けいた と おちぇの親方日記

わんこと暮らす、のんびり日記

小説「光秀の定理」(垣根涼介著)

2020-02-24 09:00:00 | 書籍(小説)
垣根涼介さんの小説「光秀の定理」を読んだ。



見切りの目を養うことが第一の要諦である。
その見切りの目を養うために、
我らの修練はあるのだ。

己にとって本当に大事なことは、
人に聞いたくらい出分かるものではない。
懸命に考えて、
初めて自分なりのものが見えてくる。
それも最初は一歩だけだ。
それでようやく一歩進んで、
次の一歩目がおぼろげに見えてくる。
すべてそうしたものだ。

自分で汗をかいて、
必死に実感として分からぬ限り、
人様から聞いても何の役にもたたん。
人様の考えをなぞらえたような、
通り一遍のモノの見方だけではなおさらだ。

(細川藤孝)わしはの、
自分が馬鹿だとも思ってはおらぬが、
さりとて凡人の域を出るような
頭でもないことも知っている。
また、そう常に自覚して生きることが、
せめて凡人から愚者の道に墜ちぬ
唯一の方法だとも感じている。

物事の理は、自分で汗をかき、
必死に実感として分からぬ限り、
人様から聞いても何の役にもたたない。

本来の賢さとは、物事を平易に捉えることが
出来る素地(気質)を持つ者にしか訪れない
のではないか。

その時代の必然を倫理で測っては
判断を誤る。

物事は常に表裏一体となって変化し、
うごめき、進む必然なのだ。倫理や観念、
一時の結果論だけで事象を判断しては、
事の本質を見誤る。

人間が持って生まれた本来の能力に、
その素地に、たいした違いなどない。
それを、本人たちがある目的意識に向かって
ひたすらに磨き、鍛錬していくからこそ、
能力が初めて他を圧する能力を
産み落とすのである。

何かを成し遂げるに足る能力とは、
頭の出来不出来ではない。
その資質、その気質の問題なのだ。

今日のおまけ。
休日の午後。

みんなでお昼寝は楽しいね。



おしまい。

コメント
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