けいた と おちぇの親方日記

わんこと暮らす、のんびり日記

小説「徳川家康(14)明星またたくの巻」(山岡荘八著)

2014-04-11 18:00:00 | 書籍(ビジ本等)
山岡荘八著の「徳川家康」の14巻が読み終わった。



本巻は、今までの好運から見放されたかのように、
順風満帆であった秀吉が次々と不幸に見舞われるというもの。
千利休の生命を賭した抵抗、弟秀長、そして母大政所の死。
また、皆が反対するも推し進めてしまった朝鮮出兵。

側近中の側近であった千利休は、大徳寺三門(金毛閣)改修にあたり、
自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に設置したことで増上慢があったと
秀吉に蟄居を命じられたが、利休は一切の弁明をせず、切腹に至った。

本作品では、その利休と秀吉について、以下のように評している。

「人間の不完全さを利休は知っている。『絶対-』は観念の中にしか存在せず、
 それを追いかけてゆくところに人間の人間らしい哀れさがあり得ることを
 よく知っている。ところが秀吉は幸運な人間にありがちな思い上がりで、
 自分を『絶対-』と誤認している。」

絶対的権力者にありがちなことなのかもしれない。
また、島井宗室が秀吉に朝鮮出兵を思いとどまるよう諌言する場面。

「それがしは、殿下のお耳に入らぬことを、あれこれと存じておりまする。
 そのうえでの判断によりますれば、このご外征、失敗とならざるまでも、
 決してお得とは存じられませぬ。」
「殿下はこのご外征を、どなたが心底からご賛成なされておわすと思し召されるや。
 みな殿下のご威光におそれをなして、口にこそ出さね、
 困ったことと内心では怖れをなしておりまする。」

利休亡き後、秀吉に対してこのようなことをいえる者は他にいなかった。
秀吉はこの進言を受け入れず、朝鮮出兵に着手する。

利休といい、宗室といい、堺・博多の商人は武家よりも潔く、芯が通っていた。
自分たちの為でもあるが、日の国のことを真剣に心配し、また情勢認識も正しかった。
しかし、秀吉は聞き入れることができなかった。

いよいよ15巻ではその秀吉が逝去する。

(今日のおまけ)
 いずれ記事にするが、昨年の山中湖旅行での1枚


コメント
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