犬がおるので。

老犬から子犬まで。犬の面倒をみる暮らし。

救い

2016年12月20日 | おせわがかり日誌

こんちゃんはゆっくり老化が進んでいる
そんな中でも新しくおともだち(おじいわん)ができて、日々、交信している様子
今のところ、何を話しているのかは、まったくわかっていない




先日の検査はまあまあの結果
前回ほどの好成績ではなかったが、まあまあな状態なんだそうだ




まあまあの外側に行かないよう状態をキープするのが私の役目である




室温、体温、足腰、食欲、消化に注意し、時間ごとの様子をよく観察し、日誌をつける
気が付いたことはどんどんメモしていく




どうも特別に大切にしている場所があるらしいぞとか、こんちゃんを気にしてくれるおともだちがまたできたであるとか、そういうまめまめしいことを書き記している



これはオレコについても同様で、○○○くんと会ってキュンキュン鳴いたであるとか、耳の後ろにちょっとしたコリコリができているので、次回こんの病院に行くとき一緒に連れて行って先生に尋ねるであるとか、まめまめしいことばかり書き連ねている



オレコの場合、彼女の犬生のなかで今がいちばん『ことばが通じる』時期のようなので、今日はこんなことが分かった様子だったとか、ちゃんと説明したらこんなふうにしてくれたとか、
日々のやりとりで気づいたこと、起こったことを書き記し、不在がちなお父さんにはメールで教える
こんなことはきっと、よそでは通用しないし、理解を求めるために人にわざわざ説明しないが、家族と犬とで、確かに通じ合っている、という実感を持つような、そんな瞬間がある



オレコだけでなく、いろんな認識がぼんやりしてきたこんちゃんとの間にもそれがあり(犬だけでなく猫との暮らしにももちろんあったが)、そういうときは静かに幸せな気持ちに浸っている



もうすぐこんちゃんがうちに来て2年目となる
この2年の間に彼はわたしたちを家族と認めてくれたようだし、寒くなってひと肌のあたたかさが恋しくなるのか、
このごろは、頭をつけたり、身を寄せたりして、甘えてくるようになった



毎夜「ねんねするからお部屋に来ておそばで見ててなのじゃ」とねだるようになった

胡麻柴自慢の真っ黒背中もいつのまにか普通の柴犬と同じような色合いになり、自慢の黒眉(1本だけ)も見当たらなず、顔はずいぶんと白くなってしまった

声を出さない子だったのが、不安なことがあると、小さな震え声で、子犬のように鳴く
大丈夫だったエレベーターが苦手になり、大きな音や振動は、とてつもなく不安なのだと震えながら訴える



以前わからなかったことが、日々の事を書き連ね、考えをめぐらせるうちに、はたと気づき、もしかしてこういうことではあるまいか、と思い当たるきっかけになる
気がつけば小さなところに工夫をして、都度ベストを尽くす
こういうことの繰り返しが、日常になりつつある
ついそちらにちからを注ぐあまり、ブログ放置状態が長くなってしまうのだが、たまには更新しようと思う



オレコもこんちゃんもとてもかわいいし、大事なのだが、こんちゃんは何かちょっと違うものを持っている気がして、それは一体なんだろう、なんなんだろう、と自問自答してきた
そして今、もしかすると彼は私にとっての『救い』なのではあるまいか、という心境に達している

真田丸のサントラⅢ『救い』を聴きながら、ああ、きっとそうに違いない、と強く頷く



もちろん、真田丸ロス真っ最中である