けいた と おちぇの親方日記

わんこと暮らす、のんびり日記

大切にしたい言葉(日経夕刊)

2017-05-27 12:00:00 | 新聞記事・コラム
先月のある日、日経新聞(夕刊)の「こころの玉手箱」コーナーに
フリーアナウンサーの押坂忍(※)さんのコラムが載っていた。

※ベルトクイズQ&Qの司会者

『最近の若者の言葉遣いがとても気になる。
 うら若い女子高生が「うざい」「ざけんな」などと
 ぶっきらぼうに話すのを聞くのは、なんとも悲しい。

「いただきます」とか「もったいない」とか、
 普段無意識に口にしているのだけど、
 本当は大事にしたい言葉がたくさんある。

 グローバル化が進み、小学生も英語を学ぶ時代になった。
 でも、日本語に対する美意識は失ってほしくない。

 言葉で人を傷つけることはできるが、
 言葉で周囲を幸せにできるのだということも伝えていきたい。』

そのとおりである。
女性らしさなどという訳ではなく、最近は老若男女を問わず、
言葉遣いや仕草が乱暴になっている。

綺麗な日本語、
大人らしい振る舞いを身につけていきたいものである。

ねっ、おちぇ。



聞いてますか? 



眠眠のおちぇ。



毛布に包まって、すぴすぴ。



可愛い。





おちぇを見ていると、嫌なことは忘れ、
疲れも消え、そして幸せな気持ちになる。
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「天才」(石原慎太郎著)

2017-02-28 18:00:00 | 新聞記事・コラム
石原慎太郎氏が書いた「天才」を読んだ。
発行部数は約92部を発行し、2016年の年間ベストセラー。

田中角栄元首相の人生を一人称形式で振り返る。



ロッキード事件を米国の策略と主張するところは、
なかなか面白かった。細かい内容や書評は、こちらを。

そして、おまけで、可愛いおちぇ。
休日の午後によくある光景。



お庭で遊び、お昼を食べて、お昼寝。





気持ち良さそう。





お散歩するわんこの声で目覚めた後は、
ベランダから近隣のチェック。





そして、晩ご飯はまだですか?



旅行で弾けているおちも可愛いが、
日常の何気ない姿もこれまた可愛い。
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新聞小説「禁断のスカルペル」(久間十義著)

2015-06-09 18:00:00 | 新聞記事・コラム
14年7月から日経朝刊で連載された、
久間十義さんの小説「禁断のスカルペル」が先月末で終わった。
全部で319回であった。挿絵は板垣しゅんさん。

スカルペルとは英語で医療用のメスを指すそうである。

幼い頃に父を亡くしたと母から聞かされていた主人公・柿沼東子は、
都内の有朋堂総合病院・泌尿器科に勤務する女性医師。



拓馬と結婚して絵里香という一女をもうけていたが、
東子のオーベン(指導医)でもあった川渕充彦との不倫関係に。
そのことが明るみになってしまい、
調停のうえで離婚、以後絵里香と一切会うことを禁じられる。



東子は川渕とも別れ、東北の陸前会伊達湊病院へ流れていく。
そこで内海純子という、美しい女子高生に出会い、彼女は救われる。



純子と会った教会には、
娘の名前と同じエリカ(ヒース)が咲き乱れていた。



そして、また陸前会では、伊集院という天才的な医師に出会い、
病気腎臓移植のスペシャリストになっていく。

しかし、移植学会に病気腎移植を問題視され、
保険省(本当は厚生労働省)も敵に回して争うことになる。

学会を率いる、その分野の権威、東京の医大教授は大倉東夫。
おそらく東子の父親。
そして、保険省から派遣された調査官は、かつての恋人・川渕。

その後、東日本大震災が発生。



東子たちの人生も大きく動くことに。



ここから先は書籍化されたあとのお楽しみということで。

途中までは、日経新聞小説にある不倫ものかと思った。
(渡辺淳一さんの「失楽園」「愛の流刑地」など)

しかし、舞台を東北に移してから病気腎移植がメインとなり、
社会的な話へと移っていった。
宇和島徳洲会病院での臓器売買事件で明るみ出た病気腎の移植が
 題材となったようだ)

そして、最後は、「生きるということの意味」を問うものに。
前半で読むのを止めてしまった読者もいたかと思うが、
中盤以降は良かった。文庫にでもなったら、また読もうかと思う。

特に良かったと感じたのは、第314話「翻身(5)」、
娘の純子から腎移植を受けた内海が絵里香に話す場面。

「純子が亡くなって、私は気がついたのです。

 私は一人で生きているつもりになっていたし、
 何事にもまず自分というものがある、と思いこんでいた。
 でもね、そうじゃなかった。今度の震災でよくわかったんです。
 私はね、私一人じゃなく、例えば死んだ娘や、家族や、
 知り合いや、仲間や、その他の者たちとの記憶を共有していて、
 その記憶がなかったら、私は私じゃないんだ。

 私は震災を生き残った者として、
 死んだ純子や他の多くの者たちの記憶を整理して、
 自分の心の中にあの者たちが住まう場所を作らなきゃいけない。
 そういう心の手続きをとらなきゃ、私は生きていけない。
 何というか、
 そういう意味で私というのは彼らの記憶そのものなんですよ。
 
 だから純子は私が思い出すかぎり、私と一緒にいるんです。
 あの子がくれた腎臓は、それを思い出すための縁(よすが)なのです。
 いいですか? 偉そうなことを言うようだが、
 私たちの人生に意味があるかどうかなんて、実はわからないんだ。
 生命に意味があるのかどうかも、わからない。
 
 だけど、絵里香ちゃん、ふと周りを見渡せば、私たちが死んだら、
 悲しむ者が確実にいるんです。純子が死んで分かったんです。
 なぜ娘の代わりに自分が死ななかったか。
 私の死を必死で食い止めようとする者たちを、悲しませないためにも、
 私は生きなきゃならない。罪だとか負債だとか言ってられない」

そして、最終話で絵里香が東子に話す場面。

「内海先生は、『私は一人じゃない』って仰っていましたよね。
 亡くなった娘さんや、その他多くの人との記憶を共有していて、
 その記憶がなかったら、内海先生は内海先生じゃないって。
 『私というのは彼らの記憶そのものなんですよ』って・・・。」

今、ここにいる自分というのは、
それもまで関わり合ってきた方々の『記憶そのもの』なのだ。

良い言葉である。
これからの人生も一日一日を大切にしていきたい。



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日経新聞「放り出し待つ 気づくまで」(宮大工・小川三夫)

2015-03-10 18:00:00 | 新聞記事・コラム
2月最終日の日経夕刊(こころ欄)に、
宮大工の小川三夫さんのインタビュー記事が
掲載されていた。



小川さんは、
寺社建築専門の建設会社「鵤工舎」の創設者。
現在67歳であるが、
高校の修学旅行で法隆寺の五重塔に感動し、
宮大工を志したそうだ。



小川さんは、古来の徒弟制度を踏襲し、
住み込み式で弟子を育ててきた。
その小川さんの言葉には重味がある。

『弟子には簡単に教えたらだめなんです。』

『教えずに放り出し、本人が這い上がっていくようにしなくてはだめだ』



『木も人も、ふぞろいでないと強くならない』

昔は道具が少なく、
木は生まれたままにしか割れなかったから、
柱や梁に使われている木はどれといって
同じものはないそうだ。
同じものより不揃いの方がよく、これを
「木が総持ちで塔を支えている」というらしく、
一本一本が強みを生かして支えあうから強いそうだ。



『上がいたら組織がよどむ』

小川さんのところでは、基礎が身につき、
これからという弟子を独立させるそうだ。
それはもったいないことではあるが、
上がいたら組織がよどみ、
下が育たないからだそうだ。



『全責任を負うこと』

棟梁に一番大事なのは「全責任を負うこと」で、
「それができなければものをつくるべきではない」
ということらしい。

どれもとても参考になる言葉である。

小川さんの話は、
糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」でも
取り上げられていた。
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負けた方を大切にすること(森内俊之竜王)

2014-08-31 12:00:00 | 新聞記事・コラム
会社で「Harvard Business Review」(ダイヤモンド社)という、
月刊誌を購入している。

個人で購入していた時期もあったが、
当時、月刊誌で1冊2,000円(税込)と安くなかったので、
会社での購入を申請し、通ったものである。

今月号の特集は、「一流に学ぶハードワーク」。

普段は海外の大学教授などの論文が掲載されることが多いが、
今回は、棋士の森内俊之竜王、
順天堂大学の天野篤教授(天皇陛下の執刀医)、
日本電産の永守重信社長といった、
経済学とは少し離れた方々の寄稿が多かった。

私は将棋を指さないが、棋士の話や本は好きである。

森内俊之竜王は、
今期は羽生善治三冠(対局時)に敗れ、名人位から陥落してしまったが、
通算5期の名人位を獲得した永世名人(十八世名人)である。

今回、寄稿記事のタイトルは、
「棋士のピークを超えて、勝ち続けるには」。

冒頭にもあるが、棋士が一番強い時期は、20代から30台というのが定説である。
しかし、森内竜王と羽生四冠はともに43歳であるが、今でもとても強い。
(特に今年の羽生四冠は強い)

研究の積み重ねの重要性として、
「膨大な時間を費やして研究したことは、必ず何らかの収穫をもたらしてくれ、
 少しずつかもしれないが、 自分を強くしてくれる。」といっている。

ミスを犯してしまったときの心持として、
「一度もミスをすることなく対局を終えることは難しく、
 力のある棋士でもミスを犯す。
 理解を超える局面で出てしまったミスは、
 やむを得ないものとして受け入れる。」といっている。

また、負けを喫したときの考え方として、
「たとえそこで負けたとしても、
 原因がわかれば収穫があったという見方をすればよいのだ。
 どんなに強い棋士でも二割から三割は負けを経験する。
 負けを大切にすることが、
 結果的に次の価値につながると考えている。」といっている。

プロ棋士の世界と、会社員の世界では厳しさに雲泥の差があるが、
これら一流の人たちから少しでも学べるといいなと思う。

また、明日から頑張ろう。
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