犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

おじいわん室内犬疑惑よもやま。

2015年01月19日 | おせわがかり日誌


例えば、そう、肉球のやわらかさ。



衰弱から回復してきた被毛のつややかな色合い、

手触りのなめらかさ、

からだの細部の若さを見ていて、

「おじいわんは室内犬だったな」

という確信を持つようになった。




外犬の子だったとしたら、

この年齢なりの劣化が見られたはずの、

体の細部が、いちいちそうではないのだ。




よくみれば目は白濁しているし、

老いた動物特有の目ヤニも出ている。

歯は歯石で覆われていて、口はやや臭い。



決して若いはずはないのだが、

それでも、驚くほど若く見える。

これは家の中で飼われていた証拠だ。




それに以前はかなり太っていたようだった。

顔まわりのたるみ、特に口まわり、

せなかでぶかぶかしてる厚みのある皮、

手足の関節まわりの皮たるみ、まるでチャックのついたぬいぐるみみたい!

これらは以前の彼が、ふくよかな体つきというか、

肉付きがよかったことをしめしているのではないだろうか。

だからこそ、1か月さまよっても命があったのだろうね。




想像する。

10歳か15歳になるまで、去勢し、

室内で大切に飼われていた子が外で迷子になる理由。

それなりの事情があってしかるべきだろう。

おじいわんの性格(性質)から考えると、

自ら冒険&逃亡するタイプではない。

それに、これだけ年寄りなのに、過去10年、

さまよっていた公園で誰一人、見たことがない。

見かけたのはさまよいはじめから保護されるまでの間だけ。



総合的に考えると、この子の飼い主は、

おそらくきっと、亡くなったか、施設に入ったかしたのだ。

残されたこの子を持て余した誰かが、あの公園に放ったのだ。



一か月が過ぎて、ようやく、そういう考えに至った。

至ってから、この子がある程度、

老化現象というのか、人に無関心なこと、

感情表現が鈍くなっていることなど、

かえってよかったのかもしれない、と思うようになった。

オレコのように、感受性が強い年代に、

こんな目にあっていたら、どれだけ傷ついたか。



それでも、この子が、もしかして、

自分を慈しみ、育ててくれた誰かを思い、

夢見たりすることがあったら、と思うと、

胸がつぶれそうになった。

捨てられてかわいそうとか、

ひどい目にあってかわいそう、と、

感傷にひたりはしなかった。

でも、ひとつだけ、この子が、

「飼い主さんに会いたいなあ」

と、願うことがあったら、と思うと、

とめどなく涙があふれて。

きっと飼い主さんも、同じに違いない。

こんちゃんが愛しくて心配でたまらないだろう。

愛されてないのではなかった。

出来れば自分でお世話したかったにちがいない。

おじいわんや、

少しばかりぼけていてよかったね。

それとも君は、なにもかも承知なのかい?




そして思ったの だ。

この子が私のもとにたどり着いたのは、

飼い主さんの愛情が、そうさせたのではないかって。

「なんとしてもこの子だけは」

という思いが、私に見つけさせたのじゃないかって。

そういうふうに思うことにした。



大切な預かり物として、

お世話がかりをつとめさせてもらう所存。

どうか、安心してくだされ、飼い主様。

見守ってくだされ。

そして、ときどき、

夢に出てきてあげてくだされ。

いいこいいこって、してやってくだされ。