goo blog サービス終了のお知らせ 

gooブログはじめました!

日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

吉野創氏  

2024-04-14 17:12:30 | 文化

ZUU Online   >人は、最後は人間性で判断され、選ばれてゆく   >10時間・   

>本記事は、吉野 創氏の著書『自分ものさし仕事術』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

>人は、最後は人間性で選ばれる―専門性能力と人間性能力   

>「自分理念」を持つと、日々の生きる方向性が決まるので、ブレることが次第に少なくなっていきます。   

 

そうですね。   

 

>自分の生きる目的に沿っている感覚があるので、行動することや、自分のために仕事を頑張ることが、自分の人生に全てプラスとなって積み重なっていく実感があり、 ストレスが少なくなります。   

>しかも、それが同時に会社のためにもなり、仕事の成果につながっていく実感も得られるでしょう。   

>それまでは、ただなんとなく、惰性で生きる毎日だったとしても、「自分理念」を持つようになると、「今日は自分理念に沿った1日を過ごせた」と実感できる毎日に変わります。   

>そして、そのことによって徐々にあなたの人間性は磨かれていきます。  

>仕事においても、知識や技術のレベルの高さといったことも大切な要素ではありますが、それ以上に周りの人は、あなたが日々「どんな思いで仕事をしているか」を見ています。   

>人が仕事で成果を出していくには、大きく分けて2つの能力が必要だと考えています。   

>それを、私は「専門性能力」と「人間性能力」と呼んでいます。   

>「専門性能力=スキルや知識」は結局、あなたの「人間性能力」という土台の上に乗るものです。   

>いくら仕事の知識が豊富で、技術力が高くても、それは土台である「人間性能力」の器の範囲でしか発揮されないでしょう。    

>だから人は、最後は人間性で判断され、選ばれていくものだと思うのです。   

>そして、この人間性とは結局、その人が「どんな価値観に共感するか」によって決まってくるのではないかと考えています。   

>それがその人の「在り方」です。   

>「在り方」とは例えば「損得に共感するか、善悪に共感するか」。   

>これは、個人の損得だけで判断する価値観でしかないのか、それとも、個人を超越して社会の善悪、すなわち、人や社会の良い在り方にまで思いを広げて考える価値観を持っているのか、ということです。   

>自分1人のことしか見えていない人よりも、社会全体にまで視野を広げている人の方が、器が大きく、豊かな人間性=在り方を持っているように思います。   

>また、「在り方」とは他にも、「自分自身が本当に生きたい人生を生きているかどうか」ということでもあります。   

>これは、家庭や職場において与えられた役割をただ生きていくのか、あるいは、それを超えて、本当に自分が大切にしたいことや、大切にしたい価値観を追い求めながら生きていくのか、ということです。   

>無意識に与えられた環境に甘んじている人よりも、自分自身で納得する道を追い求めている人の方が、自分の人生を生きている、という感覚は当然高まりますし、周囲にとっても、その人間性=在り方がよりよい影響を与えていくのだと思います。   

>このような価値観に対して、今の時点で100パーセントの共感を持てなかったとしても、それはそれでいいのです。   

>「自分理念」を持つことにより、少しずつ視野が広がる中で、さまざまな価値観に深い共感を持てるようになっていくものだと思います。   

>徐々に共感が深まるにしたがって、行動や発言の「選択」も自然と変わっていくことでしょう。   

>すると、その変化が未来に向けての「原因」となります。   

>そして、最終的に、未来における「結果」に変化が生じるのです。   

>そんなふうにして、「自分理念」は人の人間性を変え、未来にも変化を生じさせていきます。   

 

そうですね。  

 

>そして次第に、あなたにとって「一番大切なことを一番大切にする」人生にシフトしていくことができるようになるのです。   

>吉野 創(よしの・はじめ)<   

>株式会社トゥルーチームコンサルティング 代表取締役/一般社団法人 自走式組織協会 代表理事 北九州大学法学部卒業後、ジーンズメーカー大手EDWINで営業に従事。   

>その後、経営コンサルティングファームにおいて約300社の財務分析と管理会計の構築ノウハウを習得。   

>マネジメント責任者、支社長などを歴任し、コンサルタントの育成にも携わる。   

>人や組織に、さらに深く関わる合宿や研修を延べ5,000人へ実施。   

>社員が自発的に動く成長ノウハウを見出し、体系化。   

2014年「株式会社トゥルーチームコンサルティング」を設立。   

>指示なしでも社員が動く組織づくりは、経営者の組織と業績の悩みを同時解決する手法として公式認定され、「自走式組織®」として2018年に商標登録。   

100社以上の「自走式組織®」を生み出し、クライアントは3年で売上2.1倍、経常利益4.3倍、わずか1年で粗利益率7.9%改善や、離職率を0%にするなど多くの成功事例を持つ。    

>自身の経験から、特にマネジメント層の思いに寄り添う人間味溢れる支援が強み。   

>業績がアップするだけでなく、働く社員のやりがいと一体感のある理想の組織になったと多くの経営者から厚い信頼を受けている。    

>著書に『売上を2倍にする 指示なしで動くチームの作り方』(ぱる出版)がある。   

 

英米流の高等教育は子供を大人にする為の教育である。思春期の到来とともに発達する言語能力を待ってこの教育は行われる。英文法の中の時制 (tense) を活用して非現実の内容を文章にする訓練である。子供には現実 (事実) ばかりがあって非現実(哲学・考え) がない。英米流の高等教育は子供から大人に変わる人間に哲学を獲得するための教育である。すると浅薄な人間が思慮深い人間に変身する。だからどこの国でも英語の高等教育に力を入れることになる。

哲学は非現実 (考え) の内容であるから、思考を停止している日本人には縁がない。日本語は現実の内容だけを話す言語である。日本式の判断だと見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は嘘である。だから現実の言葉 (日本語) を話す人が非現実を語る学習をすると常に失敗する。嘘ばかりであっては学習に力が入らない。だからわが国は英米流の高等教育の導入に失敗した。何処の国も日本に我が子の高等教育の成果を期待する者はいない。  

今の地球はアングロ・サクソンの支配体制にある。哲学が相手を引き付けて人々の信頼と尊敬を得る。アフリカ系米国人はアメリカの大統領になった。インド系英国人は英国の首相になっている。これらは高等教育の賜物である。

当の日本人の若者はいまなお国内の序列競争にうつつを抜かしていて、教育内容の吟味などする余地はない。難関出身者が序列社会で優位に立つた話ばかりで持切りである。日本人は注意力不足で井の中の蛙になっている。国際取引で印欧語族の知識人を取引相手にして苦戦を強いられることになる。   

 

 

 

 

 


NEWSポストセブンの意見  

2024-04-14 10:54:55 | 文化

>NEWSポストセブン   >アカデミー賞7部門受賞「オッペンハイマー」がようやく日本公開 鑑賞する前に知っておきたい“原爆の父”の苦悩  NEWSポストセブンの意見‣   1日   

> 原子爆弾を作った物理学者の人生を描いた映画『オッペンハイマー』が公開された。   

>アメリカで“英雄”と称えられた男が、被爆地の惨状を知るにつれ深く苦悩していく姿に、唯一の戦争被爆国である日本で賛否が渦巻いている。   

>「核兵器も含め、あらゆる兵器を使用する準備ができている」   

>>昨年10月にロシアが核配備を完了させて実戦的な運用状態にあると報じられるなかで、「核の脅威」をかつてないほどに高める危険な発言だった。 

 

ウクライナはソ連崩壊により核兵器を放棄した。しかし、プーチン大統領は非核国ウクライナに侵攻し核兵器使用をちらつかせて恫喝した。

これにより我が国の非核三原則に依拠した安全神話は消滅した。非核三原則とは 核兵器を「持たない、つくらない、持ち込ませない」の三原則を指すものと1967 (S42) 12月に佐藤栄作首相は説明した。日本人のお花畑はもうない。

「世界大戦を含むあらゆる戦争はすぐ終わらせられる。講和条約を結んだ場合、あるいは1945年の米国による広島と長崎への原爆投下と同じことをした場合だ」 (ロシアのメドベージェフ前大統領

‘ウクライナでの戦争の教訓は、抑止力によって未然に戦争を防ぐ方が、侵攻してきた敵を後退させることよりも遥かに望ましいということだ。’  (マシュー・ポッティンジャー) 

‘ロシアが力による現状変更を行っている国はG7(主要7カ国)では日本だけだ。北方領土だ。だから、ウクライナ問題で、ロシアを一番強く批判しなければいけないのは日本だ。’ (小野寺元防衛相    

 

> 目下、「核兵器」に対し、世界中から強い関心が集まっている。   

>そして、その視線は日本にも向けられた。   

>核兵器による凄惨な被害の実相を伝える広島平和記念資料館の2023年度の入館者数は、1981617人で過去最多を更新。   

>外国人が全体の3割超を占めた。   

> そうした状況下で、昨年7月に世界各国で公開された映画『オッペンハイマー』が注目を集めないはずがない。   

>なぜなら、原子爆弾を開発した物理学者、J・ロバート・オッペンハイマーの人生を描くというセンセーショナルな内容だったからだ。   

>全世界興行収入は10億ドル(約1500億円)超えを記録し、310日(日本時間11日)には米アカデミー賞で、作品賞や監督賞など7部門を受賞した。   

> その一方、公開直後には騒動にも巻き込まれた。『オッペンハイマー』と同日に公開されたバービー人形の実写版映画『バービー』の主人公が、オッペンハイマーの肩に乗り、その背景に原爆投下後の燃え上がる街を連想させる炎を合成したいたずら画像がSNS上に出回った。   

>それに対して『バービー』の公式アカウントが、あろうことか、「記憶に残る夏になるね」とハートマークやキスする顔の絵文字を添えてコメントしたのだ。   

>「『バービー』製作サイドの見識のなさはいわずもがな、特に批判の声が噴出したのが、唯一の戦争被爆国である日本でした。   

>原爆が日本にとっていかにセンシティブなテーマかということを、世界中で改めて強く認識されることになりました」   

>(映画ジャーナリスト)   

> 騒動が起きた当時、『オッペンハイマー』の日本での公開は未定だった。   

>映画評論家の松崎健夫さんが言う。   

>「理由は公に発表されていませんが、『オッペンハイマー』は原爆が題材ということで、日本人の国民感情を考慮して、慎重に公開の時期や宣伝の展開を検討したと考えられます」   

> 封切りされたのは、海外から遅れること約8か月後の329日。   

>日本でも公開初日からの3日間で約23万人が劇場に足を運び、興行収入は約38000万円を超えた。   

>各国で話題を呼んでいる同作だが、日本では十人十色の反応が巻き起こっているようだ。   

>手を血に染めてしまった   

> 物語の舞台は、第二次世界大戦中のアメリカ。   

>上智大学総合グローバル学部教授で、アメリカ研究を専門とする前嶋和弘さんが、劇中に描かれた時代背景を解説する。   

>「第二次世界大戦は、連合国(アメリカ・フランス・イギリス・ソ連など)と枢軸国(ドイツ・イタリア・日本)の戦いでした。   

>ヒトラー率いるナチス・ドイツは原爆の開発を進めており、それを恐れたアメリカのルーズベルト大統領は原爆開発プロジェクトに着手しました。   

>それが『マンハッタン計画』で、科学部門のリーダーとして開発チームを主導したのが、のちに“原爆の父”と呼ばれるオッペンハイマーでした」   

> オッペンハイマーらが作り上げた原爆は、広島と長崎に投下され、広島で約14万人、長崎で約74000人の死者を出した。   

>だが本作では、原爆投下後の広島と長崎の惨状や、被爆者の姿が一切描かれていない。   

>そのため“原爆の犠牲者を置き去りにしている”との意見も多い。   

 

そうですね。わが国では犠牲者が一番大切ですからね。わが国には犠牲者がいて加害者がいない。奇妙な考え方をする国ではなかろうか。          

 

>「この映画は原爆を作ったオッペンハイマーの人生を描いたものであり、彼が何を考えて原爆を作り、その後にどんな生活を送ったのかがテーマです。   

>オッペンハイマーの視点で描かれているため、彼が実際に目撃していない原爆投下後の広島や長崎の惨状は描写されていない」(前嶋さん)   

> とはいえ、オッペンハイマーは自分が作り出してしまったものの残虐性を誰よりも理解していた。   

>「原爆の投下後、オッペンハイマーは膨大な犠牲者が出たことを知り、深く苦悩したのです。   

>開発に携わった人々が集まるセレモニーのシーンでは、原爆投下の映像を見て関係者が沸くなかで、映像を直視できないオッペンハイマーが描かれています」(松崎さん)   

> 被爆地の惨状を知るにつれ、オッペンハイマーは罪の意識に苛まれるようになった。   

 

印欧語族の文法には時制というものがある。未来時制には意思を表す内容もある。意思を表す人間には加害者意識がある。罪の意識もある。魂の救済を必要とする人々もいる。人々は罪を犯すことを恐れている。罪が無ければ天国に行ける。   

日本語文法には時制というものがない。だから、日本人には意思が無い。意思の無い人間には罪の意識もない。魂の救済を必要とする人々に応える宗教もない。日本人は罪を知らない子供のようなものだ。      

 

>原爆を「もっとも恐ろしい兵器」「われわれが育った世界の基準から見ても悪」と語り、原爆投下時のトルーマン大統領に面会した際には「手を血に染めてしまった」と悔やむシーンも描かれた。  

 

‘あいつ [J. ロバート オッペンハイマー] の手が血塗られているだって? 冗談じゃない。あいつには私の手についている血の半分もついていないさ。泣き言を言うなんて、けしからん。’ (ハリー・トルーマン大統領)    

 

> 今回の映画では触れられていないが、オッペンハイマーは1960年に知的交流委員会の招待で来日したことがある。   

>記者会見で「マンハッタン計画に参加したひとりとして、私は日本に原爆が落とされたことを深く悲しんではいるが、技術的成功について責任者の地位にあったことは後悔していない」と述べた。   

>来日時、広島や長崎へは立ち寄らずに帰国しており、被爆地の光景を見たくなかったからではないかとされている。   

> オッペンハイマーは、核兵器により「世界が壊れること」を誰よりも危惧していた。   

>少なくともこの映画が彼の人生を礼賛するものでないことは、事前に知っておくべきポイントだろう。   

>そうした「原爆の父」の苦悩を知ったうえで鑑賞すると、この作品の味わいもまた変わってくる。   

 

欧米人には罪の意識がある。だから、自己の行為の反省もする。被害者に謝罪し許しを請う。だから、彼らは信頼される。これは日本人とドイツ人の違いにもなる。      

マッカーサ元帥は1951年5月5日の上院合同委員会で日本人を以下のように評していました。  

‘もしアングロ・サクソンが人間としての発達という点で、科学とか芸術とか文化において、まあ45歳であるとすれば、ドイツ人もまったく同じくらいでした。しかし日本人は、時間的には古くからいる人々なのですが、指導を受けるべき状態にありました。近代文明の尺度で測れば、我々が45歳で、成熟した年齢であるのに比べると、12歳の少年といったところ like a boy of twelve でしょう。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて )  

マ元帥の発言はどの駐日大使よりも率直でしたね。外交辞令がない。彼は知日派の人であった。   

 

>松崎さんは、「『オッペンハイマー』はアメリカの映画界に一石を投じた作品だ」と評価する。   

>「第二次世界大戦を題材としたこれまでのハリウッド映画は“原爆投下によって戦争が早く終わった”というアメリカの行為を正当化する視点で作られていて、日本人からすると複雑な気持ちになることが多々ありました。   

 

好きで 好きで大好きで 死ぬほど好きな戦でも 原爆投下にゃ勝てはせぬ 泣いて崩れた敗戦日。 

残念ながらわが国の原爆開発はアメリカに後れをとった。しかし本土決戦と一億総玉砕は避けることができた。めでたし めでたし。    

太平洋戦争初期に、フィリピンの米比軍はキング少将もジョーンズ少将も早々と投降して、75000人以上の将兵の命を救った。

太平洋戦争後期に、日本軍は米空軍の飛来をゆるして、1945年3月10日未明、東京の下町の江東地区がB29約300機による空襲をうけ、死者10万をこす被害を出した。

日本人の指導者には、作戦の成否を予測する力はなかったのか。

人の命はどのように考えられていたのか。 ‘命 (ヌチ) どぅ宝’(何をおいても命こそが大切である。)ではなかったのか。  

‘封建国家で最も安価な資源は人命だが、我々にとっては、最もかけがえのないのは国民だ’(ウクライナ軍のワレリー・ザルジニー総司令官)   

 

>ですが『オッペンハイマー』はそういう視点のほかに、原爆を作った側の苦悩や葛藤も描かれていた。   

>これは初めてのことです。   

> 近年では原爆に対する若い世代の受け止め方が変化しており、彼らの琴線に触れたのもヒットの要因なのではないでしょうか」   

> 2015年のアメリカの世論調査では、65才以上の70%が「原爆使用は正当だった」と答えたのに対し、1829才では47%に留まった。    

>若者世代ほど、原爆を使用した過去に疑問を持っているのだ。   

> 1947年から、アメリカの原子力科学者会報は、核戦争などによる人類の滅亡を午前0時とし、残された時間を「終末時計」で示してきた。   

>創設年に「残り7分」だった時計は、米ソ冷戦が終結した1991年に「残り17分」まで巻き戻されたが、今年1月に発表された残り時間はわずか「90秒」だった。   

>※女性セブン2024425日号   

 

我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。     

 

『有能な人材が世界から日本に集まり、ここで世界に向けてサクセスストーリーが生まれるという国家を目指すべきです。 このための具体的な政策課題として (1)英語を第2公用語にする (2)定住外国人に地方参政権を与える (3)インターネットの接続料はじめ知的生産活動の基本コストを諸外国並みにする (4)日本の制度やシステムの中で国際基準と合致しないものを一括して見直す―の4点を提案したいと思います。』 (茂木敏充外務大臣)   

 

 我が国の ‘漢字かな’ は世界中何処の国に行っても通用しない。特にローマ字 (alphabet) の代わりに仮名を使用することには害毒がある。仮名漢字表記による学習で自分は世界に通じていると思い込む。だが、これは事実ではない。勝手な解釈により世界に関する独りよがりの解釈は避けられない。私は宿泊先のアメリカ人の名前は知っている。しかし、その綴り方は分からない。つづり字を考えることのない日本人の記憶方法だからである。このような文盲に近い体験の仕方では外国人との文通もできない。地図を見て探すことも難しい。かな書き英語が我が国民の国際化を果てしなく遠ざけているということができる。  

 

国語の勉強は読み書きの練習である。ところが、日本語の仮名漢字表記は難しい。特に漢字の字形と音訓の習得に月日を費やし、目的の勉学の成果が遅れている。私の知人に '〇〇健' という名前の人がいる。彼は周りの人から 'タケちゃん' とか、'ケンちゃん' とか呼ばれている。'一体どちらが本当なのか' と私が尋ねると、彼は 'どちらでも良いのですよ' と答える。'でも、戸籍ではどうなっているのか' と尋ねると、'戸籍にはフリガナがありませんから、どう読んでも良いのですよ' という答えであった。これを '日本人の自由' というのであろうか。'あるべき姿' の追及がない。とりわけ漢字圏以外の国から来た外国人には日本語の漢字は難しい。日本語をローマ字表記にすれば彼らもたちどころに日本語を読めるようになる。能率の良い言語の習得には音読が欠かせない。読み書きが自由になると一人前の大人として活躍できる。筆記試験でも真の実力が発揮できる。外国人の能力に関してより公平な評価をする社会が我が国内に実現する。ぜひローマ字表記を法制化してもらいたい。ローマ字表記を仮名漢字表記と対等な地位にしてもらいたい。日本語をローマ字表記と仮名漢字表記の二刀流表記の国にすると良い。         

 '為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり'  上杉鷹山 (うえすぎ ようざん)           

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


現代新書編集部の意見  

2024-04-14 00:09:54 | 文化

>現代ビジネス   >「日本の現状を誰かのせいにする」人ばかりの社会で「変えるべきたったひとつのこと」   >現代新書編集部の意見・   >1日  

>なぜ組織の上層部ほど無能だらけになるのか? 

>張り紙が増えると事故も増える理由とは?    

>飲み残しを放置する夫は経営が下手?   

10万部突破のベストセラー『世界は経営でできている』では、東京大学史上初の経営学博士が「人生がうまくいかない理由」を、日常・人生にころがる「経営の失敗」に見ていく。   

>世界から経営が失われている   

>経営とは、企業や社長のものなのだろうか。   

>『世界は経営でできている』で気鋭の経営学者は、経営を「価値創造(=他者と自分を同時に幸せにすること)という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げる対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だという。   

>そして、そのような経営はすっかりみられなくなった。   

>〈世界から経営が失われている。   

>本来の経営は失われ、その代わりに、他者を出し抜き、騙し、利用し、搾取する、刹那的で、利己主義の、俗悪な何かが世に蔓延っている。   

>本来の経営の地位を奪ったそれは恐るべき感染力で世間に広まった。   

>プラトンの時代からドラッカーの登場まで、人類史における本来の経営は「価値創造という究極の目的に向かい、中間目標と手段の本質・意義・有効性を問い直し、究極の目的の実現を妨げるさまざまな対立を解消して、豊かな共同体を創り上げること」だったはずだ。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>〈しかし現代では、経営ときいて「価値創造を通じて対立を解消しながら人間の共同体を作り上げる知恵と実践」を思い浮かべる人は少数派になった。   

>人生のさまざまな場面において、経営の欠如は、目的と手段の転倒、手段の過大化、手段による目的の阻害……など数多くの陥穽をもたらす。〉   

>(『世界は経営でできている』より)

>経営概念、世界の見方・考え方を変えない限り、人生に不条理と不合理がもたらされ続けているのだ。   

>「価値は有限でしかありえない」のか?   

>〈日本には「価値は有限でしかありえない」という誤った観念が普及した。   

>(中略)   

>価値は有限だとする思い込みが流行するとともに、「価値を誰かから上手に奪い取る技術」を売り歩く人々が跋扈した。   

>いかにして価値を掠め取ったかを自慢するだけの書物が街に溢れた。   

>多くの人は経営の概念を誤解し経営を敵視するようになった。   

>そうするうちに本来の経営の概念は狡知の概念と入れ替わってしまった。   

>もし価値が一定で有限ならば、誰かが価値あるものを得ているのは別の誰かから奪っている以外にありえない。   

>善人に対しても「我々に気づかせないほど巧妙に、我々の価値を奪っているのでは」という疑念がよぎることになる。   

>こうした誤った推論により、日本の現状を誰かのせいにする言説が流行した。   

>若者が悪い、高齢者が悪い、男性が悪い、女性が悪い、労働者が悪い、資本家が悪い、政治家が悪い、国民が悪い……。   

 

我が国には悪者が揃っていますね。それは間違いではなかろうか。      

 

>現代では誰もが対立を煽る言葉に右往左往している。   

>自己責任論という名の、責任回避の詐術に全ての人が疲弊させられてきた。   

 

そうですね。日本語の自己責任は他人責任の言い換えにすぎませんね。  

 

>誰もが別の誰かのせいにし、自ら責任を取る人はどこにもいないかのようだ。〉   

 

そうですね。日本人には意思が無い。意思の無い人間には責任もない。兎角この世は無責任。日本人の責任者捜しは難しい。        

‘誰も責任を取りたがらず、誰も自分に責任があると言わなかった。・・・・・ 一般国民が軍部や文民官僚の責任と同等の責任を負っていると心から考えている人はほとんどいなかった。’ (ジョン・ダワー 増補版 敗北を抱きしめて 下)

【英対する開戦の詔勅】

洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

まことにやむをえざるものあり。あにちんがこころざしならんや。

開戦はまことにやむをえないことで、私の本意ではない。

 

一体誰の本意で我が国の意思決定が為されたのでしょうか。意思の無い者に、意思決定ができるのか。      

 

>(『世界は経営でできている』より)   

>価値を有限だと思い、何かを誰かと奪い合うのは、個人と社会にとって大きな損失である。   

 

そうですね。ゼロサムゲーム (a zero-sum game) はやめましょう。      

 

>そのことを理解して、初めて日本や世界が豊かになる方法を考えることができるのかもしれない。   

 

そうですね。我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英文法にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。   

 

(略)