風の宝石箱

日々想うことを感じたまま 大切にしまっておきたい

事故に遭って

2008年06月14日 | ひとりごと
運転免許証・ドナーカード・「尊厳死の宣言書」

電車通勤の私が車の運転をするのは休日のみ。
買い物とか遊びに行くとか歯医者に行くとか・・・そんな用事で車を運転する。
だけど、普段から持ち歩くバッグには必ず運転免許証を入れている。
バッグを変えるとき必ず詰め替える。
まぁ何かの時に、身分証明になるだろうって思っていた。

事故の時、救急車に運び込まれて直ぐに、「何か、住所や名前の記入された物を持ってますか?」と聞かれ、「バッグに免許証があります」とだけ答えた。
でも、口が利けるんだから、本人の私に聞けば良いのに。とも思っていた。
自分ではちゃんと答えてるつもりだったけど、ロレツがまわってなかったのかな?

私の免許証ケースには、一番目に付くところに黄色いドナーカードと自筆の「尊厳死の宣言書」があり、その隣に献血カードが入っている。
免許証は更にペラペラな水色のソフトケースに入れて、ポケットに入っている。
何故、そんなに分かりずらくしてるのか?
それは、写真写りが悪いからで、簡単に人様に見られたくないからだ。
ゴールド免許の私は5年その写真を人に見せなくていけない。
出来上がった免許証をみて、「やっぱり美容院へ行っておけばよかった」と、後悔したものだ。

病院の救急処置室で、様態が変わった。
急に頭がぼーっとしてきた。
そんな意識の中、ドナーカードが役に立つのかなぁなんて思ったり、
家族の署名が無いんだよなぁとか思ったりしていた。
近くにいた看護師さんに「目がまわるんです」と言ったら、医師から「薬のせいですよ、心配要りません」と声が返ってきた。

私のドナーカードは、1999年にサインしたものだ。
必要な箇所に○をつけ、自筆で署名しただけのもの。
よほどの事が無い限り、コレは役に立たないだろうと思いながらも、使えるものは使ってもらおうという思いだけで署名した。

尊厳死。
この言葉を知ったのは、TVドラマのシーンだった。
その後、新聞記事で「尊厳死」は、何も余命を宣告された患者だけのもので無いことを知った。
病気の場合、考える時間もあるだろう。でも、突然の事故だったら自分の意志を伝えられないではないか。
そう思って、もう少し調べてみて、「宣言文」を手に入れる事が出来た。
協会?だったかな?、年会費を支払い入会するとのこと。
自分の「死」に対する考え方にもお金が掛かるのか!なんか納得いかない!
私は入会はしていないが、その文章を便箋に書き署名捺印して用意した。
ソノ日付は、2004年5月某日。

その宣言文が有効となるかどうかは分からない。
でも、自分の意志を伝える方法はこれが一番だと今でも思う。

ドナーカードと「尊厳死の宣言書」を免許証入れにいれたのは、
まだ若く、そこそこ健康な自分の身に降りかかる災難とすれば、たぶん交通事故だろうと思ったからだ。

4年前に折りたたまれたその宣言書を開いてみて、
今でもたいして変わらないが、下手な字だなぁと思う。
今の私には、便箋一枚分のその文章さえ書ききれないだろう。

良くなったら、
新しい便箋に、今度は万年筆で書いておこうと思う。