特殊相対論、ホーキング放射、ダークマター、ブラックホールなど

・時間について特殊相対論からの考察
・プランクスケールの原始ブラックホールがダークマターの正体であるという主張
 

ランダウ、リフシッツ パラドックス

2023-02-17 02:01:52 | 日記

 ・素人が正しいのか、玄人が正しいのか:では以下の様に述べました。

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追伸の2
ランダウ、リフシッツ著「場の古典論(増訂新版)」東京図書(1964年刊)1章§3“固有時間”(p9~11)
http://fnorio.com/0160special_theory_of_relativity/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7/Landau_Lifshitz_classical_field_1-7.html#01-003


§3 固有時間
での議論

「K系とK'系が相対運動している時には、お互いが相手の時計が遅れている事を確認する」と書かれてあります。

さてあのランダウとリフシッツさえもその様に言うとは!

ま、もっともおおもとのアインシュタインがそう言っている模様ですから、無理もありませんか。

しかしながらここでもこのランダウとリフシッツの宣言を確認できる実験結果は今のところは報告されていないのであります。

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それでこのページでは具体的に『ランダウ、リフシッツ著「場の古典論(増訂新版)」東京図書(1964年刊)1章§3“固有時間”(p9~11)』から本文を引用し、その内容を検討したいと思います。

さて§3“固有時間”の章より

『・・・(3.1)および(3.2)から分かる様に,動いている物体の固有時間は、常に、静止系における対応する時間間隔よりも短い。

いいかえると動いている時計は静止している時計よりもゆっくりと進むのである。



慣性系Kに対していくつかの時計が一様な直線運動をしているとしよう。これらの時計に結び付けられた基準系K'も慣性系である。

さてK系の観測者からすると、K'系の中の時計は遅れる。逆にK'系の立場から見ればKの中の時計が遅れる。

しかし、次の事に注意すればここに矛盾が無い事が確認される。

K'系の時計がK系の時計より遅れている事を言うためには、次のような操作をしなくてはならない。

ある瞬間にK'の時計がKの時計のそばを通り過ぎ、その瞬間には2つの時計の読みが一致していた、とする。KとK'の2つの時計の歩みを比較するには、もう一度、動いている時計の歩みをKの中の時計の歩みと比較しなければならない。

しかし、今度動いている時計の歩みと比較できるのはKの先ほどとは別の時計ーーこの比較の瞬間にK'の時計とすれ違う時計である。

そうしてK'の時計は今それと比較したKの時計と比べて遅れている、と言う事をみいだすのである。

2つの基準系の時計を比較する為には、一方の基準系では数個の時計、他方の基準系では一個の時計を必要とする事が分かる。

従ってこの操作は両方の系について対称ではない。遅れると判断される時計は常に同一で、それが他の系の異なったいくつかの時計と比べられるのである。・・・』

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ええとまずは「一方の基準系では数個の時計」と言ってますが、これは「2個の時計」で十分です。

それでランダウとリフシッツの主張は「遅れている、と判断されるのは、常に『観測者が動いていると判断した系=相手の系』にあるたまたま注目した一個の時計(=時計A)の方」であって、その時計を『観測者が静止していると判断した系=自分が立っている系』にある2個の時計(=時計Bと時計C)と比較する事で、AがBとCに対して遅れている事を見出す、と言っています。

それでまずはAがBとすれ違います。

この時に観測者はAの時計の針の位置とBの時計の針の位置を記録します。

それでランダウとリフシッツの前提では「この時にAとBの時計の針は同じ時刻を指していた」となっています。

そうして次にAはCとすれ違います。

この時も観測者はそれぞれの時計の針の位置を記録します。

こうして時計AについてはBとすれ違った時からCとすれ違う時までの時間経過=時間間隔が分かります。

それでその時間間隔をΔT(A)とします。

他方で時計Bと時計Cは同一慣性系内にありますから、アインシュタイン ポアンカレ同期の規則によって同期させてあります。(つまりAとBの時計の針は何時も同じ位置を示します。)

従って時計Aが時計Bとすれ違った時の時計Bの針の位置から時計Aが時計Cとすれ違った時の時計Cの針の位置を比べる事で、時計BとCが存在している慣性系での時間で計った時に、時計Aがどれだけの時間をかけて時計Bの位置から時計Cの位置まで移動したかが分かります。

それでその時間間隔をΔT(C-B)とします。

そうしてランダウとリフシッツの主張は「常に時計Aの方が遅れている事を観測者は見出す」つまり「ΔT(A)<ΔT(C-B) となる」となります。


そうしてこの話に矛盾がない=「時間のおくれはお互い様である」が成立する理由は「この操作は両方の系について対称ではない、という所にある」と主張しています。

つまり「観測者は動いていると認識している相手の慣性系から一つの時計を選び出して時計Aとすることができ、そうして自分の慣性系にある時計Bおよび時計Cと時計Aは順次すれ違う事になるのだが、そのときに相手の時計(=A) の針の位置と自分の時計(=BとC) の針の位置を記録することでΔT(A)とΔT(C-B)の値を計算することが出来、その結果はいつも「ΔT(A)<ΔT(C-B) となる」と主張しています。

そうしてこの観測者はK系に立つ事もK'系に立つ事もでき、そのたびに「自分が立っている慣性系よりも相手の慣性系の時間が遅れている事を見出すのだ」としているのです。(注1)

さて以上の話、特に「時間の遅れはお互い様」が成り立っている理由が「この操作は両方の系について対称ではない、という所にある」というランダウとリフシッツの主張は妥当なものだったでしょうか?

以上の説明でご納得いただけたでしょうか?


さて以上の主張についての当方の検討内容詳細については次回以降にしたいと思います。



注1:この言い方を認めるならば「特殊相対論は主観物理学である=観測者の存在が物理的な状況を決める」となってしまいます。

そうして確かに量子力学ではそのような事が起こりうる様でありますが、相対論で「観測者の存在が物理的な状況を決める」という様な事は無いのであります。


PS:相対論の事など 記事一覧

https://archive.md/VQKl3