例えば、そう、肉球のやわらかさ。
衰弱から回復してきた被毛のつややかな色合い、
手触りのなめらかさ、
からだの細部の若さを見ていて、
「おじいわんは室内犬だったな」
という確信を持つようになった。
外犬の子だったとしたら、
この年齢なりの劣化が見られたはずの、
体の細部が、いちいちそうではないのだ。
よくみれば目は白濁しているし、
老いた動物特有の目ヤニも出ている。
歯は歯石で覆われていて、口はやや臭い。
決して若いはずはないのだが、
それでも、驚くほど若く見える。
これは家の中で飼われていた証拠だ。
それに以前はかなり太っていたようだった。
顔まわりのたるみ、特に口まわり、
せなかでぶかぶかしてる厚みのある皮、
手足の関節まわりの皮たるみ、まるでチャックのついたぬいぐるみみたい!
これらは以前の彼が、ふくよかな体つきというか、
肉付きがよかったことをしめしているのではないだろうか。
だからこそ、1か月さまよっても命があったのだろうね。
想像する。
10歳か15歳になるまで、去勢し、
室内で大切に飼われていた子が外で迷子になる理由。
それなりの事情があってしかるべきだろう。
おじいわんの性格(性質)から考えると、
自ら冒険&逃亡するタイプではない。
それに、これだけ年寄りなのに、過去10年、
さまよっていた公園で誰一人、見たことがない。
見かけたのはさまよいはじめから保護されるまでの間だけ。
総合的に考えると、この子の飼い主は、
おそらくきっと、亡くなったか、施設に入ったかしたのだ。
残されたこの子を持て余した誰かが、あの公園に放ったのだ。
一か月が過ぎて、ようやく、そういう考えに至った。
至ってから、この子がある程度、
老化現象というのか、人に無関心なこと、
感情表現が鈍くなっていることなど、
かえってよかったのかもしれない、と思うようになった。
オレコのように、感受性が強い年代に、
こんな目にあっていたら、どれだけ傷ついたか。
それでも、この子が、もしかして、
自分を慈しみ、育ててくれた誰かを思い、
夢見たりすることがあったら、と思うと、
胸がつぶれそうになった。
捨てられてかわいそうとか、
ひどい目にあってかわいそう、と、
感傷にひたりはしなかった。
でも、ひとつだけ、この子が、
「飼い主さんに会いたいなあ」
と、願うことがあったら、と思うと、
とめどなく涙があふれて。
きっと飼い主さんも、同じに違いない。
こんちゃんが愛しくて心配でたまらないだろう。
愛されてないのではなかった。
出来れば自分でお世話したかったにちがいない。
おじいわんや、
少しばかりぼけていてよかったね。
それとも君は、なにもかも承知なのかい?
そして思ったの だ。
この子が私のもとにたどり着いたのは、
飼い主さんの愛情が、そうさせたのではないかって。
「なんとしてもこの子だけは」
という思いが、私に見つけさせたのじゃないかって。
そういうふうに思うことにした。
大切な預かり物として、
お世話がかりをつとめさせてもらう所存。
どうか、安心してくだされ、飼い主様。
見守ってくだされ。
そして、ときどき、
夢に出てきてあげてくだされ。
いいこいいこって、してやってくだされ。