山岡荘八さんの「徳川家康(19)泰平胎動の巻」が読み終わった。
残すところ、あと7巻となった。

今回は、慶長8年(1600年)2月、家康は征夷大将軍に就任し、
いよいよ天下人として理想の国家づくりに着手するというもの。
徳川・豊臣両家の和合のため、孫の千姫を秀頼に嫁がせ、
戦国の常識を根底から改革しようとするが、
淀君をはじめとする反徳川の執念は根深く、泰平の道はいまだ遠し。
生まれ持ったものはわからないが、
秀頼は、母親の淀君らに甘やかされ、武道も修めず、
女子に囲まれて育ったため、天下を治める者としては些か力量不足であった。
一方、家康は僅か2歳5カ月の息子・五郎太丸に対し、
「大将というものは、悲しいときに泣かぬもの。苦しいときに我慢するもの。・・・
そして美味しいものは家来に食べさすもの。」と教える。対照的である。
豊臣家も今の力量を認め、一大名として生きれば、生き残れたであろうが、
プライドの高い淀君がそれを許さず、滅びていった。
身の程を知ることは大事である。
また、片桐且元の言葉でつぎのようなものがある。
「時勢にさからうものは必ず滅びる。
それは天に向かって唾することに等しいからだ。
三成は決して凡愚ではなかったが、
その一点において大きなものを見落としていたと思う。」
時勢を見極めることも重要だと思う。
仕えて間もなく出世していく、
大久保長安の言葉につぎのようなものがある。
「出世は決して手をこまねいている者を、向こうから手招いたり
わざわざ道を開いたりしてくれるものではない。
家康の理想と方針をよく呑み込んで、自分の眼を、
家康自身の眼にして仕事を見つけ歩くのだ。」
サラリーマンには大切な姿勢だと思う。
最後に、家康がつぎのことを言う場面がある。
「人間の夢がそう容易に実現するものではないことは誰よりも知っている。
今までの夢の一つは綻びた。
しかし綻びたら縫い、綻びたら縫ってゆくのが人間のつとめなのだ。」
家康らしい言葉である。
家康のこういうコツコツしたところが好きである。

明日はおちぇだよ。