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日本人の知的能力を増進するための提案をするブログです。

甘すぎる日本  

2022-03-15 04:04:26 | 文化

 

>zakzak >甘すぎる日本!「ロシア機の領空飛行禁止を」 ヒゲの隊長・佐藤正久氏が激怒「外務省は腰砕け…『命よりも金もうけなのか』と言われかねない」 > 2022/03/14 06:30

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>日本政府は、なぜ及び腰なのか。 

 

日本人はいつもながら処世術に熱中していますね。屁っ放り腰のだらしなさを気にすることはないですね。それには日本語が関係していますね。          

 

>国際法違反のウクライナ侵攻を続けるロシアに対し、欧米諸国がロシア機の自国領空での飛行禁止を断行するなか、日本は踏み切れないでいる。 >G7(先進7カ国)では唯一となった。 

 

日本人の後追いのメンタリティ (考え方) は改まらないですね。日本人には自己の哲学がないので、残念ながら自分の立ち位置を明らかにすることはできませんね。変な先進国ですね。          

 

>この現状について、自衛隊OBで「ヒゲの隊長」こと自民党の佐藤正久外交部会長に聞いた。 >「ウクライナ国民の命を救うため、日本はいまこそ、国際社会との連帯を積極的に示すべきだ」 >佐藤氏は語った。 

 

そうですね。しかし、日本人には意思がない。だから積極的になることは難しいですね。     

日本人には意思 (will) がない。つまり、無心である。意思は英語の未来時制の文章内容であるが、日本語の文法には時制 (tense) というものがないので、日本人には意思がない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there's a will, there's a way. 日本人には意思がない。仕方がないので無為無策でいる。おとなしい。優柔不断・意志薄弱に見える。能動がなくて受動ばかりの生活を送っている。だから戦時中は、玉砕するまで戦い抜いた日本兵であった。困った時には '他力本願・神頼み' になる。生きる力 (vitality) が不足している。

 ' やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かず' 山本五十六 (やまもと いそろく)

どうやら '指示待ち人間' ができあがったようです。この筋道で成功すると、後追いの専門家になりますね。後追いの人は世論指導者としては適格ではない。 

日本人は意思を認めることのできないので、意思決定に難渋して行動開始が遅れる。この事実は以前から外国人にも知られていた。

フランク・ギブニー (Frank Gibney)  氏の著書 <人は城、人は石垣> には、日本人の意思決定に関して次のようなことが書かれています。

 ペリー提督は、日本人はアメリカ人のように敏速に行動しないと注意された。それは、このように説明された。数人の日本人が黒船を訪れたいと思って集まったとする。一人が「いい日だな」という。これに二人目が「なんという気持ちのいい日だ」と調子を合わせる。三人目が「波も見えないぞ」という。最後に四人目が「船に行ってみようじゃないか」と提案する。  ニューヨーク・デイリー・ニューズ (1854年6月13日) (引用終り)   

 

>日本はこれまで、米国や英国に同調して、厳しい対露金融・経済制裁を表明してきたが、領空飛行禁止では動きが鈍い。  

 

これは日本人の克服できない判断力の問題ですね。   

 

>表向きの理由として、ロシアが対抗して日本機のロシア上空飛行を禁止すれば、日本発の欧州便は遠回りすることになり、時間と燃料代がかさみ、物流には大打撃となる、と言われてきた。 

 

政治哲学 (非現実) の問題が時間と燃料代’ (現実) の問題にすり替えられていますね。現実 (事実) が分かって、非現実 (考え) の分からない人間の特徴ですね。      

 

>だが、佐藤氏は「日本機は4日以降、ロシア上空を迂回(うかい)している。 >物流への影響は制裁をしない理由にならない」といい、外務省の姿勢に疑問を呈した。  

 

そうですね。   

 

>「北方領土の返還交渉を抱えているせいか、外務省がロシアに配慮しすぎだ。 

 

何時もながら、日本人は忖度 (推察) に熱中していますね。だから、理詰めの議論はできないですね。      

 

>ウクライナ侵攻は国際秩序を揺るがす大問題なのに、省内には『あくまで欧州の問題だ』と矮小(わいしょう)化する声まである。

 

政治哲学 (非現実) の問題を距離 (現実) の問題にすり替えていますね。低級な人間の解釈ですね。      

 

>対応が甘すぎる。>完全な腰砕け外交だ」  

 

そうですね。何時もながらの日本人のへっぴり腰ですね。   

 

>佐藤氏は政界入り前の2004年、陸上自衛隊のイラク人道復興支援部隊の初代隊長として世界各国と汗をかいた。 >この経験から語った。 >「このままでは、『日本は、命よりも金もうけなのか』と言われかねない。 >万が一の『日本有事』も想定して、諸外国が助けに来てくれる環境をつくっておくのが外交の役割だ。  

 

そうですね。信頼関係が大切ですね。   

‘私は絶対に日本人を信用しない。昨日までの攘夷論者が今日は開港論者となり、昨日までの超国家主義者が今日は民主主義者となる。これを信用できるわけがない’  (あるアメリカの国務長官)   

 

>ロシアの国際法違反を許さず、ウクライナ国民を守るためにも、日本は領空飛行禁止で各国と足並みをそろえるべきだ。  

 

そうですね。義を見てせざるは勇無きなり。日本人には義を見る力が弱い。それはどうしてであるかを考えてみる必要があります。   

日本語には現実 (事実) があって非現実 (考え) がない。だから、処世術 (損得勘定) は理解できるが、政治哲学は等閑に付している。そして、ノンポリ・政治音痴の人間が出来上がる。義を見ても実行する勇気が出ない。  

 

>周辺国にも働きかけ、ロシアへの圧力を強めるべきだ」  

 

そうですね。   

言語は伝達の手段であるばかりでなく、思考の重要な手段でもあります。ですから我々の考えの疎かな所は日本語のせいであることもあります。   

非現実 (考え) の内容は、英語の時制のある文章により表される。非現実の内容はそれぞれに独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容として表される。その内容は世界観と言われている。これらの三世界は時制により構文が異なるので、同次元で語ることができない。それで独立した三世界になっている。この規則を the sequence of tenses (時制の一致) と呼ぶ。日本人の初学者が英論文を書くときに難渋する規則である。 

世界観は、人生の始まりにおいては白紙の状態である。人生経験を積むにしたがって、各人がその内容を自分自身で埋めて行く。自己の 'あるべき姿' (things as they should be) もこの中にある。来るべき世界の内容を語ることは、時代を先取りすることである。

自己のその内容 (非現実) を基準にとって現実 (things as they are) の内容を批判 (縦並びの比較) すれば、批判精神 (critical thinking) の持ち主になれる。批判精神のない人の文章は、ただ現実の内容の垂れ流しになる。全ての事柄は他人事になる。これは子供のようなものである。日本人も英米人も子供の時には非現実 (考え) の内容というものがない。だから ‘話を告げる’ (to tell a story) ということは、’作り話をする’ とか ‘嘘を吐く’ という風に受け取られて悪い子供とされている。この判定だけがわが国では一生涯続く。

日本語の文法には時制がない。だから、日本人には非現実を内容とする世界観がない。そして、日本人には批判精神がない。残念ながらマッカーサ元帥の '日本人12歳説' を否定できる人はいない。  

意見は比較の問題である。現実の内容と非現実の内容があれば批判精神が発揮できる。英米人の意見はこれである。これは縦並びの比較ということができる。建設的である。進歩が期待できる。希望が持てる。現実の内容だけであれば、その比較は '現実' '現実' の上下判断 (横並びの比較) になり、'どっちもどっちだ' がある。そこで、不完全な現実に囲まれて無力感に苛まれる。この種の比較は復讐に復讐を重ねる民族同士の争いの原動力にもなっていて進歩が期待できない。 

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。   

何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)      

 

 

 

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