーダーまで、組織を動かす立場の人間は、悩みが尽きない……。   

>そんなときこそ頭がいい人は、「歴史」に解決策を求める。   

>【人】【モノ】【お金】【情報】【目標】【健康】とテーマ別で、歴史上の人物の言葉をベースに、わかりやすく現代ビジネスの諸問題を解決する話題の書『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗、島津斉彬など、歴史上の人物26人の「成功と失敗の本質」を説く。   

>「基本ストイックだが、酒だけはやめられなかった……」(上杉謙信)といったリアルな人間性にも迫りつつ、マネジメントに絶対活きる「歴史の教訓」を学ぶ。   

>※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。   

>戦争の悲劇を防ぐため 軍縮条約を結んだものの   

>山本五十六(18841943年)は明治から昭和にかけての海軍軍人。   

>生家は幕末に新政府と戦った長岡藩(新潟)の武家であり、成人した後、旧長岡藩の家老だった山本家に養子に入る。   

>アメリカに駐在武官(現在の防衛駐在官)として赴任したり、ハーバード大学に留学したりした経験から、アメリカの国力の強さを認識。   

>軍艦同士の決戦が主流だった時代から航空戦の時代を予見するなど、先見の明があった。   

>太平洋戦争前には連合艦隊司令長官に昇進。   

>日米の圧倒的な国力差からアメリカとの開戦には反対していたが、開戦が決定してからはハワイ真珠湾の奇襲作戦を立案し、真珠湾攻撃(1941年)を成功させる。   

>しかし、その翌年のミッドウェー海戦(1942年)では敗れ、航空戦に必要となる空母を数多く失った。   

>その後もアメリカとの戦いを指揮するものの、前線視察で赴いた南太平洋・パプアニューギニアのブーゲンビル島の上空で米軍の攻撃を受け、戦死する。   

>現代の企業理念にも通じる「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という格言でも有名。   

 

そうですね。日本人には意思というものが無いですからね。   

 

2005年に公開された映画『男たちの大和/YAMATO』は、反町隆史・中村獅童といった俳優が好演するなか、戦艦大和の壮絶な撃沈シーンが印象的でした。   

>その戦艦大和は、史上最大の軍艦として、太平洋戦争開始直後の19411216日に就役しました。   

>第一次世界大戦(191418年)の後、戦争による悲劇を防ぐため、当時の5大国であった米・英・仏・伊・日の間で海軍軍縮条約(ワシントン海軍軍縮条約・1922年、ロンドン海軍軍縮条約・1930年)が結ばれました。

>なぜ日本は戦艦大和をつくったのか?   

>しかし、1929年の世界恐慌後、国際情勢が不安定となるなかで海軍軍縮条約の効力は失われました。   

>海軍軍縮条約では軍艦の製造が制限されていましたが、その効力が失われると、大国間で再び軍艦製造競争が起こることが想定されました。   

>そのため、日本でも新しい軍艦をつくることになったのです。   

>しかし、5大国のなかで国力が劣る日本は、数多くの戦艦はつくれませんでした。   

>そこで、数は少なくても高性能の大砲を備えた“超大型の軍艦”をつくることで、他国に対抗しようという発想になりました。   

>そして、「戦艦大和」が誕生したわけです。   

>変化への対応が勝者を決める   

>ところが、軍艦同士が大砲を打ち合って戦う時代は、終わりを告げることが予想されていました。   

>第一次大戦後、急速に進化した航空戦闘機により戦艦を攻めるようになれば、どんなに大きな軍艦でも劣勢に立たされることが想像できたのです。   

>このことを主張した人物こそ、海軍の幹部だった山本五十六でした。   

>アメリカに留学した経験がある山本は、航空戦闘機の進化により戦い方が大きく変わることを予想していました。   

>そのため、戦艦大和の製造にも反対したのです。   

>過去の成功体験が現状判断を狂わせる   

>しかし、日露戦争の日本海海戦(1905年)で、東郷平八郎(18471934年)が指揮する連合艦隊によってバルチック艦隊を破った成功体験がある海軍の多数派は、戦艦大和の製造に突き進んでいきます。   

>その結果、当時の国家予算のおよそ5%もの巨費を投じて、戦艦大和を完成させたのです。   

 

そうですね。成功体験は進歩の邪魔をしましたね。思考を停止している民族の悲劇でしたね。      

 

>艦内は広く快適な冷暖房完備で、エレベーター、ラムネやアイスクリームの製造機まであり、戦中とは思えない豪華な食事もあって、「大和ホテル」と揶揄されるほどでした。   

>※本稿は『リーダーは日本史に学べ』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。   

 

<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。

私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り   

 

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。