>プレジデントオンライン >だから頭が良くても悪くても生きづらい…日本社会がうまくいかない根本原因は「平等バカ」にある > 池田 清彦 2022/10/21 15:15
(略)
>「普通がいちばん」の日本は生きづらい
>平均的な能力の子の場合は、授業の速度ややり方がちょうどよく能力に見合う可能性が高いので困ることはないだろうが、そのレベルに達していない子はそうはいかない。
>教師の話はちんぷんかんぷんで、ますます落ちこぼれてしまうのは目に見えている。
>だからといって落ちこぼれそうな子のほうにレベルを合わせてしまえば、平均的なレベルの子どもたちが時間を持て余すことになるので、それはそれで具合が悪いということになる。
>日本の公教育は平均的な者にもっとも手厚く、平均的な者がいちばん得をするようにできているのだ。
そうですね。日本人は個人主義の理解不足により、個人の個性を粗末に扱っていますね。
>本当だったら習熟度別にクラスを編成するほうが合理的だし、結果的には公平なのだけれど、そうやって序列をつけるようなことをすると、いじめとか別の問題が生じてくる。
そうですね。日本人は序列感覚には敏感に反応しますからね。
>普通がいちばんという感性が子どもにまで浸透している日本では、平均的とされるレベルから少しでも下だという烙印(らくいん)を押されると、一気に生きづらくなってしまうのだ。
国民総中流時代ですからね。
>教師やらの力を借りようとする。 >その結果、下のクラスにカテゴライズされるのは、塾や家庭教師に頼る金銭的余裕がない家の子たちばかりということになりかねない。 >そうなると子どもたちは早々に学校という名の「格差社会」を生きることになってしまうから、やはりこれもいい方法とは言い難い。
そうですね。序列人間に格差社会は付き物ですからね。
>IQの6~7割は遺伝
>そもそも学力面で格差が生じてしまう理由は、教えるレベルうんぬんの問題以前に、なんでもかんでも一律に教えようとするせいだと思う。
そうですね。学生・生徒の個性を無視することが格差の原因になりますね。人間序列の形成には没個性の比較が必要ですからね。
>得意なことだけでなく、不得意なことまで勉強しなければならないとなると、余力が相当ある子でなければついていけない。
>全員に平等に教えるのは、法律とか税制とかカラダのこととか、生きていくのに最低限必要な基本的なことだけにして、あとはそれぞれ自分の好きなことを学ばせるほうがずっといいと思う。
そうですね。子供たちの個性を伸ばす教育にもっと力を入れるべきですね。
>人間というのはもって生まれた自分のキャパシティを超えて活動することはできないし、キャパシティの一つであるIQ(知能指数)は、遺伝的に6~7割が決まっているとされる。
残念ながらIQの有用性は知られていませんね。
>「型にはまった一流」を目指してはならない
>ただし、そのようなキャパシティをどこまで具現化できるかはあくまでも本人次第なのである。
>たとえ生来のキャパシティ自体は小さくても、その大半を具現化させることができれば、大きなキャパシティを生かしきれてない人より、相対的に高い能力が発揮できるというわけだ。
>例えば超難関校として知られる東京の筑波大学附属駒場中・高等学校(筑駒)は卒業生の半分以上が東大に入る。
残念ながら我が国は序列社会で、難関出身者が序列を作って幅を利かせていますね。
>しかし、この学校に入ることが万人にとってのベストでは決してない。
そうですね。序列社会による締め付けによりわが国は衰退途上国になっていますね。
>必死に勉強してなんとか合格できたとしても、周りは秀才だらけなのだから、もともと勉強の才能がない場合はどんどん置いていかれて、かえって不幸になることもあると私は思う。
我が国には人手不足があっても頭脳不足は存在しませんね。天下の秀才ばかりが大勢居て船が山に上がっていますね。
>成長するにつれどうやら自分は机上の秀才ではないなと感じるようなら、例えば研究者を目指すとしても机に向かう勉強のほうはほどほどにして、実験したり、フィールドで調査をする感性を伸ばすほうが絶対にいい。
現実直視は大切ですね。現実を確かめることもせずに、’私は、、、、であると思った’ と言いつつ大失敗をする人が大勢いますね。
>受験に役立つ才能は、あらかじめ決まっている正解になるべく早く到達する能力だが、実験やフィールド調査で発揮される才能は試行錯誤しながら正解を探す能力なので、まったく質が違うのだ。
そうですね。受験に役立つ才能は正解を言い当てる能力ですね。現実の世界は正解のない世界ですからね。正解は自分で作る。人人により考えの内容は違っている。各人に哲学は必要である。Everyone needs a philosophy.
>本当に大事なのは、型にはまった一流を目指すことではなく、自分が得意なことを見つけて、そこをうまく伸ばしていくことだと思う。
そうですね。個性を伸ばして自己実現を成し遂げることですね。しかし、残念ながら序列社会であるわが国では、その内容がどうであれ難関出身者であることが価値あるものとされていますね。これはひどい価値観の歪みですね。
>そうやって、自分自身の能力を最大限に生かすことができれば、生まれながらの不平等にだってうまく折り合いをつけられるだろう。 >何よりそれが人生を楽しく前向きに生きるコツなのである。
そうですね。我が道を行くですね。
>小学1年生のガウスが見つけた「天才の計算方法」
>平均的なレベルの子に合わせた教育システムは当然ながら、生まれながらにして平均より高い能力のある子まで被害者にする可能性がある。
>「歴史上最高の数学者」と呼ばれるカール・フリードリヒ・ガウスは、小学1年生のとき、教師が子どもたちに自習させるつもりで出した「1から100までの数を全部足しなさい」という問題を一瞬で解いてしまったという。
>普通の小学1年生なら、1+2+3+4+5……と順に足していくだろうが、ガウスが選んだのは1+100=101、2+99=101、3+98=101……というふうに、1から100までの数を外側から順に足すというやり方だった。
>これを50回繰り返すのだから、101×50=5050という答えはすぐに導き出せる。
>これを小学1年生にして思いつくのだから、まさに天才である。
そうですね。これはアルゴリズム (algorithm) の問題ですね。アルゴリズムとは、計算や問題を解決するための手順、方式のことですね。
>天才を被害者にする「平等バカ」の日本
>ガウスほどではなくても、人並み外れた才能を持った子というのは一定数いる。
そうですね。
>そういう子にとっては小学校レベルの勉強などたやすいだろうから、本来であれば、もっと難しい問題に挑むチャンスをたくさん与えるべきなのである。
教育は着物のサイズと同じように、着る人本位の体形に合わせるべきですね。
>例えばアメリカでは、州によって違いはあるものの、基本的には能力に応じた学年に子どもを配置する方針が取られている。
>次の学年に進級するレベルに達していないと判断されれば留年する可能性もあるが、逆に優秀だと認められれば小学校を早々に卒業したり、飛び級で大学に入学することもできる。
>「ギフテッド」と呼ばれる突出した才能に恵まれた子を国を挙げて支援する環境が整えられているのだ。
それは理想的ですね。
>しかし、年齢に応じた“平等”な教育を貫く日本では、飛び級が認められるのは、千葉大学などごく一部の大学と大学院だけで、少なくとも義務教育過程では一切認められていない。
千葉大学では英才教育の成果が上がっているのですかね。
>だから授業がどれほど物足りなくても、学校にいる時間はただ我慢するよりほかはない。 >これは大いなる時間の無駄遣いだし、場合によってはそのせいで類いまれなるキャパシティを生かしきれない危険性だってある。
そうですね。学生個人本位の教育がなされるべきですね。
>能力を無視した「平等バカ」なシステムのおかげで、せっかく稀有な才能があっても宝の持ち腐れになりかねないのだ。
平等の名のもとに学生の個性が無視される教育は避けなければなりませんね。
>---------- 池田 清彦(いけだ・きよひこ) 生物学者、評論家 1947年、東京都生まれ。東京教育大学理学部生物学科卒。
>東京都立大学大学院理学研究科博士課程単位取得満期退学。
>専門は、理論生物学と構造主義生物学。
>早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。
>フジテレビ系「ホンマでっか!?TV」への出演など、メディアでも活躍。
>『進化論の最前線』(集英社インターナショナル)、『本当のことを言ってはいけない』(角川新書)、『自粛バカ』(宝島社)など著書多数。
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